二十八ノ話 「紅キ視界ノ中デ」
女の作り上げた結界の中で、次第に相手のペースに翻弄される俺。
絶望的な状況と共に追い詰められる中。
突如として俺の視界は紅く染まるのだった…。
ザ…ク…
「…っ!?」
短剣の突き刺さる音と共に、紅い鮮血が月明かりの下で光り輝いた。
「…アラ残念。今度こそ殺してあげようと思ったのに」
俺は”右腕に突き刺さった”短剣を確認すると、即座に左手で女の腕を短剣の柄ごと掴む。
「…アラ?」
「…掴まえた…!」
あの瞬間で短剣を避けるのは不可能…そう判断した俺は、咄嗟に右腕を盾にして急所への攻撃を免れていた…が、これで掴まえられたとは、何とも皮肉な話というか…。
俺は左手はそのままに、右腕を引いて短剣を引き抜く。
「…っ!」
腕に鈍い痛みが走り、血が溢れ出すが、今はそれどころではない。即座に右腕に霊力を集中させていく…。
「これなら…逃げられねぇよなぁ…!」
俺は右腕を振りかぶると───
「…”衝”!!」
ドォン!!
───右腕の衝撃を、女に叩き込んだ。
「…仕留めたか?」
”衝”を至近距離で叩き込まれた女は、そのまま背後の木々をなぎ倒し、彼方へと吹き飛ばされていった。
…手応えは、確かに感じた。
俺は周囲の警戒を解くことなく、女の吹き飛ばされた方向を睨みつける。
なぎ倒された木々の隙間から、月明かりが仄かに周囲を照らしていた。
と…───
「フフ…フフフフフ…ッ! いいわ、アナタ。本当にステキ…!」
「!?」
声は背後から聞こえた。振り向くと、そこには、確かに吹き飛ばされたはずの女が変わらぬ姿で樹木の枝の上からこちらを見下ろしていた。
「チ…手応えはあったはずなんだけどな…」
「そんなに落ち込まないの。心配しなくても、アナタの一撃は当たってるわよ?」
女は可笑しそうに笑うと、自身の髪の一部を手に持った。
よく見てみると、その部分は焼き切れたように短くなっている。
「長い髪が自慢だったのに…、アナタのおかげでこうなっちゃった。ホント、強引なんだから…」
女は拗ねたように言っているが、表情は相変わらず妖艶な笑みを浮かべたままだ。
「…掠っただけだったってか…」
手応えの正体は…あれも幻影だったか、あるいは、手応えそのものが幻術の一部だったか…。
(マズイな…)
幻術使い───あの女のペースに、完全にハマっている。
こうなってしまうと相手の幻術に翻弄され、敗北するのは確実。何とか状況をひっくり返すためには、あの女の幻術を破るしかない…が。
(今となっては…それも困難か…)
女はかなりの使い手だ。幻術を破るとするならハマるまえに…なるべく早いほうがいい。
だが、そもそもアイツが奈々美に化けて現れた以前から周囲の状況は不自然だったのだ。もし、その時点でアイツの術中にハマっていたとするならば…あれほどの”使い手”の幻術を破る事は相当困難だろう。
かなりの劣勢だ…正直言って勝てる見込みは薄い。
「もう少し遊んでいたいところだけれど…生憎コチラも時間が無いのよね…。だから…───」
「…ッ!」
女の纏う殺気───霊力が、さらにその鋭さを増した。
「悪いけど、そろそろ死んでもらうわね? ホントはもっと早く仕留められると思ってたのに…ホントにもったいないわ…フフ…」
そう言った瞬間。女はその場から霧のように霞んで消えた。
また幻術かよ…俺は周囲の霊力を探り、攻撃に備える。
…が、女の霊力は周囲一帯に満ちており、その動きを探る事はほぼ不可能だった。
(一気に霊力を開放して…気配を遮断したか…!)
こうなると霊力ではなく、実際の動きから”気配”を察知して動くしかなくなる。
一つ不安要素があるとするならば…さきほどの”手応え”の時のように、気配そのものをダミーとして利用される可能性がある、ということか…。
(通信機の妨害も含め…俺はあの女の張った結界に閉じ込められているのは確実。これほどの使い手の結界を俺が内側から破るのは不可能だ。外から破れるとしたら…)
…妖刀の力がある晃か、霊力量の多い亮か、か…。
そこまで思考した時、僅かな気配を感じた。
「ッ!!」
バァン!!
すぐさまそちらへ銃口を向け、引き金を引く。
…女の姿は無し。再び別の位置に気配。
バァン! バァン!
「…チ」
気配はすれども、姿は見えず。それどころか、相手は1人のはずなのに、1つ、また一つと気配が増えてきている。
…仲間を呼んだ、というわけでもない。やはり幻術で気配そのものを作り出している…?
───…さ、そろそろ死んでもらいましょうか…!───
「な…ぐぅ!?」
周囲に響き渡る女の声。と、同時に、周囲360度全ての方向から”斬撃のみ”が飛んで来た。
ザザザザ…ザク…ザザ…!
「…く…!」
短剣での攻撃だろうが…軌跡のみで姿が見えない。
防御しようにも、どれが幻影でどれが本物かすら判断できない。
俺は姿勢を低くして必死に急所を守る。
所詮は短剣の攻撃だ。傷も浅く、一撃で致命傷になることはないだろう。
だが、この全方向から襲ってくる斬撃の嵐に、俺は防戦一方にならざるを得なかった。
「く…そ…ぉ…!」
この開けた場所では分が悪い。俺は後ろに跳び、そのまま後退しつつ敵の攻撃を腕で防ぐ。
「が…く…!」
衣服は既にボロボロで、そこから覗く肌には、浅いながらも無数の切り傷が痛々しく増えていく。
木々の生い茂る森の中まで後退した俺は、即座に斬撃の飛んで来た方向へ銃口を向けた。
バァンバァンバァンバァン!!
標的が見えない以上、当てずっぽうで放たれる霊弾。
だが、牽制程度にはなったのか、斬撃の嵐が止んだ。
「ハァ…ハァ…」
腕には刺すような痛みが走る。無数の斬撃を受け止めた両腕は、痛々しく鮮血が流れていた。
「どうかしら? 少しは気に入っていただけた?」
クスクスと笑い声が周囲に響く。と同時に、木々の陰から女が姿を現した。
「く…!」
俺はすぐさま銃口を向ける。両腕は相変わらず痛むが、今は構っていられない。
「アラ? まだまだ抵抗できる力が残ってるのね。フフフ…ホントにステキ…」
再び響く声。…だが、今度は背後から聞こえてくる。
振り向くと、大木の枝の上に座る女の姿。
前にいる女は相変わらず妖艶な笑みを浮かべたままこちらを見つめている。
「こんな出会いじゃなかったら…ワタシのモノにしてるのに…ね?」
今度は左右。暗闇からそれぞれ女が姿を現した。
「言ったろ…テメーみたいな女は好みじゃねぇって…」
最早どれが本物かは判別が出来ない。
「フフ…残念ねぇ…」
恐らくこの状況で俺個人が戦ったところで勝利は不可能だろう。
…と、なると、亮か晃がこの結果に気付いて破壊してくれるのを待つしかない…が、体力的にこれ以上時間が稼げるかどうか…。
「…」
「そろそろ覚悟を決めたらどうかしら? オトコなら覚悟を決めるものよ?」
周囲の女は同時に口を開く。
その言葉に、俺はただ睨み返す。
「…いいわぁ。その眼、ホントに変わらないのね?」
「…は?」
今…何て言った? 変わらない?
この女は…俺を知ってるのか?
「何の話だ…?」
「あら、ゴメンナサイね。今のは聞かなかった事にしてくれる?」
女はばつが悪そうに言うが、相変わらずその表情は愉しげだ。
…ずっと、目の前の女に引っかかるものを感じていた。
いや、正確には…”女そのもの”と、”女の姿”それぞれに、だろうか?
何なんだ…何がどうなって───
そこまで思考して、急に意識がぼんやりと揺らいできた。
「…!? これ…は…!?」
手足が痺れ、立っているのも難しくなってくる。
呼吸が乱れ、意識がはっきりとしなくなってきた。
まさか…これは…!?
「フフフフフフ…! ”毒”が利いてきたようね?」
そう言って、女は持っている短剣をひらひらと振って見せた。
なるほど…妙に殺傷能力が低い獲物を使ってると思ったら…毒が仕込んで…!
「くっ…」
銃口は相変わらず女に向けていたままだったが、次第に手が震えて狙いが定まらなくなってくる。
「遅効性の神経毒…悪趣味な…」
それほど強い毒ではない…と思う、が。こうやってじわじわと弱らせていく戦い方は、前の前の女の性格がよく現れていた。
「悪いけれど、あまり時間をかけてもいられないのよ。アナタのお仲間がやって来られても面倒だし…だから、そろそろ狩っちゃうわね…?」
だめだ…意識が遠くなってくる。最早時間を稼ぐなんて言ってられる状況ではない。
頭が回らない。俺はついに地面に膝を突いてしまった。
「ぐ…ハァ…ハァ…!」
ぼんやりとした意識の中で、じわじわと歩み寄ってくる女たちの姿を眺める。
そう、俺はやはりどこか見覚えがあった。女にも、この姿にも…。
真っ赤に染まる景色の中で…確か…俺、は…。
『───天…昇……ハ紅……───』
…ドクン…
ふと、脳裏に何かが響き渡る。
声のような…音のような…何か。
『───混………ニ…デ、殺………ニ顕……───』
…ドクン…ドクン…
これは…幻聴なのだろうか。
心音がはっきりと脳裏に響き、呼吸はさらに荒くなる。
…。
『───混…ヲ…ベ、…ヲ……ル……月…化……───』
妙に、頭が冴えてきた。
毒のせいなのか、はたまたそれとは違う何かなのか、それはわからないが…。
身体の感覚は、未だ曖昧だ。だが、震えは止まっている。
「…」
何だろう。視界が紅い。周囲の様子を伺ってみるが、周囲の時間が止まったんじゃないかと思うくらい静かだ。
…ふと、こちらに歩み寄ってきているはずの女に視線を移す。
「…?」
何だろう。どれも姿が半透明だ。
俺は周りを見渡す。…と、その中に1人、しっかりと実体を持った女の姿を捉えた。
「…」
俺の意思なのか、それすらも曖昧なまま、俺はそいつに銃口を向ける。そして───
バァン!
…何のためらいも無く、引き金を引いた。
「な───くぁっ!?」
瞬間、止まったかのように緩やかだった周囲の時間が、再び動き出したかのように正常になった。
女は霊弾を喰らって怯む。
…と、同時に、周囲の女の幻影が消滅した。
頭は相変わらず冴えている。身体の感覚は無いが、痛みや震えは無い。
だが、意識は相変わらずぼんやりしている。自分が自分の身体じゃないような…───
「な…何…? どうしてワタシが…それに、この霊力…!?」
女は急にこちらを警戒し始めたが、自分でも何がなんだかわからない。
視界は、未だ紅いまま。俺はこちらの様子を伺っている女に向かって、遠慮なく走り出した。
「! …くっ!」
女は再び姿を消す…が、その動きや姿は、紅くなった視界の中で鮮明に映し出されていた。
「…」
俺はその場所を狙い、右腕に霊力を集中させていく。そして…───
『…”衝”…!』
「え───」
ドガァァン!!
女に、至近距離で衝撃を放っていた。
今度は間違いなく当たった…そういう確信があった。
「う…ぐ…何よ…ソレ…!!」
土煙の中から、肩で息をする女の姿が現れる。
やはり直接攻撃には脆いらしく、今の一撃で既にかなり消耗させていた。
「何で急に…こんな…!」
「…」
俺は女に一歩踏み出す。そうだ、今のうちに仕留めないと…。
そう思い、再び一歩を踏み出そうとして───
ガッシャァァァァン!
「俊樹君!」
「俊樹さん!」
「…幻、無事なようだな」
…結界が切り裂かれ、ガラスの割れるような音と共に、晃と霞が飛び込んでくる。
と、同時に、女の側に黒いコートの男が現れた。
…それを確認するのと、俺の意識が途絶えるのは、ほぼ同時だった…。
昨日、面接に行ってきました…と同時にやってくる中間試験。
結局受験で忙しくなるのは誰でも同じなようで…。
これからは少しばかり忙しくなるやも知れません。