『ガス化ポーション』と観劇
今日は演劇の観覧に来ている。
ちょっと着飾った平民からお忍びの貴族様までが気楽に楽しみに来ることができる劇場が王都にはいくつかある。この劇場は中ランクで観劇料もそこそこするところから裕福な平民から中流の貴族が来るようなところである。
私もいつもより着飾って襟元と袖口に刺繍を施した空色のワンピースに短いベストを合わせている。
観劇の演目は「騎士と口うるさい相棒」という「気弱でうだつの上がらない青年騎士が毒舌で皮肉屋の喋る剣と悪い魔法使いを倒す冒険の旅」というコメディである。
幕間の休憩時間、軽食を済ませる者やお手洗いを使用する者で込み合う通路を抜け、ボックス席のある三階の階段に向かう。階段の手前の警備の者に事前に受け取っていた書状を見せればしっかりと目を通した後、通過を許可される。
三階に上って一、二階より空いている廊下を進み、教えられていたボックス席の扉に向かうと、先ほどの劇場の警備とは違う貴族の護衛が立っているので同様に書状を見せ通してもらう。
少し緊張しつつ開けてもらった扉を抜けると中には四人の人物がいた。
入ってすぐ目の前にはビシッと執事服を着こなした四十代の男性、私の全身を油断なく確認し納得すると脇に避ける。その身のこなしは相当の使い手であることが伺える。
その先には観劇用の豪華な椅子に座った親子がいる。
父親のディーン・ランドン侯爵は三十代後半、栗色の髪をきれいに撫で付けプライベートな観覧の為か、多少ラフな格好であるが首筋を凛と引き立てた様は、彼が生まれ持った地位と、それを守るための厳格な意思そのものを表しているようだ。
娘のアリソンは成人したと噂で聞いているので十六になったところであろう、父親とは違う輝くような金髪を纏め、ぱっちりした目は少しつり目がちで意志の強さを感じさせ顔立ちも整った美しい少女である。侍女が頑張ってのであろうが「ちょっと良いところの商人のお嬢さん」風の服装ときらめく金髪と美貌がちぐはぐで可笑しなことになっている。
それとは別に壁際に「ちょっと良いところ商人のお嬢さんの護衛」風の服装の二十歳くらいの男性が立っている。こちらは顔立ちには特に特筆することはないが、体は服の上からでも鍛えられたものであることが分かり、腰に剣を帯びている。
非公式な場である為、私は黙って軽く腰を落として挨拶をする。
親子二人が立ち上がり、侯爵が挨拶を返してくる。
「ようこそ、いらっしゃった。メリッサ嬢。早速で悪いが商談に入らせていただこう」
幕間も終わって舞台では喋る剣の声が響き、笑いを誘っている。
まだ終幕には時間があるが早々に始めるなら、色々しなければいけないことがあるのでそれに越したことはない。
「分かりました。侯爵さま」
執事が観覧用とは別の奥まったところに設置された椅子に侯爵と私を案内し、私たちは小さいテーブルを挟んで座る。
アリソン嬢は緊張した様子で黙って父親の後ろにおり、今も椅子に座った父親のすぐ後ろに立っている。
通常、貴族様が買い物をする時は希望の物を事前に知らせ、商人を館に呼ぶものであるが時に『人に知られたくない物』である時がある。それが別に人様に言えない物でなくとも魔法古物商を招いたなど、どんな教育の行き届いた貴族の家であろうとわざわざ使用人に見せる必要もない。秘密は知るものが少なければ少ないほど良い。
私は手持ちのおしゃれな『小袋』から『人に知られたくない物』と鑑定書を出し侯爵の方に押しだす。
「こちらがご所望の品でございます」
すっと執事がテーブルに近づき、私の置いた大ぶりのネックレスが入るほどの宝石ケースを手に取り表裏を見て、蓋を開け、中から『アンプル』を手に取り光にかざし確認する。『封』の記載と鑑定書の方にも目を通し確認した後、『アンプル』を宝石ケースに戻し蓋を閉めテーブルに置く。
「問題ございません」
鑑定書もテーブルの上に戻すと執事は再び、脇に控えるようにテーブルを離れた。
はしたないと怒られることを気にしてか遠慮気味にのぞき込んでいるアリソン嬢の様子が微笑ましい。
侯爵様は無言で執事の様子を眺めていたが、執事が離れると話し始めた。
「ご苦労だったね。こんなに早く入手できるとは正直思ってなかった。連絡を貰っていた額でいただこう。それにオプションの方もフルで付けて貰うことにするつもりだが、これは娘用のものになる。取り扱いの注意事項やオプションの説明を本人にして貰おう」
侯爵は私をまっすぐ見て話した後、後ろに控えているアリソン嬢に席を譲って自分は少し離れた椅子で様子を見るようだ。
「よろしくお願いいたします」
アリソン嬢は椅子に座るとしっかり顔を上げて私の目を見る。今まで魔法の品をプレゼントされたりする事はあったのだろうが、自分で購入の手続きをするのは初めてなのだろ緊張した面持ちである。母親は既になく、兄弟もいないことから次期侯爵もしくは婿を取り侯爵夫人となる。ともかくそのための経験を積ませるつもりなのだろうからしっかりと説明をする。
「よろしくお願いいたします。ではまずこちらの『ガス化ポーション』の取り扱い方法からご説明させていただきます」
宝石ケースと鑑定書を脇にずらし、おしゃれ『小袋』から中身が薄い赤色の色水が入った説明用のアンプルを二本出しテーブルに置く。
「こちらのアンプルは頭の括れ部分を折って、中身を一気に飲み干してください。容量は30mlほどですが全部飲まなくては効果が発揮されません。実際の『ポーション』には紙の封がありますが封ごと折ってください。」
本当はアリソン嬢位の体格なら20mlで効果が出るだろうが、中途半端に呑んで効果が出ないと問題なのでここは嘘を付いておく。侯爵さまも執事も嘘と解かっていると思うが何も言わないのでそのままにしておく。
アリソン嬢の目の前で分かりやすいように説明用のアンプルの括れを折り一気に飲み干す。イチゴ味を付けていたので甘くて口の中が幸せになる。ちなみに折っても細かいガラス片は発生せず、ぽっきりきれいに折れる仕様である。
アリソン嬢は黙って聞いているが目がちょっと泳いで不安そうである。
「どうぞ。試しに折ってみてください。中身は口にしないでください」
説明用のもう一本を指し出して試すように促す。
「はい。ありがとうございます」
アリソン嬢は素直に頷き、人生で初めてアンプルを折るという体験をした。
思ったより簡単に折れたことに拍子抜けしたのか、そのまま中身を興味深げに覗き、テーブルに置く。
「零れてもいけませんので」
アンプルの中身のイチゴ風味水を私が飲んでしまうと、アリソン嬢が思わず声を上げた。
「あ‥、」
どうやらイチゴ風味水に興味があったようだが、貴族のお嬢様に私が作った飲み物を飲ます訳にもいかないので許してもらおう。
聞かなかったことにして話を進める。
「お嬢さまですと一気に30mlを飲み干すという事はなさったことが無いと思います。いざという時に咽てしまって呑み込めないと問題ですので、日ごろから練習しておくことをお勧めいたします。例えば毎夜、寝る前にお水で五回飲むとか習慣付けて練習されるのが良いかと思います」
しきりに頷きながら聞いてくれているアリソン嬢のしぐさがちょっと可愛い。
「それから保管方法ですがこの『ポーション』のアンプル自体に括れを折ろうと思って折らない限りは折れない『衝撃保護』の魔法が掛かっておりますのでご安心ください。では、次に実際に飲んだ時の効果を説明させていただきます。『ガス化ポーション』は飲むと体がガス化しどんな小さな隙間も通り抜け、飛行できる能力を身に付けられます。ただし、服や装飾品等、自分の体以外の物は全てすり抜け落ちてしまいます。」
効果を事前に聞いてはいたのだろうが、改めて聞かされアリソン嬢の目がひときわ大きくなる。
「『ガス化』すると雲状になりますが見たり聞いたり喋べったりする事はできます。また、人が速く走るくらいの速度で飛ぶことができます。殴る斬る等の物理攻撃は効かなくなりますが、魔法攻撃もしくは魔法のかかった武器による攻撃は効きますので注意ください。あくまで非常退避用に道具である認識で、ご使用になった時は速やかに安全地帯に逃げてください。何があろうと優先すべきは御身であることをお忘れなきよう」
「質問をよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「事前に聞いていましたので、非常退避用の道具であることは承知しております。ですがとても強くそこを強調されている様に聞こえました。何か理由があるのでしょうか?」
この質問に素直に答えていいか、侯爵の顔色を確認するとそのまま話すようにという顔なので続ける。
「これは実際に起こった事件ですが、ある貴族様の奥様とお子様が馬車でお出かけをしている時に賊に襲われました。奥様は一つだけ持っていた『ガス化ポーション』をお子様に飲ませました。飲ませる前にガス化したら、屋敷に飛んで帰りなさいと、お父様のところに行きなさいと何度も言ってから飲ませました」
アリソン嬢は息も止まったように聞いている。
「ですが、お子様は母親を守るようにそばを離れませんでした。母親が凶刃に倒れた後も亡骸に縋り付くように。さらに悪いことに、賊には魔法使いがいてそのガス状のお子様に『魔法の矢』を放ったのだそうです。‥‥お父様が知らせを受け、現場に付いた時に見たのは重なるように倒れた妻と生身に戻って息を引き取っている息子の姿と近くに倒れた瀕死の侍女だったそうです」
アリソン嬢が生つばを飲み込んだ様子である。
少しアリソン嬢が落ち着くのを待つ。
「このような事件もあり、判断能力がしっかり育ってから、即ち成人してから子供に持たせるというのが高位の貴族さまの間では常識となりました。また、使用したならば即座にその場を離れ、安全な場所に避難するということの徹底も併せて教育されます」
アリソン嬢が侯爵さまの方を伺い、侯爵さまも無言で見つめ返す。
「分かりました。使用時は何があろうと速やかに安全な場所に避難いたします」
「ガス化している時間は一時間ほどです。安全な場所に付きましたら、よくよく周りを確認してから実体化してください。念じればガス化を解いて実体化できます。一度、実体化しても一時間以内なら再びガス化できますが、安全な場所に着いたのなら再度、ガス化して移動するのはお勧めしません。不安になると思いますが、その場で救助を待つのが最善と思われます」
そんな時に救助に来る役のアリソン嬢の護衛は壁際に控えて話を真面目な顔で聞いている。
「では、次にフルオプションという事でしたのでそちらを説明させていただきます。まず、侯爵さまの方でご用意されているセーフハウスが使用できないような状況になった時に使用できる、侯爵家のどなたも関知していないセーフハウスをこちらでご用意いたしました」
即ち侯爵家の中に裏切り者等がいて誰を「裏切り者」で誰が「裏切り者でない」のか分からない状況に陥ってしまい下手に侯爵家で用意したセーフハウスを使えない時に侯爵家の誰も知らないセーフハウスをこちらが用意しておくという事である。
ここにいる五人の以外に知る者のいないセーフハウスである。
「こちらが用意したセーフハウスは既にお持ちのセーフハウスとは違って、平民街にございます。状況によっては貴族様の恰好では行動するのに支障がある場合もありますので平民の服なども用意する必要があります。この後、街の案内も兼ねて買い物をいたします」
アリソン嬢を一度見やって、おしゃれ『小袋』から唾広のちょっとおしゃれな帽子と太めの白いリボンを出す。
「買い物に行く前に失礼します」
アリソン嬢の許可を得て、きらめく金髪を最近街で流行っている太い一本の三つ編みに白いリボンを編み込んでまとめ、帽子を深めに被ってもらう。
演目はクラマックスが近くなってきたのか喋る剣と騎士のやり取りが盛り上がりを見せている。
「では、支払いを済ませ、後の案内は任せることにしよう」
侯爵さまに売買契約書のサインのみお願いし、後は執事と売買契約書、鑑定書、商品、代金、セーフハウスに置く品々のやり取りを行いおしゃれ『小袋』に収める。
アリソン嬢はこのやり取りも珍しいようでしっかり観察しており、さぁ出かけましょうという段階で初めてアリソン嬢の護衛の名前を執事がマイケルだと紹介された。
全員、身支度を整えて出られる支度が出来たころにはクライマックスが来ている様で喋る剣が朗々と語っている。
侯爵さまと執事が先にボックス席から出て外の護衛と合流し、私とアリソン嬢、マイケルは少し間を空けてからこっそりボックス席を後にした。
三人で観劇客の混雑が始まる前の劇場を出るとプラタナスの街路樹がある大通りを渡り、一本向こうの中通りまで歩く。黙って付いてきてくれる二人を引率し中通りで二台やり過ごし三台目の辻馬車を捕まえ、平民街へ向かってもらう。
馬車に乗り込みちょっと息をついたが今日の仕事はこれで半分、さああと半分、頑張りましょう。
次回は明日16:00頃に更新予定です。




