第5話 鬱蒼とした森の中より
さえずる鳥の声を聞きながら木々の間を抜けていく。木の葉が鬱蒼と茂っているため薄暗い森の中だが、その葉の隙間から差し込む光できらきらと照らされる地面は幻想的に見えなくもない。
都会の喧騒を離れ、森林浴に来ていると考えればとても優雅な時間を俺は過ごしているのだ。
そう考えられればの話だが。
「うん、本格的に迷ったな」
洞窟を出てすでに7日。まあ日の出入りを1日として数えるならだが、それだけの時間を俺は森の中を歩き続けていた。
かなり洞窟からは離れたと思うのだが、実際自分がどんな風に歩いているのかわからないのでそれも不明だ。
「人に会うどころか、人の痕跡さえ見つからないなんて……どんだけ広いんだよ、この森」
ドラゴンを倒しにやってきた人間がいたし、彼らの着ていたものは明らかに造られたものだった。つまり人が住む町は絶対にあるはずなのだ。
もしかしたら逆方向に進んだらあっさりと着いたかもしれないという考えが頭の隅をよぎるが、さすがにあの場には留まれなかったしなぁ。
「それに……」
ガサガサという物音のしたほうに視線をやると、低木をなぎ倒しながら1頭の巨大なイノシシが姿を表す。
体長4メートルに近いその体躯を見せつけ、鼻息荒く足踏みしてこちらを睨みつけてくる3つの目を眺め、はぁ、と俺は大きなため息を吐く。
そのイノシシは苔の生えた鋭い牙を俺に向けると、そのまま突進を始めた。
「くそー、またかよ!」
くるりと身を翻して脱兎のごとく走り始める。後ろで何かがぶつかったり、木が弾けて飛ぶような音が響いているが確認する暇はない。
こいつは森をさまよっている俺をことあるごとにつけ狙ってくるイノシシもどきだ。正式な名称はあるのかもしれんが、知らん!
いちおうまぶたの上に一筋の傷があるから同一個体なんだと思うが、もしかしたら種族的にそういった姿をしているかもしれないしな。
これまでの経験上、俺が森を走る速度よりもあいつは遅い。直進するせいで木とかにぶつかっているからなかなかスピードが上がらないんだろう。
逆にいえば木によじ登って逃げようとしても、あいつがなぎ倒してきやがるから無理ってことなんだが。
初めて遭遇したときはそうやって逃げようとして、木ごと吹っ飛ばされたしな。
「この森、変な生き物多すぎだろ!」
誰に対してってわけじゃあないが愚痴らなくてはやっていられない。これまで出会っただけでも、あのイノシシに、真っ赤な毛をしたヤバそうな熊、明らかに毒々しい液を垂らして徘徊するヘビ、突然動き出して襲ってくる木に、他にもいろいろ。
生態系が地球とは明らかに違っている。しかも人間にとって確実に悪い方向に。
「あのキャンプから剣とかパクっておくんだった」
洞窟外に敷かれていたキャンプにはそれなりに荷物が残っていた。剣の柄っぽいものも見えていたので、あされば何かしらの武器は手に入ったはずだったのだ。
死者を弔う気持ちと泥棒はだめだという常識を優先したその時の俺にこう言ってやりたい。
そんな装備で大丈夫か? と。
なんだかんだと走っているうちに背後から聞こえていた物音がなくなっていた。もうあのイノシシは撒いたと考えてもいいだろう。
立ち止まり、ほっと息を吐いて周囲を確認する。
周囲に見えるのは相変わらずの一面の森の景色だ。風にそよいだ木々の葉がかさかさと音をたてており、危険な生き物などの姿はない。
これなら大丈夫そうだなと思った次の瞬間、ぼとりと自分の頭に衝撃があり、ぬちょっと感触を覚える。
「うへっ」
鳥の糞でも落とされたか? と思い顔をしかめながら頭を手で拭ってみると、けっこうな量のぬめぬめとした物体があった。
いや、なんか押すと押し戻してくるし、これは糞じゃない。
なんだ、これ!
「うわっ!」
慌てて両手で頭の上に載ったなにかを払いのけると、べちゃっと音をたててそれが地面に落ちた。
衝撃で横に広がった半透明の緑色の物体は、うねうねとその身を震わせながらゆっくりと横長の楕円の形状に戻っていく。その中心には丸い核のようなものがあり細胞の拡大図のようにも見えなくもない。
特に襲ってくる様子もなく、その動きもゆっくりとしているので今までのように焦らずに観察をした俺は結論を出す。
「うん、スライムだな」
こいつはRPGとかファンタジーで定番のモンスターのスライムだろう。いや現地の呼び名は違うのかもしれないが、少なくとも俺の認識ではそうだ。
俺の中ではスライムは弱いモンスターだと考えているんだが、たしかスライムが滅茶苦茶強い話とかゲームもあったはずだ。
だから油断のならない相手ではある。
「変なことはしてこないみたいだが、うーん」
着実に自分に向かって進んでくる様子からして、他の奴らと同様に俺を敵か餌として認識しているんだろうが、いかんせんその動きはのろい。
ただ歩いているだけであっさりと振り切れるだろうが、それはそれでもったいないよな。
キョロキョロと周囲に視線をやり、手頃な枝に手をかけるとしなる枝に少し苦戦しながら無理やりそれを折る。
それで得た1メートルほどの枝を右手に構え、緑の葉っぱのついた先の方をスライムに向けるとそれでスライムを突いてみる。
スライムの表面は少しの抵抗の後に、その枝を自らの内側に受け入れた。
「おおー、風船みたいな感じじゃないんだな」
どうもスライムの体は穴を開けたら中身が飛び出してくるタイプではないらしい。まあ風船形式だとそこらに転がっている石とか木の枝とかで中身が飛び出るだろうし妥当なところか。
そんな風に俺はしげしげとスライムを観察していたのだが、視界の手元の辺りに違和感を覚えてそこに視線を向ける。
「うおぉお! こっそり近づいてくんじゃねえよ!」
突き刺していた枝を伝って手元までやってきていたスライムの体を、枝ごとブンブンと振って本体から引きちぎる。
そのままベチャッと地面に落ちたスライムの一部は、スライムの本体に戻るかのような動きを見せたが、その速度は遅々としたもので集合するにはかなりの時間を要するだろうことは明らかだった。
激しい心臓の鼓動を落ち着かせるために大きく息を吐き、いちおう枝にスライムが残っていないか確認する。
とりあえず大丈夫そうだが、スライムに突き刺していた部分と、はい寄ってきていた部分の木の枝の色がうっすらと白く変わっている。
粘液かなんかが残っている様子はないんだが、あんまり触れないほうが良さそうな感じではあるな。
「とりあえず切り離せば本体の体積は減るっぽいし、いつかは倒せるか?」
枝をはっていた部分が減ったせいで、一回り小さくなったように見えるスライムを眺めながらどうするかを考える。
俺自身、実際にゲームをしたことはないし、物語にしても聞きかじった程度の知識しかない。だが、大抵の場合モンスターを倒せばなにかしらの恩恵があるということは知っている。
経験値だったり、ドロップアイテムだったり、お金だったり。
「んっ、そういえばなんでモンスターが金なんて持ってるんだ? 貨幣を使う社会的な生活をしているなら、人間と共存関係にあるとか? もしそうならそいつ等を狩るのって……」
強盗なんじゃ? そんな考えが頭の中でちらついたが、眼の前のスライム君はその半透明ボディのおかげもあり何も持っていないことは確認済みだ。
いきなり俺の頭に落ちてきたり、隠れて枝をはって襲おうとしてきたりと共存関係というよりは敵対関係のほうがしっくりくるだろう。
「よし、たぶん大丈夫。最悪正当防衛ってことで!」
だれに対するかわからない言い訳を口にしつつ、俺は新たな実験に入る。
といっても残された選択肢は多くない。その中でも最も重要だと思われるのはやはり半透明のスライムの中でひときわ異彩を放っている核みたいな丸いなにかに対するものだろう。
「あからさまに弱点のように見えるが……ならなんで半透明なんだ?」
一部の生き物を除いて弱点をわざわざさらけ出すような姿をしている者はいない。生き残るために進化するのだから当たり前だ。
そう考えると、今見えている核についてはデコイである可能性が高い。つまり無知な相手がそこを狙ったところでなにかしらの反撃があるわけだ。
「そうわかっちゃいるけど、やめられないってね」
頭ではそう理解していつつも、試さずにはいられないってのが人ってもんだ。
あくまで俺の常識は地球に基づくものだしな。この世界では全く違う進化をとげている可能性だって捨てきれない。
まあ最悪こいつならなんとか出来るだろうという目算もある。
うぞうぞと近づいてくるスライムの核をじっと見つめながら木の枝を構える。ちょっとへっぴり腰になっているのは何かあったときにすぐに逃げるためだから仕方ない。
「ほっ」
俺が突き出した枝はスライムの表面の膜をあっさりと突き破り、中に浮かんでいた核を見事に捉える。
核は枝に押し出されるようにスライムの体内から排出され、ころんと地面を転がっていった。そして次の瞬間、それまで楕円状を保っていたスライムの体がぺしゃりと地面に広がる。
まるで水たまりのようなスライムの体はわずかにうごめくだけで、特に俺に向かって襲いかかってくるようなことはない。
「えっ?」
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