第17話 鹿のカードの可能性
直径50センチほどだろうか。こんもりとした山から鋭い爪が突き出し、続いてそこからニュッと鼻の長いネズミのような姿をした生物が顔を出す。
そして周囲をうかがうようにくんくんと鼻を鳴らすと地上に這い出て木の根元に生えていたキノコに向かって素早く近づいていった。
毒々しい赤いキノコに躊躇なく食いついたそいつは、もぐもぐと満足そうにそれを飲み込んでいく。
「あれがムーシュモールか」
「ああ。たまに森に入る猟師が従属させていたりするな。危険に敏感なうえに、食べられるキノコを判別して探すことができるから」
「なんというかトリュフを探す豚みたいな扱いだな」
ひくひくと鼻を鳴らすずんぐりむっくりとした姿は、どことなく豚に見えなくもない。
もちろん巨大なモグラと言った方がはるかに正確ではあるんだが。
「ピクト」
「ああ、わかってるって」
俺たちが風下にいるおかげで、ムーシュモールはまだ警戒心を抱いていない。ただ匂いと振動に敏感という性質上、いつ気づかれるかはわかったものではないのだ。
ミアに促され、俺は腰に提げたお手製バッグから1枚のカードを取り出す。両面に鹿の書かれたそのカードを手にすることと言えば1つだけ。
「『鹿』」
俺が小さな声で発したキーワードに従いカードが弾ける。光の粒子が地面に魔法陣を描いていく中、ムーシュモールは大した反応を見せていない。
やはりモグラの生態に近く、視力はほとんどないかもしれないな。
そんなことを考えている俺の目の前で魔法陣は完成し、光の柱の中から全身が苔に覆われているかのような緑色の体躯をした鹿がそこに立っていた。
鹿はまるで決まりごとであるかのように俺を見つめる。
それに対して俺は、即座に決まりきった言葉を発した。
「ムーシュモールを倒せ」
鹿の瞳が赤く染まり、そしてくるりと体を翻してムーシュモールに向かって突進を始めた。
先ほどまで美味しそうにキノコを食べ続けていたムーシュモールは、鹿の自分に近づく振動に気づいたのか体を伏せて地面に顔をつけると即座にその鋭い爪を地面に突き立てた。
「おおおぉー。すごいなムーシュモール。もう体が見えなくなったぞ」
「だから狩りづらいんだ。内臓の一部が高価な薬の原料になっているから需要は高いんだがな」
土柱をあげながら爪を地面に振るっていたムーシュモールの姿は瞬く間に地面の中に消えていく。
鹿が近づいたころにはその姿は影も形もない。ムーシュモールがいた場所に柔らかい地面が残されているのみだった。
「あの鹿、どうするんだろうな」
「出たのがウインドディアだからな。ムーシュモールとは相性が悪いが……」
ミアにも予想がつかないのか、そこまで言って言葉を止める。
事の成り行きを3人で興味津々に見つめていると、ウインドディアはその角をムーシュモールが入っていった柔らかい土の部分に突き立てた。
「まさか角でかき出すとかじゃねえよな?」
「さすがにそれは違うんじゃない?」
苦笑いしながら否定するソフィアに、「だよなぁ」と返しながら様子を見続けていると、背後から風が吹きソフィアとミアの髪を揺らしていく。
んっ、なんで風下なのに風が後ろから吹いてくるんだ?
そう疑問に思った瞬間、ピイっと高い鳴き声をウインドディアがあげる。そして同時にウインドディアがいるのと別の地面から突然土片が噴水のように吹き上げた。
「おおおおー」
思わず声をあげるくらいに不可思議なその光景に、ソフィアもミアも驚きを隠せていない。
そしてしばらく土片を吹き上げ続けたそこから、ムーシュモールが打ち上げられた。
空中でバタバタと手足を振り回すムーシュモールに、ウインドディアが突進する。
まともに防御することもできず立派な角に突かれたムーシュモールは、その勢いのまま後ろにあった木に激突し、ずりずりと地面に落ちる。
そしてふらふらと立ち上がったムーシュモールは慌てて地面の中に逃げようとしたが、ウインドディアの分厚い蹄がその体を押しつぶすほうが早かった。
くたりと体から力をなくし、ムーシュモールはその命を落とす。
「すげえな、なんだあの現象。ウインドディアが起こしたんだよな?」
「おそらくウインドディアが得意とする風を操る術の一貫なんだと思うが、私も見るのは初めてだ」
「へー」
ミアが見たことないということは珍しい技ってことか。いやまあ、ウインドディアがわざわざ地面の中のなにかと戦う場面なんて見ることはないだろうし当然かもしれないが。
うーん、土が噴き出た場所とウインドディアがいた場所が違うこと、そして周囲から吹きこんでいた風を考えると、ムーシュモールが掘った穴に高圧の空気を吹き込んだって感じか?
土が噴き出していた場所は、最初にムーシュモールが姿を現した穴だったし。
もちろんムーシュモールが掘った穴は他にも繋がっているだろうし、土が噴き出るほどの高圧の空気を送ったりしたら反動がヤバいことになりそうな気もするが……そんなことをいったら空気を操れる段階でおかしいしな。
うーん、本当にモンスターって不可思議な力を持っているな。興味深い。
そんな考察をしながら見つめ続ける中、ウインドディアは周囲へと視線を向けると森の奥へ向かって走っていく。
「ミア。ソフィアを連れて先に行ってくれ。俺はあいつを回収して追いかける」
「ああ」
ウインドディアの足はかなり速い。油断すればすぐに見失ってしまいそうなくらいだ。
それを追いかける2人を尻目に、俺はムーシュモールへ近づくとそれを肩に担いで走り始める。
方向感覚は微妙だが、身体能力に関しては俺のほうが高いのでずんずんと2人との距離を詰めていく。
そして追いついたころには、ウインドディアの姿はちらちらと見えるくらいにまで遠くなっていた。
「速いな、あいつ」
「速度に特化しているからな。それに……」
「ぜえ、ぜえ。ごめっ」
荒い息を吐いてこっちを見つめるソフィアの姿を見れば、ミアの言葉の続きが嫌でもわかる。
こんな短い距離にも関わらず息があがりきっている。つまりソフィアは全力疾走に近い速度で走っているのだ。このままだともつのはあと数秒ってところか。
「よし」
「うひゃ!」
走るソフィアに俺は並走すると、その体をひょいっと持ち上げ脇に抱える。うん、本当にご飯を食べているのかと思うほど軽いな。この程度なら問題ないだろ。
「ソフィア、落ちるなよ」
「先に……声をかけてくれると、嬉しかったんだけど」
「次からはそうする。まあ体力をつけるように頑張れ」
走らなくてはよくなったが、腕に抱えられたままの移動は決して楽なものではない。
必死に俺の体に捕まりながら息を整えるソフィアに励ましの言葉を投げながら、小さくうなずいてミアに合図を送る。
頷き返したミアはその速度を上げ、ウインドディアとの距離は徐々に近づいていった。
「しかし、これはミアの予想が当たったか?」
「かもな」
ミアと並走し、少し笑いながら俺が聞くと、ミアは少し複雑そうな顔をしながらうなずいて返した。
そしてしばらく走り続けた先、そこで見た光景に俺たちは確信を得る。
立ち止まったウインドディアは、先ほどと同じように地面に角をつき土片を跳ね上げる。
そして地面から飛び出してきたのは、先ほどより少し小さなムーシュモールだった。
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