4話「ユタと魔法」
森を抜ける道を進むこと数時間。
木々の密集は徐々に薄れ、湿った空気が和らいでいく。
アシュレイは、先頭で馬を走らせながら前方を確認し、朗らかな声を上げた。
「皆さん! 明かりが見えてきましたよ! もうじき森を抜けられそうです!」
その言葉に、キャラバンの中から安堵の声が広がる。
「本当に……ありがとうございます!」
「貴方のような方が騎士団にいてくださることに、心から感謝を……!」
商人たちは次々とアシュレイに礼を述べ、感謝の意を示していく。
「まぁまぁ、お互い目的地にはまだ辿り着いていない訳ですからね。お礼は早すぎますよ」
アシュレイはさらりと流すが、内心では(ここで時間を取られるのは面倒だ)と思っていた。
だが、彼の言葉を都合よく解釈した商人たちは、「謙虚な騎士だ……!」とさらに尊敬の眼差しを向けることになった。
そして、ついに森を抜ける。
木々のトンネルを抜けた先には、よく整備されたレンガの街道が広がっていた。
「……ふう」
アシュレイは馬の手綱を緩めながら、ようやく一息つく。
その時だった。
──シュッ
空気を裂く鋭い音が響く。
「……っ!」
アシュレイが反応するよりも早く、キャラバンの帆布に矢が突き刺さった。
「きゃああっ!!」
悲鳴が上がる。
「っ……! 盗賊だ!!」
荷車の影に身を隠しながら、アシュレイは周囲を素早く確認する。
木陰から次々と人影が現れ、剣や斧、弓を構えながらゆっくりと取り囲んできた。
(……1、2、5……10……15……いや、もっとか!?)
ざっと見積もっても二十人以上。
しかも、敵の武器の扱いからして、ただの雑魚ではない。
(くそ……ひとりならどうとでもなるのに、荷車と人を守りながら戦うには多すぎる)
商人や旅人たちを確認すると、恐怖に震えていた。
「ははっ、こんな貧乏キャラバンに帝国の騎士様がついてるとはなぁ!」
「おいおい、帝国の騎士は安くなったもんだぜ!!」
盗賊たちは嘲るように笑いながら、武器を構えてじりじりと距離を詰めてくる。
「……」
アシュレイは煽りには乗らず、無心で剣を構えた。
そして──
──カキンッ!!
最前列の盗賊の剣を、最小限の動きで受け流し、その隙に一人の腕を斬り飛ばす。
「ぐあっ……!!」
続けて、横から斬りかかってきた二人の剣を弾き、膝を蹴り上げて転倒させる。
(まずは数を減らす。動けなくさせるだけでいい……)
素早く立ち回りながら、確実に敵を無力化していく。
──カキンッ!
盗賊の剣を弾き、アシュレイは素早く踏み込んだ。
「ぐっ……!」
喉元に剣を突きつけられた盗賊が怯んだ隙に、彼の足を払って転倒させる。
そのまま別の盗賊が突進してくるのを視界の端で捉えると、すかさず身を低くし、剣を振るう。
──ギィンッ!
相手の刃を弾きながら、そのまま手元を打ち抜くように剣を滑らせた。
「ぐあっ……!」
盗賊の武器が地面に落ちる。続けざまに柄で腹部を突き上げ、動けなくさせる。
(……現在十人無力化。残り数十人……!)
息を整えながら、周囲を冷静に分析する。
キャラバンの馬車の中にいる人々は怯えており、商人たちは荷物を抱えて震えていた。
(……やっぱり、戦える人間は俺しかいない)
アシュレイは、剣を構え直すと同時に、迫り来る盗賊たちに向き直る。
「ははっ、やるじゃねぇか……!」
「だが、こっちはまだ数がいるんだよ!」
数人の盗賊が一斉に間合いを詰める。
(チッ……!)
アシュレイは即座に後方へ飛び退き、距離を取る。
だが、次の瞬間──
「っ……!」
ふと、違和感を覚えた。
足に、力が入らない。
(……何だ、これ……?)
疲労か、それとも魔法の影響か。
先ほどまで軽やかに動いていたはずの身体が、急に重くなる。
(……まずい……!)
体勢を立て直そうとするが、一瞬の遅れが致命傷になった。
「今だぁ! やっちまえ!!」
掛け声と共に、盗賊たちが一斉に飛びかかる。
剣が閃く。斧が振り下ろされる。
(──っ、クソッ……!!)
避けることも、防ぐことも、もう間に合わない。
その瞬間。
「調和の円」
静かに響く、幼い声。
バキバキバキッ──!!
地面から突如、無数の蔦が伸び、盗賊たちの体を絡め取る。
「う、うわああ!?」
「なんだこれっ!? ぐ、動けねぇっ……!」
次々と巻きつかれ、盗賊たちはその場で動きを封じられた。
アシュレイは驚き、声のした方を振り返る。
そこには──
黒兎の仮面をつけた小さな影が、杖を握りしめて立っていた。
「……ユタ?」
魔力の余韻が静かに消えていく中、少年はただじっと盗賊たちを見下ろしていた。
「……大丈夫……?」
震える声が、耳に届いた。
アシュレイはゆっくりと立ち上がる。
まだ完全に力の戻らない体を支えながら、目の前の光景を見つめた。
盗賊たちは、驚愕と困惑にまみれた顔で、地面から生えた蔦に絡め取られている。
自由を奪われ、もがいている彼らの姿を、商人たちもまた信じられないような表情で見ていた。
「……これは、君が?」
アシュレイが問いかけると、ユタは小さく肩を揺らしながら、わずかに後ずさった。
「……その……邪魔、し……ちゃったかな……」
細い声。
不安そうに、両手の指をぎゅっと握りしめる仕草。
仮面に隠された表情は見えない。
だが、その小さな体が微かに震えているのが分かった。
(……怖かったのか? それとも、自分のしたことに戸惑っているのか?)
アシュレイはゆっくりと手を伸ばし、ユタの小さな手を引いた。
「小さいのにやるね。ありがとう。助かったよ」
ぽん、と優しく頭を撫でる。
ユタの肩が一瞬ぴくりと跳ねた。
そして、少しずつ震えが収まっていく。
(ちゃんと伝わった、かな?)
アシュレイがそう思った時だった。
後ろの方から人々が荷車を降りて走ってきた。
「うわぁぁぁあ!! すごい魔法だね、君!! こんなの初めて見たよ!!」
「助けてくれて本当にありがとう!!」
歓声が上がった。
商人やキャラバンに乗っていた人々が、ユタを囲むようにして口々に感謝を伝える。
「いや……僕は……その……」
ユタは戸惑い、後ずさろうとする。
仮面の奥でどんな表情をしているのかは分からないが、うろたえるように両手を胸の前で握りしめ、困惑した様子で俯いているのを見れば、どう反応していいか分からず混乱しているのは明らかだった。
(この子……褒められ慣れてない? それとも、目立つのが苦手なのか?)
ユタを囲む人々を横目に、アシュレイは改めて地面を見下ろす。
そこには、まだ蠢く蔦の絡まった盗賊たち。
(……しかし、この魔法……)
彼は眉をひそめた。
宮廷魔術師でも、こんな魔法を使う者を見たことがない。
普通、魔法は “そこにあるもの” の力を借りて発動する。
例えば、水の魔法なら水が存在する場所でなければ使えない。
炎の魔法も、火がなければ発生させることは難しい。
しかし──
(……ユタの魔法は違う)
彼が発動した瞬間、地面から”生えていなかった”はずの蔦が、一瞬で現れた。
(まるで、一から魔法そのものを”創り出した”ような……)
(この子、一体……何者なんだ?)