アンダー・プレッシャー
春の終わり、町からひとりの少女が姿を消した。アムとロミーも、誰にも告げずに静かに姿を消した。誰もが彼女たちの行方を探し始めたが、手がかりは何ひとつ残されていなかった。
少女の母親は毎日、町中を歩き回り、警察にも何度も足を運んだ。スーパーの掲示板や電柱には『行方不明』の貼り紙が増え、母親はすり減った声で、「お願いします、娘を知りませんか・・・。」と道行く人に声をかけていた。
父親は会社を休み、何度も町外れまで車を走らせた。夜中には部屋でスマートフォンを握りしめ、SNSに「娘を返してほしい。」と投稿した。
しかし、町の空気はどこか冷めていて、貼り紙の前を誰も足を止めない。警察の調査も形だけで、新しい手がかりが見つかることはなかった。・・・というのも話自体は通していた為、実際の所は把握されている。
やがて、母親は過労で倒れた。
父親も無言で病院の廊下を歩き続ける日々が続いた。
『価値ある情報運動』は最初こそ「少女を探せ」と声高に叫んでいたが、次第に熱が冷め、参加者たちは別の新しい活動や議論に移っていった。「やっぱり祈りに頼るのは危険だ。」「今こそ情報を厳選すべきだ。」そんな声だけが空回りし、かつての熱気はどこかへ消えていった。
「・・・妙な金の動きが露呈したみたいだな。」
「そんな事だったか、資産家は懲りない・・・資産家?」
「どうかしたか?」
「以前授業に出た資産家だけど、会った事はある?」
「・・・人伝になら。」
「妹・・・って事ね。」
「・・・そうだ。」
ロミーがスマホを見せる。
「アナリティクスが妙に伸びてるんだけど、資産家が公開してるアナリティクスとほぼ同じ形が自分の視聴者層に加わっているの。若年層の増加はアムちゃ・・・ユリのおかげで増えたのは分かるけど。」
「誰がアムちゃんだ・・・確かにそれ抜きにしたら資産家の視聴者層の数値だな。」
「で、妙に配信回数がユリの登場以降減ってるの。」
「太いおじが入ってきたな。」
「その言い方やめなさい、ユリの時でもそのサービスは許さないわ。」
「資産家が殺した人物は、貴方の妹って事なんじゃない?」
「・・・は・・・?」
「辻褄がやたら合うのよ。殺した筈が生きてる様に向こう側は見えるし、以前助けた子は似てるし。」
「・・・待てよ、そんな筈が・・・。」
「あの神は、問答無用で殺すわ。殺意ではなく、利益を重視した時に。邪魔な人間を不意に殺し、罪悪感も達成感も残さず、安定させる。」
「・・・ダメだ、ロミー。」
「・・・ごめんね、でも、これを切り札にされたらダメだから、先に切っただけ。ワクチンみたいなものよ。」
「・・・覚悟はしておく。」
一方で、他の新しい運動や運営団体が、競うように「正しさ」を主張しはじめた。
「もっと公平なシステムを」「感情よりも結果を重視しろ。」
SNSやニュースには、次々と新しい“主張”や“流行”が現れては消えていく。
あくまで冷静な判断ではなく、流行の結果である。
町の人々も、事件や噂に疲れ果て、
次第に少女とその家族のことすら忘れていった。
だけど少女の両親だけは、どんなに疲れ果てても、どんなに絶望しても、「娘を見つけるまでは終わらない。」と信じ続けていた。
そしてどこか遠い場所で、アム、ロミー、少女は、誰にも見つからないように息を潜めて生きていた。
少女の失踪から数日が過ぎても、親の捜索は止まらなかった。母親は家の中のどんな小さな物音にも耳を澄ませ、誰かが郵便受けにチラシを入れる音にも「もしかして」と玄関に飛び出した。台所には手つかずの食事が並び、母親は食べることも眠ることも忘れて娘の名前を呼び続けた。
警察からは「新しい情報が入り次第ご連絡します。」という定型文の電話が毎日入った。だが何も変わらなかった。町内放送で流れる「行方不明のお知らせ。」も、
やがて人々の耳に届かなくなっていった。
父親は古いアルバムやノートを持って町内を歩き回った。近所の交番、コンビニ、駅、すべての掲示板に写真を貼った。
「最近、娘を見かけませんでしたか。」
誰もが最初は同情の眼差しを向けたが、数日も経てば「まだ見つからないんですか・・・。」とため息交じりに返されるようになった。
母親はある朝、駅前で倒れ、救急車で運ばれた。病院のベッドに横たわる彼女は、点滴のチューブを外してでも「娘を探しに行かないと・・・。」と涙を流した。父親は病室の椅子に座ったまま、夜が明けるまで窓の外を見つめていた。
「消耗戦だな。」
「ごめんね、会いにはいけるでしょうけど、多分見張られてるわ。」
「ロミーの言う事が本当なら、資産家は君を狙っている可能性が高いし、この運動を扇動した人物が資産家の可能性もある。」
一方、町の空気は確実に変わっていった。
『価値ある情報運動』のグループチャットには「結局は個人の責任だ。」「親が甘やかしすぎた。」「いなくなったのは仕方がない。」そんな冷たいメッセージが増えていった。議論はすぐに「祈り依存の危険性」「これからはデータとロジックだ」という方向にすり替わる。それと同時に、人々は離れていく。
近所の子どもたちは、かつて少女と遊んでいたことすら口にしなくなった。「今は新しいゲームの方が流行ってるし。」「そういえば最近あの子見ないね。」大人たちも、週末のスーパーや集会で事件のことを話題に出すことは減っていった。しかし、心の中では後悔が残った。
その空白の時間の中で、
新しい運動や価値観が次々に生まれては消えていった。「公正さ」や「合理性」を掲げるグループが現れ、「運動は冷静にすべきだ。」「感情で騒ぐ時代は終わった。」そんなスローガンがSNSに並ぶ。
一方、少女の両親だけは、体も心も限界に近づきながら、「必ず見つける。どこかで生きていると信じている。」そう言い聞かせるように毎日を過ごしていた。
少女とアム、ロミーは遠く離れた病院で息を潜めるように暮らしていた。家族も町も、誰も自分たちの居場所を知らなかった。だが、それぞれの心には、消えない痛みと罪悪感が残っていた。
ロミーは毎晩、スマートフォンで親たちの安否を確かめていた。アムは部屋の片隅で何度も「これ以上は負担になる」と少女を止めた。
少女は夜になると、夢の中で自分の家族を呼び続けていた。
外の世界はどんどん新しい価値観や流行を追い求めていった。だが、この三人の時間だけが、静かに、重く、止まったままだった。
少女が姿を消してから、町のカレンダーはゆっくりと、しかし確実に日付を進めていった。数週間が経つ頃には、「行方不明事件」はもはや町の新しい日常の一部となり、ポスターや張り紙も色褪せて、雨風に晒され、やがて誰にも見向きされなくなった。
少女の母親は退院した後も、自宅と町中を毎日のように往復していた。誰かに呼び止められるたびに頭を下げ、「どんな些細な情報でも・・・。」と懇願する。だが、返ってくるのは「今は忙しいので・・・。」「もうあれから時間が経ちましたし。」どれも無関心と遠慮の混ざった返事だった。
父親は会社に復帰したものの、仕事中も娘のことが頭から離れなかった。深夜のコンビニでコピー機の前に立ち尽くし、行方不明のチラシを何十枚も刷る。その指先は震え、目の下の隈は日に日に濃くなっていった。
ご近所でも、最初は心配する声が上がっていたが、新しい話題が出るたびに関心は薄れ、「そういえば、あの子どうなったんだろう。」「今頃どこかで暮らしてるのかしら。」話題は長続きしなかった。
町の掲示板には新しい張り紙やイベントのお知らせが重なり、少女の写真は徐々に紙の下に埋もれていった。
一方、メディアやネットの空気も大きく変わっていった。『価値ある情報運動』は分裂と消耗を繰り返し、「次の社会改革を」「今こそ知識偏重から脱却を」と新たな運動が立ち上がる。ニュース番組ではコメンテーターが「今後の社会は合理性と共感のバランスが必要です。」と語る。
けれど、その言葉もすぐに忘れ去られ、SNSのトレンドはすぐ別の流行や炎上に飲み込まれていった。
家庭の中でも、少女のいない日常がゆっくりと固定化していった。母親は料理の味付けを間違えても誰にも気づかれず、父親は食事の時間に間に合わなくなっても咎められなかった。食卓の椅子は三つのままだが、一つだけ誰も座らなかった。
少女の部屋は手付かずのまま残されていた。
ベッドの上には、読みかけの本と、家族写真が置かれていた。
ロミーは配信活動をメンバー限定に制限し、過去動画もメンバーだけが確認出来る様にした。
「ロミーの親はいいのか?」
「え?ああ、海外出張よ。」
「こっちも海外出張だな、地獄は海外扱いで良いか?」
「海外というより川の外ね。」
アムは毎日、日記に短い文章を残していた。というより痛みで書くことが出来なかった。少女は窓から差し込む光をじっと眺めていた。夢の中で、両親の声や家の匂いが何度もよみがえった。
「もう一度だけ家に帰りたい。」
その願いは誰にも口にできなかった。
「もし、戻れば家族の誰かが狙われるぞ。ロミーの悪巧みに精一杯力を割くのがこっちの仕事だ。」
町も社会も、確実に新しい時代へと流れていく。新しい運動が始まり、古い事件は思い出の底に沈んでいった。でも三人だけは、止まった時間の中で、お互いの存在だけを頼りに静かに息をしていた。
少女の家では、時計の針がただ虚しく音を刻み続けていた。朝になると、母親は娘の部屋のドアを開け、ベッドのシーツを整え、机の上に小さな菓子パンを置いた。「いつか、ふらっと帰ってくるかもしれないから・・・。」そう自分に言い聞かせながら、窓を開けて新しい空気を入れた。
父親は、会社での同僚たちの沈黙がますます重たく感じられるようになっていた。以前は「心配ですね」「早く見つかるといいですね」と気を遣う声があったが、今は誰も娘の話題に触れなくなった。昼休みのカフェで独りカップを握りしめながら、スマホで何度も警察や地域掲示板をチェックする日々が続く。
母親は時折、玄関のチャイムが鳴るたびに全身を強張らせた。訪問販売、町内会の書類、宅配便――どれでもない娘の気配を求めて。病院で受け取る薬袋が増えるたび、「これが本当に現実なんだろうか・・・。」と何度も心の中で問い返した。
一方、社会の流れは完全に変わっていた。町の広報板には『新生活支援』や『イベント告知』の張り紙が目立つようになり、行方不明事件の貼り紙は人々の目線の外に追いやられていた。
新しい『運動』や『情報共有会』が立ち上がり、「これからはデータ分析とAIを駆使して町を良くしよう。」「無駄な感情論は排除しよう。」などという理想が声高に語られる。
けれど、実際には町の人々の表情にはどこか諦めと疲れがにじんでいた。「もう昔のことだよ。」「誰も悪くなかったんだろう。」そんな曖昧な総括で、誰もが過去と距離を取り始めていた。
少女の両親は、そんな流れの中でもわずかな希望に縋り続けていた。母親は日記帳に毎日「今日も会えなかった。」と短い言葉を記す。父親は夜ごと、娘が好きだった場所を歩き、何か手がかりが落ちていないか探し続けた。たまに町外れの川原で空を見上げ、涙を堪えて背筋を伸ばした。
時折、アムは部屋の隅でノートを広げ、
「このまま逃げ続けて、本当に意味があるのか・・・。」と無言で書き綴った。
ロミーは少女に「眠れた?」とさりげなく声をかける。
少女は黙ってうなずくだけだった。
部屋のカーテン越しに差し込む夕日が、
三人の影を長く伸ばした。
世界がどんどん遠ざかっていくような感覚だけが、
日々、静かに積み重なっていった。
少女の母親は、もう何日も外に出られなくなっていた。
薬の副作用で立ちくらみが続き、リビングのソファで目を閉じて過ごす時間が増えた。
けれど、その耳は玄関の物音を逃さなかった。
郵便受けに何かが落ちるたび、無理やり体を起こして確認しに行く。
新聞やチラシしかないと分かっていても、それでも期待せずにはいられなかった。
父親もまた、家ではほとんど口をきかなくなった。
会社の同僚からも、少しずつ距離を置かれ始めた。
かつては「娘さんの件で何かできることがあれば」と声をかけてくれた人も、
今ではただ視線を落とし、小さな会釈をするだけだった。
夜になると、母親はかつて少女が好きだった絵本を開き、
ページをめくりながら声に出して読んだ。
「早く帰っておいで・・・。」
その声が誰にも届かないことを知りながら、
何度も同じ一文を繰り返していた。
ある夜、母親はとうとうベッドから起き上がれなくなった。
病院の天井を見つめながら、
「私はあの子にちゃんと向き合えていたのだろうか・・・。」
自問自答を繰り返す。
父親は帰宅後、ただ一人台所で手を組んで祈った。
町の空気はますます冷えていった。
『価値ある情報運動』の残党グループは、
「かつての事件を再検証しよう」「情報の真偽を見極めろ」とSNS上で再び活発になった。
けれど、そのほとんどは“過去”にすがり、責任の押し付け合いに終始するものだった。
新しい運動や価値観が次々に立ち上がる一方で、
かつての事件を振り返る声がときおり浮かび上がり、すぐに流れの中へ消えていった。
町の住人たちも「また何か起きたのか?」「そろそろ終わりにしないとな・・・。」と、
表面的な関心だけを残して日常へ戻ろうとした。
遠い町の小さなアパートでは、
アム、ロミー、少女の三人がひっそりと暮らしていた。
三人とも、日々の生活の中で、ほんのわずかだが新しい感情に気づき始めていた。
アムは毎朝、窓の外の空を見上げるたび、
「いつかきっと、この空の下に戻る時が来る。」
そんな思いをかすかに抱いた。
ロミーは小さなノートに、今の生活や感じたことを書き留めていた。
「今日も家族が無事でよかった。」「誰かの声を聞くことができた。」
その一行一行が、失われた日常の断片を埋めていく。
少女は夢の中で、何度も家族と再会する。
けれど目が覚めると、涙をこぼしながら、
「今日も生きている。」と心の中で呟いた。
社会は新しい価値観と運動の波に洗われ、
人々の記憶はどんどん薄れていく。
だが、三人と少女の両親だけは、
まだ“あの日”を越えることができず、
それぞれの思いと傷を胸に、静かに明日を待ち続けていた。
春が過ぎ、夏の気配が町を包み始めても、少女の家には変化が訪れなかった。
母親は病院のベッドでカレンダーの数字を指でなぞり、
「今日は何日だったかしら・・・。」と小さな声でつぶやいた。
父親は、朝食の席で無言のままコーヒーを飲み干し、
空っぽのカップを見つめる時間がどんどん長くなっていった。
家の中の時計は、壊れても誰も直そうとしなかった。
食卓の椅子は、相変わらずひとつだけ空いたままだった。
町では、少女の話題が完全に消えていた。
新しい祭りやイベントの話で持ちきりで、
「去年の今ごろは事件があったんだっけ?」と、誰かが何気なくつぶやいても、
「もう昔のことだよ。」と簡単に流されていった。
それでも母親は、夜が明けるたびに「今日も待つ。」と心の中で繰り返した。
父親も仕事帰りに、娘が好きだった公園のベンチで夕焼けを見つめる習慣をやめなかった。
「帰ってきても、きっと何も聞かないでおこう。」
そんな静かな決意が、胸の奥でゆっくりと形になり始めていた。
一方、遠く離れたアパートの部屋では、
アムとロミー、そして少女が、
少しだけ日常らしい時間を取り戻し始めていた。
最初は誰も話そうとしなかったが、
ある朝ロミーがパンを焼いて、「朝ご飯、みんなで食べよう。」と声をかけた。
アムは戸惑いながらも席につき、
少女もおそるおそるテーブルに座った。
「いただきます。」
たったそれだけの言葉が、
どれだけ遠い場所から戻ってきたものか、三人は互いに分かっていた。
窓の外では、セミが短い夏を謳歌していた。
三人の会話はまだぎこちなく、笑顔も続かなかったが、
食卓の上にはほんの少しだけ、
昔のような温もりが戻り始めていた。
社会は新しい流行とニュースに夢中で、
三人も少女の家族も、まるで時の狭間に取り残された存在のようだった。
けれど、それぞれの場所で、それぞれの思いを手放さずにいた。
母親は夜、窓の外の星を見上げて、
「あなたがどこかで元気でいますように・・・。」と
声にならない祈りを捧げた。
父親もまた、古びた家の玄関で、
娘の靴が戻る日を想像しながらそっと靴箱を磨いた。
アムは窓際の小さな観葉植物に水をやり、
「明日は少し外に出てみようか。」と自分に言い聞かせた。
ロミーは新しいノートに、
「ここから、少しずつ前へ。」と一行だけ書いた。
少女は初めて、朝の光の中で目を覚まし、
「今日もちゃんと生きている。」と、
小さく微笑むことができた。
過去の重さも、孤独も、簡単には消えなかった。
だが、静かな再生の気配が、
ゆっくりと三人と家族の周囲を満たし始めていた。
さぁ、物語を覆そう。
ロミーはこの日の為に手を尽くした。
「よくぞ耐えた、少女・・・ちょっと待って結局名前なんだっけ。」
「個人情報はノータッチで、小ロミーでいいだろもう。」
「小ロミーですよろしくお願いします。」
「なんだかんだ仲良いわよね。」
「妹みたいで仲良くなるしかないんだ。」