ピッツァ・ラ・コリエーレ〜最高最速のピッツァ宅配員は止まらない〜
「はいよっ! マルゲリータ出るよっ!」
威勢の良い声とともに、石窯の奥からは焼き上がったピッツァが引き抜かれた。
爆ぜる薪の熱を吸い込んだ生地の縁は、不規則に焦げ目がつき、ぷっくりと膨れ上がっている。
その中央では、沸騰した真っ赤なトマトソースの海を、純白のモッツァレラが島のように漂い、ふつふつと溶け崩れていた。
仕上げに散らされたバジルの葉が、熱に触れて鮮烈な香りを昇らす。そこへ、オリーブオイルがたっぷりと回しかけられ、黒胡椒の粗い粒を振り撒いた。
ジュウッ、という官能的な音とともに、オイルとスパイスの香りが店内に充満する。
ゴクリと、喉を鳴らすのは少女。
トマトの様に真っ赤な帽子を被り、動きやすい制服に身を包んでいる。
「頼んだよ。ラ・コリエーレ」
マルゲリータピッツァを大きな丸い箱へ滑り込ませた瞬間、溢れ出す蒸気ごと彼女は「保温の術式」を起動し、蓋を閉じた。
「お任せ。配達先はエトナだね」
少女は軽々とピッツァケースを抱え、店を出る。
「まだ若い男の子達だからね。表のラガーサーバーを一つ、持ってってやんなよ」
眩しい陽射しが注ぐ、麗しの古都カターニア。
街一番のピッツェリアとして繁盛するこの店の名は、マルゲリータ・コリエーレ。
店一番の売りは、マルゲリータ。
そして、コリエーレとは飛脚、あるいは急使を意味する。
「じゃ、いってきます」
それは彼女の愛称でもあった。
ラガーサーバーを肩に担いで、膝を撓める。
瞬間。
疾風の如く駆け出した。
足元の土が隆起する。
足裏が乗せられる前に跳ぶ。
かと思えば、予想着地点は湖へと変わった。
体内術力を起動。
術式の刻まれた道具——術具へ巡る秘蹟。
悪路走行用ブーツの底から、蒸気が吹き出した。それが為すのは救世主の行いし奇跡。
水面を蹴り、ラ・コリエーレはもう一度、中空を舞った。
滑空していくコリエーレ。
その視線が向かうのは、いつだって「お客様」の場所。
かつて一人ぼっちで、お腹を空かせていた彼女と同じ場所。
「その先は、摩擦がない区間が続くから気をつけなさい!」
脳内へと響く、若女将の声。交信の術式だ。
「Va bene! 問題ないわ!」
「上から鳥よっ!」
若女将は雇用主であると共に、優秀なナビゲーターでもある。彼女はピッツァを求める声ならば、交信の理屈を超えて聴き取るのだ。
上を向いたラ・コリエーレは大きく息を吸う。
窄めた唇に、咥えるのは吹き矢。
頭上を覆うのは、月飲みとも呼ばれる巨体な怪鳥だ。
「ピッツァ狙いとは、良い度胸ね! 揚げ鳥!」
鋭く吐き出す息と共に吹き出した矢は、やがて巨大な銀の槍となって、月飲みを貫いた。
堕ちてゆく巨大怪鳥、月飲みだが、別に殺してはいない。
吹き矢の弾丸である槍に、即効性の麻痺薬を塗ってある為だ。
「帰りに回収してあげるから、けものなんかに食われるんじゃないわよ!」
叫ぶ、ラ・コリエーレ。
月飲みはとても味が良いうえ大きいので、揚げ鳥や、焼き鳥屋には非常に喜ばれるのだ。
巨躯が奏でる地響きを背に、ラ・コリエーレはピッツァの水平を保ちつつ、サーバーの泡を立てないように着地する。
同時に次の一歩を刻んだ。
さっきまで「道」だった場所は、すでに断崖となって、せり上がっていた。垂直に駆け上がる。
新山の造成、突発的な湖化。地形の常識が通用しない、大異界、霊峰エトナ火山の気まぐれ。
だが、彼女が案じているのは自分の足場ではない。
——箱の中のピッツァは、まだ踊ってはいないわよね?
五感を研ぎ澄ませ、背負ったケース内のピッツァの姿を妄想する。
熱々で、最高の焼き上がりであった。
どれほど山が荒れようと、ピッツァを斜めにする理由にはならない。
「残り、あとわずかよ! お客様が、熱々のチーズとトマトの香りに反応したわ。心拍、期待値、上昇中!」
若女将の快哉が脳内で跳ねる。
「流石は、冒険者ね!」
ピッツァを愛する者の為、そしてピッツァの為に、彼女は駆ける。
魔銀と呼ばれる高位の冒険者となった彼女だが、本業は|ピッツァ・ラ・コリエーレ《ピザの宅配便》だ。
何故なら、ピッツァの配達員だから。
幼い頃に、お腹を空かせて公園で倒れていた時。
ボクのピッツァをお食べよ。誤発注でね、余っちゃったんだ。と、熱々のピッツァを差し出してくれた、ちょっとだけ嘘つきな憧れのあの人と同じ、|ピッツァ・ラ・コリエーレ《ピザの宅配便》だからだ。
彼女は駆ける。熱々のピッツァを届ける為に。
自分と同じく、お腹を空かせた誰かのために。
摩擦のない、ツルッツルの圧縮された道なぞ、何のその。魔銀位階は、ピッツァ宅配員とは、この地獄の様な秘境からも、一人で生還可能だと認められた、名誉なのだから。
「焼き立てのピッツァは、不可能を可能にするんだからっ!」
「そうよっ! ピッツァならやれるわ!」
ピッツァケースは焼き立てピッツァによる芳しい蒸気によって、既にバンバンに膨らんでいる。
その充満した美味しさの暴力を少しだけ、世界へと晒してやれば。
ピッツァケースを後方へと向けて、空気穴を開いた。
膨大な香りの圧力が、一点にて解放される。
それは差し詰め、ジェット噴射の様に。
縮退星により圧縮された地表を、彼女は滑ってゆく。摩擦がない? 走れない? ならば、滑るまでよと。
無茶も道理も、ピッツァならば解決出来るものなのだ。
「ラ,コリエーレ! その先の大穴の下で、お客様達がお待ちかねよ! そのまま行けるわ!」
若女将が叫ぶ。当然だ。まだ、ピッツァは熱々なのだから。
「そのままなんて、待てないよっ!」
最速で、熱々のピッツァを届けたい。
それは、コリエーレとしての誇りであった。
彼女はピッツァケースとラガーサーバーを水平に保ったまま更に加速して、底の見えない大穴へと飛び込んだ。
食欲をそそる、マルゲリータの芳香を山中に残して。
ガチガチと、剣が地虫の甲殻を弾く乾いた音が響く。
虫とは名がつけど、地虫は鉱物である。
その肉は食えない。石をを啜ったところで、人の腹は膨れやしなかった。
「……なあ、最後によ。何が食いたかった?」
一人が力なく笑う。乾いた唇が、ひび割れている。
「ピッツァ。それと、酒だな。喉が壊れるくらいにキンキンに冷えたラガー……」
「最高だな。……熱々のマルゲリータをつまみに、冷えたラガーか。いいな、それ」
少年達は四人。どの顔も青褪めていて、肌も渇ききっている。
時間の感覚さえも失われたこの暗い場所に、どれ程いるのか。それさえももう、わからない。
「うわ、もう俺ダメかも。幻覚が……」
重く湿った地下の空気に、ありえざるもの。
立ち昇る、暴力的なまでの小麦の焼ける香ばしさ。
沸騰するトマトソースの酸味。脳を直接揺さぶるような、濃厚なチーズの脂の香り。
ありえない。ここは穴の底だ。だが、この香りを知っている。
「あはは……。俺ももう、ダメだわ」
「幻覚……だよな?」
言葉と共に、乾いた笑いをあげる少年達。
涙は流れない。もうそんな、水分は残されていなかった。
だがそこに。
頭上から、光と「匂い」と共に、声が降ってくる。明るい、女の声が。
「はいよっ! お待たせ! マルゲリータお届けにあがりましたー!」
凄まじい衝撃音と共に、少女が着地する。
土煙が晴れた中心。彼女は右手にピッツァケース、左手にラガーサーバーを水平に保ったまま、眩しい太陽の匂いをさせている。
「サービスのラガーもありますよー。熱々のうちに、召し上がれっ!」
ピッツァ・ラ・コリエーレ。
ピザの宅急便。
「……って、何よその顔。早く代金準備しなさいよ、こっちは忙しいんだから」
お客様が望みとあらば、いつでも、どこでにでも熱々のマルゲリータをお届けする、町一番のピッツェリア。
生地の外側はカリッと香ばしく、中は空気をたっぷり含んでモチモチとした弾力をしている。
じっくりと煮詰められたトマトソースが、パレットに広げた絵の具のように鮮やかに広がって。
フレッシュバジルの葉が、オリーブオイルと共に、熱で香りを放ちながら彩りを添えている。
躍動するトマトの鮮烈な赤、とろけるモッツァレラの純白、そして芳醇に香るバジルの緑——。
香ばしくもモチモチとした黄金色の生地の上で、ビタロサの情熱が三位一体となって弾ける、究極の|Bellezza semplice《飾らない美》。
「ちょっとー。お代は?」
ラガーサーバーへ駆け寄り、キンキンに冷えたラガーを生命の水の様に煽る少年達へ、彼女は営業用でない、平坦な声を出す。
慌てて一人が懐から現金を取り出して、彼女へと渡した。領収書を作成するラ・コリエーレ。
「まいどありー。ラガーばっかじゃなくて、熱々のうちに、ピッツァも食べなよね。ウチのマルゲリータは最高なんだから」
明るい声音に戻った彼女は、上を、空を見る。周囲には、垂直な壁。
「んじゃ、またねー。今度はこんな辛気臭い場所じゃなくて、お店に食べに来なよ」
その壁を、彼女は駆け上る。
「ラ・コリエーレ! 次の注文が入ったわ! 行き先はパレルモ、お客様は——」
「Va bene!」
彼女は駆ける。異界を抜け、街道を進み、街へと。若女将の焼き上げる、極上のピッツァを受け取る為に。
「なぁ、救助じゃねーの?」
「ピッツァうめぇ!」
「おい、抜け掛けしてんじゃねぇ!」
暗い穴の底。少年達の疑問は、ラガーとピッツァによって、掻き消されてしまった。
駆ける。駆ける。
ラ・コリエーレは駆けていく。
何故なら、誰が何と言おうと彼女は、|ピッツァ・ラ・コリエーレ《ピザの宅配便屋さん》なのだから。
最高の一枚を届けるためなら、異界の奥でも、地獄の底でもどこだって、ただの通り道に過ぎないのだから。




