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6.わたしの主は、不器用な人



 結局、十字架のペンダントは受け取ることになってしまった。

 けれどミンメイは、それを首から下げることはしない。

 きっと、一生そんな日は来ない。

 ミンメイの部屋の引き出しの中に、大切にしまわれたまま。

 ただの一度だって、銀製のペンダントがミンメイを飾ることはないだろう。


 ペンダントに気を取られて、その時はすっかり忘れていたけれど。

 あとになって、ふと気づいた。

 いつもの約束を、交わさなかったことに。

 ついにハルウは約束をやぶる覚悟を決めたんだろうか。

 いいや、違うだろう。ミンメイと同じで、そこまで考えが及ばなかっただけだ。

 それはあのペンダントを用意していたことからもわかる。

 ハルウはまだ、あきらめてはいない。

 約束を守ろうとしている。




 その日、男は唐突に姿を現した。

 もっとも、それはいつものことだったから、ミンメイは特に驚きはしなかったのだけれど。

 庭師の手伝いで花に水をやっていたミンメイに、彼は声をかけてきた。

 彼――アケヒは、ハルウの友人なのだという。

 打ち捨てられたように静かなこの城に訪ねてくる、数少ない人。

 魔界の住人なのだから当然人間ではなく、アケヒは淫魔という種族らしい。

 輝く朱金の髪に、氷のような水色の瞳。

 線の細いハルウとは正反対の、男らしい美形だ。

 外見はハルウより年上に見えるのに、ハルウの半分も生きていないのだというから、魔界の住人は見た目で判断してはいけないのがよくわかる。


「馬に蹴られて死にたくなかったから、これまで口出さなかったけどな。

 このまんまじゃいつまで経ってもすれ違ったままでいそうだから、お節介焼かせてもらうわ」


 なんの前触れもなく、アケヒはそう言い出した。

 どうして馬に蹴られると思ったんだろうか。

 お節介とは、いったい何をするつもりなんだろうか。

 ミンメイにはわからないことばかりだ。

 とはいえ、アケヒが善人であることは、半年以上もの付き合いでよく知っている。

 ミンメイは水やりを中断して、素直にアケヒの話を聞くことにした。


「ダンナがどうして約束を守れないのか、知りたいだろ?」

「し、知りたいです!」


 ミンメイは噛みつく勢いで即答してしまった。

 プッ、とアケヒは小さく噴き出す。あまりの反応のよさに思わずといった様子で。

 恥ずかしい、とミンメイは顔をうつむかせた。

 けれど、仕方がないとも思う。

 ミンメイは、ハルウのことならなんだって知りたい。

 それが約束に関することなら、なおのこと。


 ちょんちょん、と肩をつつかれる。

 顔を上げろ、ということだろう。

 おとなしく顔を上げると、氷色の瞳が皮肉げに細められていた。


「だって、ダンナは約束を守るつもりなんてこれっぽっちもねぇんだからな」


 約束を守るつもりなんて、これっぽっちも……。

 その言葉を理解するためには、少しばかりの時間を必要とした。

 それほどに、予想外の言葉だったから。


「そんなこと……!」


 理解すると同時に、ミンメイは声を上げていた。

 ハルウは、いつも約束を守ろうとしてくれていた。

 守ろうとして、守れずに、苦しんでいた。

 あの苦悩が、偽りのものだったとは思えない。


「ないって言えるか?

 じゃ、どうしてダンナは毎回約束をやぶるんだ?」

「それは、吸血鬼としての本能があるからです」


 ミンメイは自信を持って答えた。

 ハルウは常に本能と戦い続けている。

 あきらめてもいいのに、とミンメイが思うほどに、ハルウは苦しんでいる。

 ミンメイの答えに、アケヒは一つため息をついた。

 まるで、何もわかっていないと、呆れているかのように。


「本能っつーけどな、オレたちにとっちゃ、本能なんてそう強いもんでもねぇんだよ。

 ただ、当然の欲求として存在してるだけだ。

 確固とした意志さえあればはねつけられるくらいのもんだよ」

「そういうものなんですか?」

「ああ、もちろん個人差はあるけど、普通はな。

 しかも吸血鬼ってのは、特に理性的な生きもんだ。

 実のところ、吸血衝動ってのは、女が甘いもん食いたいってのとおんなじくらいなもんじゃねぇかと思うぜ。

 そりゃ、何年も血を吸ってなけりゃ別だけどよ」


 アケヒの言っていることは、鵜呑みにしていいのか悩むほどに、初めて聞くものだった。

 けれど彼の瞳は、とても嘘をついているようには見えない。

 声音はどこまでも真剣で、誠実で、かすかに優しさすらも含んでいて。

 何も知らないミンメイを気遣っているようにすら思える。

 嘘ではないのだと、自然と信じられた。

 本当に、吸血鬼の本能というものは、それほど強いものではないんだろう。


「だったら、どうしてハルウさまは……」


 我慢できるはずの本能に負けてしまうんだろうか。

 初めは、ミンメイが魔界に来てしまってから、二ヶ月と少し経ったころのことだった。

 その次は、一ヶ月半ののち。さらに次は、一ヶ月ほどの間を開けて。

 今回は、前回から二週間ほどしか経過していなかった。

 少しずつ、少しずつ、ハルウが血を欲するまでの期間は短くなってきていた。

 吸血鬼の本能に絡め取られて、ろくに意識もないままミンメイの血を好きに貪る。

 あの、吸血鬼としての顔を見ていたから、ミンメイは疑いもしなかった。彼らの本能とは抗いがたいものなのだろう、と思っていた。


「だから言っただろ。約束を守るつもりがねぇんだって。

 本人がどんなつもりでも、うわべだけの願いなら、易きに流れるもんだろ」

「守るつもりがないのは、どうしてですか」


 どうしてハルウが本能に負けてしまうのか。

 その答えが、約束を守るつもりがないから、なのだとしたら。

 一番重要なのはその理由だ。


「そりゃ当然、アンタのことが好きだからだ」


 はっきりと、アケヒは言ってみせた。

 本来なら、他人の口から伝えるべきではないことを。

 ミンメイはぎょっとして、持っていたジョウロを取り落としてしまいそうになった。


「好きな女のすべてを手に入れたい。でも、それはできない。

 となりゃあ、一部でもいいから欲しくなるもんだよな」


 ミンメイの驚きようにかまうことなく、アケヒは詳しく説明してくれた。

 憶測でしかないだろうに、まるで、ハルウの心の中を覗いたとでも言わんばかりの口ぶりだ。

 けれど、それほど外れてはいないだろうと、ミンメイも認めざるをえなかった。


「アンタだって、少しくらいは感じてんだろ?

 できることなら、わかってやってほしい。

 ダンナは不器用なんだ」


 苦笑しながらのアケヒの言葉に、ミンメイはズキンと胸が痛んだ。

 ハルウの気持ちに、まったく気づいていなかったと言えば、嘘になる。

 彼の真紅の瞳は、言葉よりもずっと雄弁に、ミンメイへの想いを語っていた。

 求められているのだと、そんな気はしていた。

 確証はないまでも、わかりやすい彼の想いを感じ取れないほど、ミンメイは鈍くはなかった。

 ハルウが何も言わない以上は、知らないふりをしよう。

 そんなふうに、ミンメイは彼の想いから逃げていた。


 ……怖かったのだ。

 今の関係を、唯一の居場所を、壊してしまうことが。

 ハルウはミンメイに、ここにいてもいいと言ってくれた。居場所を与えてくれた。

 彼だって、最初はきっと、恋情なんて持ってはいなかった。

 少しずつ変わっていった想い。向けられるようになった熱い視線。

 けれどそれが、永遠に続くものだとどうして信じることができただろう。

 もし彼の想いに応えたとして、彼の熱が冷めたとき、ここはミンメイの居場所ではなくなってしまう。

 知らないふりをすることでしか、ミンメイは自分の居場所を守れなかった。

 結局、ミンメイはどこまでもずるいのだ。


「アケヒさんは、ハルウさまのことをよくわかってらっしゃるんですね」

「長い付き合いだ。ダンナに関しちゃ、アンタよりゃよっぽど知ってるさ」


 ふっ、と表情が和らいで、形のいい唇が笑みを刻む。

 その瞳に、氷が溶けていくような、やわらかな光が宿った。

 ハルウに親しみを感じているのだと見て取れる。

 そして、彼はハルウからも同じだけの思いを返されているのだ。

 二人の仲のよさを、ミンメイはこの半年以上の間、傍で見て知っていた。

 だからこそ、こみ上げてくる感情を我慢できなかった。


「悔しいです」

「は?」


 アケヒは目を丸くする。

 そうするといつもより幼く見えて、おもしろい。

 ミンメイは少しだけ溜飲が下がった。


「悔しいですよ。だって、ハルウさまのことならなんだって知りたいって思っているのに。

 まだまだ、全然足りてません」


 ぎゅっ、とジョウロを両手で握る。

 ハルウはミンメイの主で、居場所で、大切にしたい人だ。

 魔界に来てからというもの、いつも彼のことばかり考えている。

 少しでもハルウを理解して、ハルウの助けになれれば。

 それが今のミンメイの生きる意味でもあった。

 ミンメイに居場所をくれた彼だからこそ、力になりたいと思っていた。

 なのに、現実はアケヒに遠くおよばないのだから、悲しいものだ。


「そういうアンタの気持ち、もっとわかりやすくダンナに見せてやんな」

「どういうことですか?」

「ダンナが一番恐れてんのは、アンタに嫌われることだってこと」


 その氷のような瞳には、どこまで見えているんだろう。

 本当に、アケヒはハルウのことならなんでも知っているようだ。


「……そんなこと、ありえないのに」


 こぼれたつぶやきは、不満そうな響きを持った。

 居場所をくれたハルウのことを、ミンメイが嫌うはずなんてない。

 嫌われることを、突き放されることを恐れているのは、ミンメイのほうだ。

 ハルウに無理なんてしてほしくないし、ハルウの恐れはすべて取り除いてあげたい。

 彼の想いを見て見ぬふりしていたのだから、矛盾しているのかもしれないけれど。

 ハルウのためにできることならなんでもしたい。

 それこそが、偽らざる本音だった。


「だからオレじゃなくって、ダンナに言えよ」


 アケヒはミンメイの不満を明るく笑い飛ばした。

 彼の言うとおりだとミンメイもわかっている。

 誰よりも先に、ミンメイはハルウと向き合うべきなのだ。


「ありがとうございます、アケヒさん。

 わたし、がんばってみます」


 ミンメイは笑顔でそう告げた。

 いつまでも知らないふりはできない。

 ハルウに、ハルウの想いに、向き合わないといけない。

 そうしなければ、約束は意味を失ったまま、それでも二人を縛りつける。

 きちんと、一つの答えを出さなければいけないのだ。


 もう、ミンメイは、彼の想いから逃げない。







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