第36話 エピローグ
「あー、やっぱり風呂は最高だなー」
我ながら間抜けな声が出ていると思うが、気持ちいいんだから仕方ない。なんというか全身から疲れが染み出していく感じがたまらないんだよな。
しかも以前はきゅっと足を曲げないとだめな広さしかないバスタブだったのが、今はゆったりと足を曲げれば入ることができる広さにまで大きくなっていた。
「このままグレードアップしていけば、いずれ足を伸ばして入れるようになる日も来るのか」
ゴブリンからゴブリンソルジャーに変わっただけで、全体的に広さが1.5倍くらいになったのだ。それも決して遠くない日に違いない。そう考えるだけでなんかワクワクするな。
「とはいえ今回の目玉はあれだろうけどな」
ゆったりと湯船で溶けながら、洗い場に新たに現れた3本のボトルを眺める。
ブルー、ピンク、ホワイトの3色のシンプルなボトルには、それぞれ『シャンプー』『リンス』『ボディーソープ』と書かれていた。
今ってリンスはコンディショナーとか言うんじゃなかったっけ? まあ髪の毛のない俺にとってはどうでもいいことだが。
とりあえず俺はシャンプーもリンスも使う必要がないので、ボディーソープだけを使って全身を洗ってみた。
ゴブリンの解体と掃除で汚れていた体をさっぱりと綺麗に落としてくれたので、たぶんいいものだと思う。まあ初めて使う俺には比較対象がなくて個人的な感想でしかないが。
「問題はこれが消耗品なのか、お湯みたいにひねればずっと出るものなのか……いや、お湯もずっと出るとは限らないのか。うーん、しばらく使ってみて様子を見るか」
俺はボディーソープを使ったが、ワンプッシュしただけなので使っていないシャンプーなどと比べても明確な差は見当たらない。
これが無限に使えるのならいいが、もし消耗品でどんどん減っていくということであれば事前にソフィアたちに無くなる可能性を伝えておかなければならないだろう。
そうしないと血の雨が降る事態になりかねないしな。
もう何回かプッシュすればすぐにでも検証できそうな気もするが、さすがにもったいない。
まあこれからも掃除で汚れるだろうし、数日使っていれば自ずと……
そんなことを考えている俺の耳にバタバタという足音が聞こえ、そして勢いよく半透明の扉が開かれる。
「ピクト!」
「うん、ソフィア。とりあえずノックしような。それで、そんなに血相変えてどうした?」
「ミアが、ミアが起きた!」
「おっ、マジか。すぐ行く」
俺の返事が聞こえたかどうかわからないほどの速さで身を翻したソフィアは、スパーンと再び扉を閉めると駆け足で去っていった。
うん、嬉しいのはわかるが、もうちょっと落ち着け……と言うのはちょっと無粋か。
バイタルも安定していたし、そのうち目覚めるだろうとは思っていたが4日か。
死の間際までいく重症を負っていたことを考えると、ありえないほど回復が早い。やはり俺の知る医療よりもはるかに先をいっていると考えて間違いないだろう。
とはいえ、龍と戦っていた奴らは逆再生するみたいにして一瞬で回復していたし、あれに比べればまだ常識の範囲、なのか?
「まあいいか。とりあえず先にミアの様子を見に行かないとな」
一旦考えを打ち切り湯船から出ると、俺は少しの名残惜しさを感じながらお風呂を後にしたのだった。
とりあえずざっと体を拭いて病院に向かい、俺はミアのカプセルがある部屋の中に入る。
ミアが入っていたはずの左奥のカプセルはその透明な扉を開けており、ミアが上半身を起こして座っていた。
先に戻ったはずのソフィアの姿がないな、と思いながら壁をノックして近づくとカプセルの中でミアに抱きつくようにして眠っているソフィアの姿が見えた。
まるで聖母のような優しい眼差しでソフィアの髪をすいていたミアが俺のほうを向く。
それに対して軽く手を上げながら、俺はミアに尋ねた。
「『調子、はどうだ?』」
「ああ、死にかけたとは思えないほどどこも悪くない。まるで悪い夢でも見ていたかのようだ」
「『そうか。よかった。ソフィアは、ずっと見ていた』」
「そうだな。この子にも心配をかけた。守るべきなのは私のほうなのだがな」
そう言ってミアはどこか申し訳なさそうに、自らの身体に抱きつくようにして眠るソフィアを見つめる。
そこにはなにやら事情がありそうではあるものの、まだまだ付き合いの短い俺には踏み込んで良い領域なのか判断がつかなかった。
言葉を止めた俺の様子に、ミアが気づき苦笑する。
「気にしないでくれ。しかしまたピクトに助けられてしまったな。これだけの恩をどう返したらいいか検討もつかないんだが、本当に私をもらってみるか?」
「『いいえ』」
「つれないな。女を振るときはもう少し優しくしたほうがいいぞ」
冗談めかして笑いながら、ミアがぐぐっとその背を伸ばす。特に動きにぎこちないところはないし、苦痛を隠しているような感じもしない。
本当に回復したと考えていいだろう。やっぱ、すごいな。この病院。
ミアの私をもらってみるか、という提案に興味がないわけではない。
性的なものではなく、人に猫耳と尻尾が生えているという特殊な生態を調べてみたいというのが大きな理由だ。
ただ専門の器具でもない限り体の中を見ることはできないし、外から見るだけなら別に貰う必要なんて……あれっ、病院ならそういう機器があるんじゃないか?
「んっ? なんか寒気がするんだが」
俺の視線から何かを察したのか、ミアが尻尾をピンと伸ばし、その身を震わせる。
「『なんでも、ない』」
「そういうやつは大抵なにか良からぬことを考えているものだ。まあ、ピクトなら大丈夫だろうがな。人並み外れたお人好しのピクトならな」
なんとなく見透かされたようで気まずくなり、ぽりぽりと頬をかく。
そんな事を言ったら、ミアだって他人のために命を投げ出すお人好しだろう、と言い返したいところだが、今の俺の語彙力ではそこまでの表現は無理だ。
澄んだ目でまっすぐに見つめられ、思わず目をそらした俺の様子にミアが声を抑えながら笑う。
あー、なんか人から改めてお人好しって言われると恥ずかしいな。
なんか話題を切り替えられるもの、切り替えられるもの、と視線をさまよわせた俺は、静かに寝入るソフィアの姿を見てふと思いつく。
「『ソフィア、がミアの料理が、食べたい、そうだ』」
「ああ、ソフィーは料理がてんでだめだからな。私もなんとか教えようとはしたんだが、一向に成長しなくて諦めていたんだ。そうだな、心配させたおわびに、美味しい食事でも……」
「美味しい食事!」
その単語が耳に入った瞬間、寝ていたはずのソフィアが目を開けてガバっと起き上がる。
そしてそばにいるミアと俺のほうを交互に見ながら、ぽつりと呟いた。
「ない」
絶望に似た表情を浮かべたソフィアのお腹が、くー、とか可愛らしい音を立てて俺達に抗議する。
俺とミアは顔を見合わせ、お互いにこらえきれずに吹き出した。
さんざん俺達に笑われ、ふくれっ面をするソフィアのおでこにミアがこつんと自分のおでこをぶつける。
「ソフィーのために美味しい食事をつくるよ。待っていてくれて、本当にありがとう。ソフィー」
「うん。うんっ!」
おでこをくっつけあったまま、涙を流して笑う2人を、俺はそっとそばで見守り続けた。
助けることができて本当に良かった。
その思いを深く噛み締めながら。
これにて第1章は終了となります。
1日投稿を漏らしてしまったことはありましたが、なんとかほぼ毎日投稿の目標は達成できホッとしております。
ここまでお読みいただきありがとうございます。皆様が読んでいただけたおかげでここまで継続できました。
まだ続きを書く予定ですが、ここで1つの区切りとしてよろしければ評価などをしていただければ幸いです。
モチベーションを向上させる大きな起爆剤になりますので、どうぞよろしくお願いいたします。




