第11話 お買い物
エミレットについて2日目の朝を迎えた
さすがにそこまで広くない部屋でいつも通り夜通し言葉の勉強をするわけにもいかず、仕方なくマイホームに戻って勉強していた俺をソフィアが呼びに来たおかげで朝だと気づいたわけだが。
うーん、マイホームにいるといまいち昼夜の感覚がなくなるんだよな。緑の空間は一定の明るさをずっと保っているし。
ピクトグラムである俺には睡眠が必要ない。その特性があるから、森にいたときは夜番をしがてら発音の勉強を続けていた。
動けないからずっと考えることが癖になっていたせいか、こちらの言葉の習得は自分でも驚くほどに早い。自分で日々の成長を感じられるなんてことはなかなかない経験だ。
前は単語単語の間で詰まったりすることも多かったが、話したことを思い出しながら繰り返すことで言葉間の繋がりもスムーズになってきているしな。
まだまだ知らない単語が多いのが問題だが、そろそろ通常の会話であれば違和感なく話すことができるだろう。まあ、発音を完全に再現できないからカタコトなのはどうしようもないが。
「ピクト、行くよ」
「ああ。わかった。扉を閉める」
俺が考えごとをしている間に用意が終わったのか、声をかけてきたソフィアに軽く手を上げてこたえ、俺はマイホームへ扉を閉めながら一度入り、そしてすぐに外に出た。
戻ってきた宿の部屋にマイホームへ続く扉は残っていない。よし、こっちの準備も完了だ。
俺たちがいないときに誰かに部屋に入られて、扉を見られたら面倒なことになるからな。
ちょっとスライムのカードがもったいないが、リスクを考えたらこうせざるを得ない。
2人の後について部屋の外に出ると、そこにいたはずの兵士がいなかった。不思議に思ってキョロキョロしていると、ミアが「宿の外にいる」と教えてくれた。
朝食をとるついでに、今日の予定をあらかじめ兵士に伝えておいたらしい。うーん、こういうところミアはよく気づくよな。
それに比べてソフィアは……
「なに?」
「いや、別に」
じとっとした目でソフィアに見つめられ、視線をそらしながらそう返す。うん、なにを考えていたかバレバレだろうが、まあ口にしていないだけマシだろう。
しばらく俺を見つめていたソフィアだったが、はぁ、とため息を吐くと気を取り直してミアの横に並ぶ。
ふぅ、なんかこういうところソフィアは鋭いんだよな。まあ2人で役割分担していると考えればいいコンビなのか。ソフィアの役割がいまいちわからんが。
前を歩く2人はどこか楽し気だ。
まあ今までは森の中だったり、街道を急いでいたりしていたわけで、普通の街を歩くのだからこれが普通の姿なのかもしれない。
宿の外で待っていた2人の兵士が俺を後ろ左右から挟むように歩いていなければ、俺も純粋に楽しめたのかもしれないな。
とは言え街を少し歩いてみればそんなこともすぐに気にならなくなる。
まだ昼よりは朝といった時間帯なのだが、通りにはそれなりの数の人々の姿があり、ほぼ全ての店が開店している。
昨日は見ることのできなかった人の営みがそこにはあった。
客を呼び込むための店員の声、何かを配達しているのか小走りに駆けていく尻尾の生えた男の足音。
がたごとと音を立てながら荷物満載の荷車を引いていく、緑色の毛をした牛っぽい生き物。あれが餌付けされたモンスターってやつか。
その首には、俺が冒険者ギルドで用意してもらったのと同じ赤色の首輪がはめられている。
なんとなく親近感が湧いた俺は牛に手を振ってみたが、当然のことながら牛は反応することなく去っていった。
俺が首輪をしているおかげで昨日とは違い俺の姿を見てぎょっと驚く住人はいるものの、すぐに納得顔で普段通りと思われる生活に戻っていく。
普段から牛のようなモンスターでありながら共存するという存在がいるから、この首輪のことが認知されているんだな。
俺は別にモンスターってわけじゃないが、そう思われたとしても安全な存在として認めてくれるほうがはるかにありがたい。
この首輪を用意してくれたセシルには感謝しないとな、などと考えながら俺は街を進んでいった。
茶色のレンガのような建材で組まれた街並みは、その統一感もあいまって観光名所的な雰囲気があってとてもいい。
まあ普段から生活している住人にとっては、いつもの光景に過ぎないんだろうがな。
2人は街の中心に向かって歩いている。
進むにしたがってだんだんと店構えが立派なところが多くなってきているんだが、大丈夫だよな。
通りを歩いている人たちの姿も、どことなく中流から上流階級へ変わってきているような気がする。ミアとソフィアの服装が浮いてきているのがその証拠だ。
「市場へ行くって話だったが、こっちでいいのか?」
「もう少ししたら西に向かうつもりだ。私たちもあまり街に詳しくないから安全策だ」
「知らない道を行くと危ないときがあるからね。よく知らない街では大通りを外れないほうがいいんだよ」
ミアの言葉を得意げな顔をしながらソフィアが補足してくれる。どうやらこのことは常識らしい。
うーん、街の中でも危ないことがあるのか。大通りを歩いている限りそんな様子はみえないんだが、話が聞こえていたはずの兵士たちがなにも反論しないところを見るとそれは正しいんだろう。
ソフィアたちが昔泊まっていたという安宿の話や、今の話からして現代社会とは治安の悪さががけた違いなんだろう。
いや、俺が知ってる比較対象が日本だからそうなのかもな。世界のどこかではここよりもはるかに危ない場所もあるかもしれない。
うーん、言語の問題は解決の糸口が見えてきたが、常識面ではまだまだ学ぶことが多そうだな。それも楽しみではあるが。
宣言通り、ミアはしばらく進んだところで道を西に折れ、そのまま街の外方向へ向けて進んでいく。
しばらく歩いている間はあまり変わり映えしないなと思っていたのだが、ふと視線を上げたところで周辺の家々にある煙突から煙が上っているのに気づく。
屋根から複数本の煙突が伸びているし、朝食の準備、って感じじゃなさそうだよな。
不思議に思いつつも進んでいくと、円形の広場が目の前に広がる。そこには簡易な屋根のみの店舗がいくつも並んでおり、さながらフリーマーケットの様相を呈していた。
活気というか喧騒というか迷うような盛況さを見せるそこに、2人は迷うことなく足を踏み入れる。
俺もその後に続き、店舗に並ぶ品々を見て2人が何を買うつもりなのか悟った。
そこに並んでいたのは冒険者の必需品といっても過言ではない、武器や防具だった。
中には食べ物などを売っている店もあるものの、それは数えるほどしかない。ざっと見た感じ8割以上は武器や装備を売っている店だろう。
「すごいな。なんでこんなに、武器や防具が売っているんだ?」
「この周辺には工房が集まっているんだよ。そこで作った装備を、見習いなんかが売っているんだ」
「受け売りをさも自分が知っていたように話すのは少し恥ずかしいぞ、ソフィー」
「ミアが言わなければピクトにはわからなかったでしょ、ねー?」
首を傾げて同意を求めてくるソフィアにあいまいに笑って返す。いや、そこで俺に同意を求められてもなんて返せばいいんだよ?
困惑する俺を歯を見せて笑ったソフィアは、ミアの元に戻って店を眺めていく。じっくりと見るのではなく、流し見していく感じだ。
俺にはそもそも装備の良し悪しがよくわからないんだが、店ごとに個性みたいなものが垣間見ることができて、これはこれで面白い。
積極的に声をかけてくる店員や、やる気が全く感じられず本当にただ座っているだけの者など店員の様子も様々だ。
購入する側はほとんどが冒険者のようで、熱心に見ている者や、熱い値段交渉を繰り広げている者などこっちを観察するのも面白い。
「それでミアたちはここで何を買うんだ?」
そんな市場の様子をわくわく観察しながら何気なく聞いた俺に、ミアは端的に答えた。
「ここでは、なにも」
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