神引き
翌日、学校帰りに無理矢理手を引かれた。どうやら緊急らしい。それも厄介なタイプの。夕暮れの気配が部屋の奥まで静かに染み込んでいた。アムはソファに横たわり、窓の向こうの淡い色に目を細めていた。机の上には冷めきった紅茶と、ロミーのスマートフォンが転がっている。つもは何気ない配信やコメントに軽口を叩く彼女だが、今は言葉を飲み込んでいる。
「ねえ、アム。」
不意にロミーが口を開いた。その声音には珍しく迷いがあった。
「先に言っておくと私達関係ではないわ、でも、少し面白いかもね。」
「正直だな。焦らして弄ぶ性格かと。」
「・・・昨日はね、可愛いからね。これ、見て。」
スマホを渡され、アムは画面に目を落とした。
DM欄には、いくつかの短いメッセージが並んでいる。
『配信、いつも見ています。突然ごめんなさい。相談したいことがあります。』
カーソルを更に下にして、再び確認する。
『神を引いたのに、何も起きませんでした。』
ロミーを呼び出し、見間違いか確認したが、どうやら事実らしい。
『おかしいのでしょうか?誰にも言えなくて・・・。』
アムは眉を寄せた。
「神引きで“何も起きない”って、どういう意味なんだろう。」
「わからない。」
ロミーは珍しく弱気な声で続ける。
「こういうの、ほっとけないんだよね。」
「頑張ってリピートしてほしいからな。」
アムは小さく頷いた。
「会って話、聞いてみるか。」
「うん、直接会う方が早いよね。」
二人は簡単に返事を打ち、待ち合わせの場所と時間を決める。ロミーの表情には、どこか落ち着かない影が浮かんでいた。
数時間後、駅前のカフェ。
人通りが少しずつ減り始め、店内は静かなざわめきだけが満ちていた。
「元々バイト先だった。焼肉屋の居抜きだからほぼ個室だ。」
ロミーは髪を整え、いつもの快活な笑顔を作ろうとするが、どうにも顔が引きつる。アムは無言のまま、扉に目を向ける。
「・・・このカッコで電車乗りたくねぇんだけど。」
「もう来たんだからしょうがないじゃない。似合ってはいるわよ心にも衣服と鎧が必要そうね。」
「着替える為のヴェールは最低限欲しい。」
「石鹸を泡立てる網で我慢しなさい。」
やがて、扉がゆっくりと開いた。
現れたのは、年齢より少し幼く見える少女だった。制服の袖をきつく握りしめ、何度もあたりを見回している。
「別の学校か?」
「隣の市の子ね、塾のバッグはこの辺のかしら。」
「県に展開してる塾だな、教師がマトモな部類らしい。具体的に言うと黄〇ャートまでしかオススメしない。」
「ホントにマトモだ。というかアムって結構本好きよね。」
「家族が馬鹿なお陰で捨てていったからな。」
一旦姿勢を整える、実際にそうかは分からないが、反社みたいな格好した鳶職の愉快なおっちゃんがいる店は中々入りにくかろう。
「あのおじ様スポーツ選手もやってるよ。」
「46で?」
「実際は48らしいわよ。」
「体重なのか年齢なのか分からなくなってきたな。」
聞いていた話と数段階小さな少女に出会った。
「こんにちは・・・ロミーさんですか。」
声は透き通っている、話すにしては若干異質で、すぐに聞き取れる。
「うん、来てくれてありがとう。」
ロミーが柔らかく返す。アムも軽く会釈した。話すのはいい、これ以上は関与したくない。
少女は二人の前の席に腰を下ろし、肩をすぼめたまま視線を落とす。手元のスマートフォンをぎゅっと握りしめたまま、言葉を探しているようだった。しばらく沈黙が続いた。
アムが口火を切る。
「相談っていうのは、『神引き』のこと?」
少女はおずおずと頷いた。
「・・・はい。神を引いたんです。でも・・・何も起きなくて。」
「何も起きない、って?」
ロミーが優しく促す。
少女は、少しずつ語り始めた。
「みんな、神を引いたら何かしら変わるって言ってます。願いが叶ったり、生活が楽になったり。でも私には・・・何も、変わらなくて。それどころか・・・何かいる“気配”だけは感じるのに、動きも、声もなくて・・・。」
少女の手が震えていた。
「怖かったの?」
アムが静かに尋ねる。その一言でロミーは片腹痛くなる。配信といい猫被りで猫耳メイドを出せる実力は見習いたい。
「・・・はい。でも、誰にも話せなくて。もし自分だけがおかしいなら、もっと怖いと思って・・・。」
少女の声が細く揺れた。ロミーもアムも、その言葉を遮らず、じっと耳を傾けていた。沈黙が再び三人の間に落ちる。外では人々の足音と、暮れかけた夕陽が世界を静かに包み込んでいた。
カフェの空気は、徐々に重たくなっていった。
ロミーは、少女の表情と手元を静かに見守っていた。奢りでホットサンドを出来るだけ多く口の奥に入れる。
「(食べ過ぎよバカ。)」
「(仕方ないだろう焼肉設備利用した肉が美味いから。)」
「そっか・・・怖いよね。みんなが“神を引いたら何か変わる”って言ってるのに、自分だけが違う気がしたら、余計に不安になるよな。」
少女は顔を上げ、かすかにロミーを見た。
「・・・ネットで調べても、誰も“何も起きない”なんて言ってなくて。本当は・・・自分が何か悪いことしたんじゃないかって思っちゃって・・・。」
「それは無いでしょうね。経験者としても。」
「答えが出てるかどうか次第・・・誰相手のものか迷ってるとか?」
アムはしばらく考えてから、率直に尋ねる。
「その“気配”って、どんな感じ?」
少女は、少し言葉を探してから答える。
神の種類も知らない・・・取り敢えず、ノーヴァではない。ロミーは結婚したい相手が居ない中で結婚を扱う神のファミリオ引いた可能性が高いと示唆する。リリアという恋愛の神もいるが、肉体相性のリリア、生活相性のファミリオと似ている様で異なる。
「(ロミー的にはどうだ?)」
「(友情の神・・・ミティね。あの子はフレンドリーだからそういう感じじゃないのよね。)」
「(・・・心当たり自体はある。)」
「(多分同じ答えだけど、早急に出すべきではないわ。)」
「(分かっている、一旦見守ろう。)」
「・・・ずっと、そばにいるんです。目には見えないけど、気配だけは感じて。でも、話しかけても返事はないし、動きもしない。ただ、いるだけ・・・。」
ロミーが尋ねる。
「石は置いて来た?」
少女は首を横に振る。石とは祈りを込めてガチャを引く為の石だ。アムもロミーもアクセサリーとして気に入っているので必ず持っている。とは言ってもいつ頃持ってるかは分からない、本当に突然持っていた感じで、記憶にさっぱり存在しない。
「それは・・・できなかったです。なんとなく・・・捨てても、気配が消えない気がして。むしろ、自分が“おかしくなった”みたいな感じで・・・誰にも言えなくて、でもずっと怖くて。」
アムは、自分のカップを一度指で回しながら、言葉を選ぶ。違和感がある、何か、以前似た体験をした気がするのだ。それが思い出せない。
「たとえば、何か願ったりした?神を引く前に“こうなりたい”とか、“何かしてほしい”とか思ったことは?」
少女はしばらく考え込む。
「特別な願いはなかったです・・・。みんなみたいに“幸せになりたい”とか、“いいことが起きてほしい”とは思ったけど、誰かを恨んだり、羨んだり・・・そういうのは一度もなくて。」
ロミーは小さく頷いた。
「たとえば、ちょっとでも“誰かが嫌い”とか“あの子みたいになりたい”とか思ったこと、ない?」
少女は静かに首を振る。
「本当に・・・そういうの、分からないんです。
嫌いな人も、妬ましい人もいない。みんなが“普通に”抱く感情が、自分だけどこか足りてない気がして・・・。」
アムは少女の言葉を反芻した。
「じゃあ・・・神は、何をすればいいか分からなくて“いるだけ”になったのかな。」
彼は独り言のように呟いた。少女は再び視線を落とし、小さくつぶやく。
「どうして、自分だけこんなふうなんでしょうか・・・。神様に何かお願いしなきゃいけないのに、何も思い浮かばなくて、ただ怖いだけで・・・。」
ロミーがそっと声をかける。
「それは、悪いことじゃないと思うよ。
世の中には“何も望まない”ことの方が、ずっと難しいんじゃないかな。」
少女はしばらく考えたが、答えは出なかった。
「(脳の機能が異常なんじゃないか?考えないというのはいくらなんでも・・・。)」
「(映像の録画で確認するわ・・・一旦神へのコンタクトをとってみましょう。留まっているなら可能性としては有り得ます。)」
「(コンタクト?・・・そっちはそういう事が可能だったのか?)」
「(友情は広く浅くか狭く深くの二択よ。幸福感で気を緩めて、本心を聞き出すの。だから神の種類次第で可能だと思うわ。)」
「(追跡するか?)」
「(アムは皆振り返る程度に目立つから着替えてからね。)」
カフェの窓の外では、空が徐々に紫色へと変わり始めていた。
三人の影だけが、テーブルの上で静かに揺れていた。中では小さなBGMと食器の音だけが、時折三人の沈黙を埋める。少女は自分の手をじっと見つめている。指先は冷たく、震えていた。
ロミーは穏やかな声で続ける。
「たとえば、その“気配”に何か伝えようとしたことは?」
少女は小さく首を振る。
「怖くて、あんまりちゃんと話しかけたことがないです。お願いも、謝罪も・・・どうせ何も届かないんじゃないかって思って。友達を作るのは得意ですけど・・・やっぱり、失うのは怖くて・・・。」
アムはゆっくり言葉を継ぐ。
「その気配、怒ったり悲しんだりする?」
少女は黙ったまま考え込む。
「・・・分からないです。ただ、何となく・・・こっちの気持ちには反応しない感じです。自分がどれだけ怖がっても、泣いても、そばにいるだけで・・・。もしかしたら、本当に“ただいるだけ”なのかもしれません。」
ロミーは少し考えてから、少女の肩に視線を落とす。
「“誰か”がそばにいるのに、何も変わらない。それが神様だっていうのも、なんか・・・やりきれない。」
少女はぽつりと呟く。
「みんな、“神様がいるから変われる”って言ってます。でも、自分には、そもそも変えたいものがなかったのかもしれません・・・。それがいけなかったんでしょうか。」
アムはその言葉を受けて、優しく返す。
「いけないことなんてない。誰かを恨まなくても、羨まなくても、本当は“普通”じゃないかもしれないけど・・・でも、君の気持ちは君のものだよ。」
少女はかすかに笑いかけるが、すぐに俯いてしまう。
「今まで、誰にも話せなかったです。親にも友達にも、言っても分かってもらえない気がして・・・。こうやって話を聞いてくれて、ちょっと楽になりました。」
ロミーはやわらかな声で頷く。
「何も起きなくても、不安にならなくていい。
“おかしい”のは君じゃなくて、世の中や神様のほうかもしれないよ。」
少女の瞳には、ほんの少しだけ光が戻る。店の外では、夜の気配が街を包み込み始めていた。電灯がひとつずつ灯り、通りを行き交う人々がそれぞれの物語を歩いていく。
テーブルに残った三人の影だけが、
それぞれに違う未来を思い描いて、静かに伸びていた。
カフェを出ると、外の空気は一層ひんやりしていた。少女は両手でスマートフォンを抱え込むように持ち、俯きながら歩き出す。アムとロミーはその後ろを静かに並んで歩いていた。
駅までの帰り道、信号待ちのたびに少女は何度も後ろを振り返った。
「・・・今日は、ありがとうございました。」
声は小さく震えていたが、どこか張り詰めていたものが少しほどけているようにも見えた。
ロミーは、少女の横に並ぶ。
「困ったことがあったら、またメッセージしていいから。」
そう言って、スマートフォンの画面を見せる。
少女はこくりと頷いた。
アムは夜空を見上げる。
都会の光のせいで星は見えないが、かすかな雲の切れ間に淡い月だけが浮かんでいた。
その下で、自分たちはどこに向かって歩いているのか。ふと、そんな考えが浮かんだ。
「・・・自分だけがおかしいと思い込むのは、もうやめます。」
少女がぽつりと言った。
「何も起きなくても、それでも、生きてていいんですよね。」
ロミーは少し驚いた顔で、すぐに優しく頷いた。
「もちろんだよ。何も起きなくても、変わらなくても、生きてるだけでいい。」
駅の明かりが近づくと、少女は二人に頭を下げた。
「ありがとうございました。お二人も、お元気で・・・。」
そして改札へと消えていった。ロミーとアムはしばらくその場に立ち尽くした。静かな余韻だけが、二人の間に漂っている。
ロミーが小さくつぶやく。
「何も起きないって、ある意味すごいことだよな。本当に“何も望まない”って、きっとすごく難しいことなのに。」
アムはポケットに手を入れたが、スカートだと思い出しすぐに手を抜き、そっと答えた。
「神様も困っただろうな。“何をしてほしいか分からない”っていう人間、たぶん珍しいんじゃないか。」
ロミーはふっと笑った。
「まあ、世の中いろんな奴がいるってことだ。」
二人は歩き出す。
夜風が肩をすり抜け、まだ灯りの消えない街の中へと溶けていった。
歩きながら、アムは小さくつぶやいた。
「・・・誰にも悪感情を持たない人間に、神は何もできないのかな。」
ロミーは答えなかった。
けれど、二人の足取りはほんの少しだけ軽くなって足取りは軽く。月の明かりが、三人の心の上に静かに降り注いでいた。
「・・・それで、神とやら自体は怪しいな。」
「ええ、神を騙る犯罪は聞いた事があるわ。授業で触れるキッカケになった大規模な誘拐事件、手口自体は同じじゃない?」
「本人の合意で録音アプリは入れさせといた、明日持ち帰って確認よ。」
「分かった、そっちはやっておく、配信はどうする?」
「私だけで十分よ、焦らさないと面白くないでしょ?」
「ソロでも良いぞ、もういい加減明かしたい。」
「ダメよ、五年やってから明かして脳を破壊するの。」
・・・結果的には、五年後に明かす事になった。
「・・・一応、あの先の神の予想は出来ているか?」
「あの子自体は脳の機能障害でしょうけど、一つ心当たり自体はあるわ。」
「「人を殺せる神。」」
・・・以前、資産家が話した神に関して、情報収集の必要がある。下手すれば、こちらが一番矛先を向けられている可能性すらある。緊張張り詰め、確実に詰めなければ。
「・・・そっちに指示は託した。」
「経験則での判断は頼るわ。」
またウィッグを整え、声も調整し、練習した分を叩きつける。
「惚れ込ませれば問題無い。」
・・・それが原因で失敗する可能性もあるが、取り敢えずは敵意を抱かせない事が大事だ。しかしロミーはあの変態視聴者を量産した程度に誘惑が強く、警戒されてしまう可能性もある。
出来るのは、自分だけだ。