9話「魔枯症」
大ミサまでの数日間、ユタとアシュレイは街のことや、神の使いに選ばれるための条件を調査することにした。
まずは情報収集の第一歩として、宿の女将に話を聞くことにする。
「女将さん、ここ最近この街で何か変わったこととかないですか?」
アシュレイは愛想よく尋ねた。
「あら、そうねぇ……最近、ちょっと不穏な話があるわね」
「不穏な話?」
ユタとアシュレイは思わず顔を見合わせた。
女将が語るには、街が大ミサの準備で活気づき始めてから、子供が神隠しに遭う事件が続いているらしい。
しかも戻ってきた子供たちは──
「皆聖魔法が使えなくなっていたのよ」
ユタの表情が固まる。
「それって……」
「神の使いに選ばれるには、聖魔法が必須だからね。その子たちはもう一生神官にはなれないわけ」
「……」
アシュレイは腕を組み、険しい顔をする。
「しかもね、攫われた子たちはみんな口を揃えて『白の塔にいた』って言うのよ。でも、それ以外は何も覚えてないみたいで」
「また白の塔か……」
アシュレイは低く呟いた。
『これは本格的に白の塔を調べるしかないな』
アシュレイはユタに耳打ちする。
女将はため息をつきながら、肩をすくめた。
「何が神の思し召しなのかしらねぇ……可哀想に」
宿を出たユタとアシュレイは、さっそく街の様子を見て回ることにした。
白を基調とした建物が立ち並ぶ街並みは、至るところに神聖な装飾が施され、まるで神々の領域に足を踏み入れたかのような雰囲気が漂っている。
しかし、そんな中で異様な光景が目に飛び込んできた。
「……あれ?」
ユタが足を止める。
街の広場の一角に、人だかりができていた。
何か揉めているような、ざわついた空気が流れている。
「アシュレイ、ちょっと見に行こう」
「ああ」
2人は群衆の隙間から覗き込む。
その中心には、泣き崩れる女性と、小さな女の子の姿があった。
「お願いです! うちの子を、神様に見捨てないでください……!」
母親は必死に叫びながら、周囲の人々に縋っている。
「神の使いの審査は厳格なものだ。聖魔法を使えない子供を受け入れるわけにはいかない」
冷たく告げるのは、白い衣を纏った神官らしき男だった。
「この子だって……ずっと神官になりたがっていたんです……どうか……!」
母親は涙ながらに訴えるが、神官は無表情のまま、ゆっくりと首を振る。
「哀れではありますが、聖魔法を失った以上、この子が神に仕えることはできません」
「そんな……!」
ユタは小さな女の子に目を向けた。
(……この子、もしかして)
ユタはこっそりポツンとたってる少女に近寄る。
「ねえ、君、名前は?」
少女はぼんやりと宙を見つめたまま、ゆっくりと口を開く。
「……しろの、とう……」
「白の塔」
ぞわり、とユタの背筋が粟立つ。
アシュレイは拳を握りしめた。
「言葉通りの心ここに在らず…だな」
──そのときだった。
ユタは広場の端に立つ黒髪の男の姿を捉えた。
無表情のまま、じっと少女の方を見つめている。
その視線は、獲物を値踏みするような、異様な冷たさを帯びていた。
「っ……!」
ユタはアシュレイの袖を引いた。
「どうした?」
「あの人……この前の……!」
アシュレイも男に気づき、表情を強張らせる。
だが、2人の視線に気づくと、男はゆっくりと踵を返し、何事もなかったかのように歩き去っていった。
「あの時の変態紳士…?」
ユタはゾッとしたように呟いた。
ユタとアシュレイは黒髪の男を追いかけたかったが、泣き崩れる親子の様子が気になり、ひとまず諦めることにした。
「……っ」
悔しげに拳を握るアシュレイに、ユタが小声で囁く。
「大丈夫。魔法で印をつけたから、居場所は探そうと思えば探せるよ」
「そうか……助かる」
安堵の表情を見せたアシュレイは、改めて親子に目を向けた。
「まずは、あの母親から話を聞こう」
2人は泣き崩れる母親にそっと近づき、静かに声をかけた。
「落ち着きましたか?」
母親は涙に濡れた瞳でユタたちを見つめる。
その傍らには、ぼんやりと宙を見つめる娘の姿。
「……この子は、とても元気で、聖魔法の才もありました。周囲からも、きっと神の使いに選ばれるだろうと言われていたんです……」
母親の声はか細く震えていた。
「なのに……あの日、一緒に買い物に出かけて、ほんの一瞬目を離したばかりに……ううっ……」
彼女は嗚咽をこらえながら、震える手で娘の肩を抱き寄せる。
「気づいたら娘は消えていました。そして、数日後に見つかった時には──正気を失い、唯一の聖魔法すら使えなくなっていたんです」
ユタとアシュレイは静かに母親の言葉を聞きながら、少女を観察する。
彼女はただぼんやりと空を見つめ、無表情のままだった。
まるで魂の一部が抜け落ちてしまったかのような、虚ろな眼差し。
「……その時、何か少しでも変わったことはありませんでしたか?」
アシュレイが慎重に問いかけると、母親はゆっくりと記憶を辿るように口を開いた。
「……娘から目を離したのは、ちょうど神官様に声をかけられた時でした」
「神官?」
ユタとアシュレイは同時に眉をひそめる。
「ええ。でも、特に変なことはなかったんです。この街では、その時間帯になると必ず神官様が街に出て、人々に祈りの言葉をかけて歩く習慣があります。だから、その日も私は神官様から祈りの言葉をいただいていて……」
「それはどれくらいの時間でしたか?」
「ほんの……1分もしないくらいでした。でも、気づいた時には娘がいなくなっていたんです」
「なるほど……」
アシュレイは腕を組み、考え込む。
ユタはその間、ずっと少女を観察していた。
そして、ある違和感に気づく。
──肌の色が、少し前よりも白くなっている。
──瞳の輝きが、徐々に薄れていっている。
ユタは静かに口を開いた。
「これは、典型的な魔枯症だね」
その言葉に、アシュレイと母親が驚いたように顔を上げる。
「魔枯症……?」
ユタは頷くと、少女の腕にそっと手をかざしながら説明を始めた。
「魔力を持つ人間の体には、常に一定の魔力が流れているんだ。水分が体に必要なのと同じようにね。けど、何らかの原因でそれが一気に失われると、体がどう動けばいいのかわからなくなってしまう。それが魔枯症の状態。」
母親は娘の手を握りしめ、不安げな表情を浮かべた。
「で、でも……私は魔力なんて持っていません。でもこうして普通に生活できています。それなのに、どうして娘は……?」
「魔力を持たずに生まれた人は、最初からその状態に適応しているから問題ないんだ。でもこの子は違う。ずっと魔力がある状態が当たり前だったのに、突然それがゼロになったせいで、身体が混乱してるんだよ。」
ユタは少女の額に軽く触れながら、続けた。
「いわば、魔力のストッパーが勝手にかかっている状態。魔力がない状態に体が慣れれば、いずれ意識は戻ると思う。でも……」
「でも?」
アシュレイが続きを促すと、ユタは少し言いづらそうに眉を寄せた。
「聖魔法が得意だったってことは、それだけ魔力量も多かったはず。その分、一気に失った時の負担も大きい。このまま自然回復を待つとなると……何年かかるかわからないよ。」
母親は愕然とした顔をして娘を抱きしめる。
「そ、そんな……じゃあ娘はこのまま……?」
ユタは少し考え込み、指をトントンと顎に当てながら言った。
「根本的な解決策があるとしたら、一から魔力の源を作ること……つまり、誰かが魔力を分け与えて、新しい魔力の流れを作ることだけど……」
「できるのか?」
アシュレイが身を乗り出す。ユタは少し困った顔をして肩をすくめた。
「理論上はね。でも、それをやるには相当な技術がいるし、そもそも誰でもできるわけじゃない。適性が合わなければ、受け取る側が耐えられずに逆に体が壊れる可能性もある。」
「……難しいってことか」
ユタは静かに頷いた。母親は娘を抱きしめたまま、震える声で尋ねる。
「それでも……何か方法はあるんですか?」
ユタは少し考え込んでから、少女を見た。
「僕がやる」