第2話 アンジェラと?のメモ(2024年 秋)
台所でせかいをかえる
Revolution Starts in DAIDOKORO
第2話 アンジェラと?のメモ(2024年 秋)
◇◇◇
旅のあいだ、ずっと気になっていた――
アンジェラ。
初心者でも育てやすいと聞いて購入したバラだったが、
ここ十数年、忙しい時間を縫って庭の手入れを続けてきた
伸子 にとって、
この花は特別な存在だった。
◇
ただ、あの長旅に出るときのことを思い出すと、
ちくりと胸が痛む。
まだ芽吹いてもないアンジェラのこれからを思うと、
どうしようもない悲しみがこみ上げ、
伸子は旅に出るのをためらったほどだ。
「この子、ちゃんと花を咲かせるのかしら……」
◇
しかし、戻ってみれば、アンジェラは元気に咲いていた。
それは、きっと娘の**未希**が世話をしてくれたおかげだろう。
伸子は微笑みながら、ふと台所横の本棚に目をやる。
そこには見覚えのない一冊の本が置かれていた。
『初めてのバラ 気軽に楽しく満開に。』
「未希が買ったのかしら?」
◇
手にとると、『?』とだけ書かれたメモがはさまれていた。
まるで謎かけのようなその紙片。
左端には、春の風景に囲まれた小さな家のイラスト。
――**響香**にもらったメモ帳の一枚だ。
たしか、好きな絵本のイラストだと言っていたっけ。
日常のなかの、ほんの些細なメモが、一日の心を支配する。
そんなこと、よくある。
未希ったら、
「これ、大事にしてるメモ帳なの」
と言っていたのに。
「勝手に使ったのね……」と思わずつぶやく。
◇
ふと、しばらく会っていなかった響香の顔が浮かんだ。
そういえば――こっちに戻ってきたこと、まだ連絡していなかった。
『?』のメモを裏返すと、未希の字で【強剪定】とかかれていた。
「そういうことね。」
伸子は、【? 強剪定】の四文字で、
未希がアンジェラを大切にしてくれたんだなと思った。
「ありがとう。未希。」
そう呟いて、メモを食卓に置き、改めて本をめくる。
◇
1ページ目。
右には、著者がバラの手入れをしている絵。
見覚えのある、誠実そうな横顔。
左に「はじめに」とあって、こう書かれていた。
バラはお手入れした分だけ、たくさんの花を咲かせてくれる植物です。
その感動は育てた人だけの特権です。
剪定などの手間はかかるものの、
バラと向き合うお手入れの時間は、慣れれば楽しいひとときになってくれます。
完璧でなくても大丈夫。自然と向き合うバラの栽培は、
プロでも毎年うまくいくとは限りません。
そんな失敗も含めて楽しむことが、
バラとの喜びを深めてくれるのです……。
何度も聞いた、その語り口が、
まるで懐かしい声のように、伸子の頭に流れ込んできた。
◇
本の裏には『世界をもっと、ばら色に。』の文字。
大きなバラの写真が添えられている。
伸子はそっと、溜息でもない、深呼吸でもない、
ゆるやかな一呼吸をして、アンジェラのページを開いた。
『たいへん優秀な返り咲き性で、枝の伸びるスピードはゆるやか。じっくり育てたい。』
「そうね。」
アンジェラは1984年、西ドイツで生まれた品種だという。
その頃は、ベルリンの壁のある冷戦の真っただ中――。
そう思うと、カップ咲きのかわいい小輪花が、
いっそう愛おしく感じられた。
「アンジェラのおかげで、私も幸せだわ。」
◇
伸子は微笑みながら、もう一度、窓の外のアンジェラに目をやった。
家族の日常の中で、この花が咲き続けてくれることが、
今日の彼女にとって何よりの癒しだった。
玄関には、子ども用の小さな軍手が、
少し泥のついたまま置かれている。
薔薇の前に立つ未希と**凛**の姿を思い浮かべながら、
その軍手をそっと下駄箱にしまった。
――この一年で、どれだけ大きくなったのかしら。
自然と、もう一度、微笑みがこぼれる。
◇
それから、響香にアンジェラと台所の写真を送った。
「色々見たけど、世界で一番素敵なところは、やっぱりここね。」
と、コメントを添えて。
◇
一方そのころ――。
伸子の二女・未希は、江別の自宅で、
二年前に母と一緒に作った紙芝居を、
日本ハムファイターズのロゴが入った青い袋にそっと詰めていた。
人形のキュンちゃんとシマエナガちゃんにも、
「一緒にいこうね」
と声をかけながら、その袋の中へ入れる。
小学1年生になった凛は、お気に入りのバッグを持ちながら、
「北広島で待ち合わせだね」
と嬉しそうに言って、お泊まりの準備を進めていた。
◇◇◇◆◇◆◇◆
これからのお話 予告
第3話 未希の物語紙芝居
『しまえながちゃんときゅんちゃんによる水の話』
第4話 未希の物語人形劇
『しまえながちゃんときゅんちゃんによる水の話』
第5話 栗丘の丘から〜静けさと再会の手前で(2023年春)
◇◆◇◆
【後書き】
資料ノート
アンジェラ:1984年、ドイツ・コルデス社による作出のバラ。
愛らしいピンクの房咲きが特徴。
出典:「初めてのバラ」
著者:松尾祐樹氏(園芸家)
「まつおえんげい」四代目。草花からバラまで幅広く精通。
NHK『趣味の園芸』やYouTube「ガーデンちゃんねる」などでも人気。




