第28話 せんせいのお時間
その後、ソフィアとミアは2人連れだって女風呂に戻っていった。着替えも全部俺が濡らしてしまったから、シャワーで体を流すついでに洗濯してしまうらしい。
たしかに服を濡らした後に洗面台に残った水が、泥色になっていたしな。この際まとめて洗ってしまうのもいいだろう。
まあどこからそのお湯がきているのかは不明だが、いちおう使い放題みたいだしな。
かくいう俺は、取り外した鏡を元に戻そうとしたんだが無理やり引っこ抜いたせいかうまく戻らず、仕方がないのでそれを手に持ちながら外に出ていた。
そこにはソフィアとミアの姿はなく、その代わりと言ってはなんだがおそらくリュックに入っていたと思われる荷物が盛大にぶちまけられている。
ミアの焦りが伝わるその惨状に少し苦笑いしながら、片づけておいてやるかと足を向けた俺の目に飛び込んできたのは……
「これは、日記か? なんかちょっと違う気がするが」
結構の分厚さのある紙束には細かい文字がこれでもかと書き込まれている。
英語の筆記体のように連なった文字列にはところどころに空白があり、それが単語ごとの区切りであることがなんとなくわかる。
「そりゃ文字は違うよな。しかし読めないのは不便というか当たり前で安心というか」
思わず複雑な思いが口からもれる。
話し言葉と同じように、俺には普通の日本語とか英語に見えるが、実は違う文字だったなんてことになったら文字を覚えるのは絶望的だったはずだ。
でも文字の違いははっきりと認識できるなら、文字さえ覚えてしまえば最悪筆談でコミュニケーションをとることも可能になる。覚えるまでは大変だろうが。
「ピクト、何をしてるの?」
「んっ、ああソフィアか。お前は洗濯しなくていいのか?」
「洗濯に2人もいらない、ってミアが。私はピクトと話しでもしてきたらって言われた」
「戦力外通告されたわけだな」
「ピクトが寂しくないように、ミアが心を砕いてくれたんだよ」
良いことを言っている風に聞こえるが、ソフィアの視線は不自然に泳いでいる。
全くの嘘ではないんだろうが、俺の戦力外通告ってのも間違いではなさそうだ。まあソフィアの体調を考えてって部分もあるんだろうが。
しかし話し相手か。これはある意味ナイスタイミングだな。
「ソフィア。俺に言葉を教えてくれ。この文字がそうなんだろ?」
「えっ、ああ、うん。そう、だね」
なんとも歯切れの悪い返事に、もしかしてこれは見たらダメなものだったのかという考えが頭をかすめる。
「もしかして、これはソフィアのポエム集なのか?」
「んっ? ポエ、んっ、なに?」
「いや、みなまで言わなくていい。そうだよな、ソフィアぐらいの年頃ならそういうちょっとイタイ、じゃなくって、自らの心の内にほとばしる情熱を書きなぐりたくなることもあるよな。大丈夫だ。俺はそういうのには理解があるつもりだ」
うんうんとうなずきながら、ソフィアに持っていた紙束を返してやる。
しかし中二病は世界を超えるのか。なんというか感慨深いものがあるな。もしかしたらソフィアはミアに隠れてこっそりと、「わ、私の右手に封印されし血塗られた邪竜が……」とかやっているのかもしれない。
うん、ちょっと見てみたい気もするが、気づかないふりをしてやるのが正解なんだろうな。俺そういうの初めてだし、後でミアにどう対応しているのか聞いてみよう。
「なにを想像しているのかわからないけど、たぶん違うと思う」
「|約束された天からの閃光のほうがよかったか?」
闇属性じゃなく光属性のほうだったかと尋ねてみたのだが、ソフィアは首を傾げるばかりでその反応は芳しくない。
うーん、どうやら俺の予想は違ったようだ。ならなんであんなに歯切れが悪かったんだ?
「えっと、とりあえずピクトは言葉が知りたいんだよね」
「ああ。話せるようになるのが第一目標だが、俺には普通に自分の言葉に聞こえているからそれは難しそうなんだよな。最悪筆談でもいいかと思ったんだが」
「ちょっと待って」
俺にそう言うと、ソフィアは紙束の中から何も書かれていないページを抜き出し、床に転がっていたペンでさらさらとそこに文字を書き始める。
筆記体のような文字を一文字ずつに分解した表を書き終えたソフィアは、その最初の文字、丸の中に2つ点々が入って顔のようになっているものを指さす。
「これは、『ウェ』」
「ウェ?」
「そうそう。で、この文字が『ヌ』」
「ヌ」
「で、これを繋げるとリンゴになるんだけど」
「うん、ちょっと待とうか」
うん、今完全におかしいことが起こったな。
なんで『ウェ』と『ヌ』を繋げたらリンゴになるんだよ。普通にウェヌだろうが。
ソフィアの口の動き的にも、リンゴではなくウェヌと言っているのは確かだ。うーん、可能性としては意味のある言葉になると自動変換されるってところか。
いや、どういう原理なのか全くわからんが。
とは言えこれは悪いことばかりじゃない。逆に言えば単語の発音だけであれば現地の言葉が聞き取れるのだ。
あとは単語を記憶してそれに従って発音すれば、片言でも話すことは可能になるはず。
となればすることは1つ。
「悪いがソフィア。この単語ごとに発音していってくれるか。あといくつかの単語も書いてほしい」
「うん、いいよ。もともとそのつもりだったし」
たしかに言われてみれば単語に区切って文字を書いてくれたのはソフィアだったな。
まるでこの事態を予測していたようにも思えるが、まあ効率的なのは悪いことじゃない。
俺はソフィアに発音してもらいながら、文字の横に日本語で発音を書いていき、手作りの発音表を完成させたのだった。
その後しばらくソフィアによる言語レッスンを受けていると、女風呂の出口からミアが姿を現した。
さすがにゴブリンに襲われてぼろぼろになった服ではなく、生成り色の地味なワンピースにベルトを着けて腰に剣を提げている。
ミアは俺たちの姿を見つけると、こちらに歩み寄ってきた。その姿を見て、ソフィアが俺の脇を肘でつつく。いや、そんなことしなくてもわかってるって。
「2人はなにをしているんだ?」
「んー、別に。ねえ、ピクト」
「『そうだ、な。た、だのおしゃ、べーりの練習だ』」
俺の発した言葉に、ミアが目を見開いて固まる。
おっ、この反応からして何とか意味は伝わったっぽいな。どうせならミアを驚かしてやろうというソフィア先生の無茶ぶりはなんとかこなせたようだ。
「もう話せるのか?」
「少し、な」
「先生がいいんだよ。そう先生がね」
自らの胸に手を当て、どや顔を決めるソフィアの姿に苦笑しながら、あながち間違いではないのでうなずいておく。
ほんの30分程度の短い時間でここまで話せるようになったのには、ソフィアの助力のおかげも確かにある。まあ俺もそれなりに頑張ったけどな。
そもそも非常口のピクトグラムは全世界に広がる、世界的に認知度の高いものなのだ。
言葉の壁を越え、その意味を伝える役割を果たしている俺にとって、この世界の言葉を話すという壁なんて小さなものだってことだ。
今話した言葉は、丸暗記しただけなんだけどな。
まあ、知らない単語もまだまだあるし、どうしてもとぎれとぎれになるから片言を話す外国人みたいなのが限度だろうが、意思の疎通ができるってのが第一だ。
特に『はい』と『いいえ』は完璧に覚えたから、ある程度ミアとも意思疎通はできるはずだ。後は徐々に慣れていくしかないしな。
「それで洗濯は終わったの?」
「ああ。今は中で干しているから、そのうち乾くはずだ。言葉を話せるのならちょうどよかった。ピクト、この場所には森のどの場所からでも戻ってくることができるということでいいか?」
「『はい』」
「もう1つ質問だ。ここから出たときはどの場所に出る?」
「『はい、ったとこ、とこり……』あー、まだ無理だ。出るのはここに入るために使った扉があった場所だな。今ならさっきのキングボアを倒した場所に出るはずだ」
「入るために使った扉のあった場所に出るって。今ならさっきの森の奥に出るみたい」
「そうか」
答えを聞いたミアは、腕を組んでしばらく考え込む。考えるときの癖なのか、ゆったりと左右に振られる尻尾をなんとなく目で追っていると、ミアは1度大きくうなずき顔をこちらに向けた。
「一度森へ戻り、街に向かいたいと思うんだが」
「『体調、は?』」
「不思議なことに体の調子がいいんだ。だから普通に森を歩くくらいなら問題ない。私たちは森の異変の調査依頼を受けてやってきたんだが期限があってな。あまりのんびりもしていられないんだ」
そうなのか、とソフィアに目を向けると少し険しい顔をしながらも首を縦に振った。
この様子からして、依頼を失敗すると何らかのペナルティーがある感じか。
ミアはそれを回避することを優先し、ソフィアはミアの回復を優先したい。ただその当人のミアが行きたいと言っている、と。
うーん。
腰に下げたバッグの中にはまだ9枚のスライムのカードが残っている。余裕が全くないというわけじゃないんだよな。
よし、こういうときは日本人が大好きな折衷案だな。
「無理そうならすぐに戻る。これが条件だ」
「本来なら体力を回復させるのが大優先なんだぞ。依頼なんて失敗したところで罰金を払う程度で済むんだから気にしなくていいんだ。それでもなお行くというのなら、もしなにかあったらすぐに戻るということを約束しろ、だって」
「ソフィー、絶対にピクトはそんなこと言ってないでしょ」
「言ってたよ。ねー」
ねー、と可愛く同意を求められても、これはうなずけないだろ。というか依頼に失敗したら罰金を払うなんて俺が知るはずないし。
それはミアもわかっているのか、優しい微笑みを浮かべながらソフィアの頭を柔らかく撫でる。
ソフィアは不服そうにしながらも、その手をどけるようなことはしなかった。
結局ミアの提案が通り、鎧などを身に着け準備を整えた2人と俺は開け放たれた白い扉の前に立っていた。
洗濯した衣服などはここに干したままであり、荷物も水の入った袋や携帯食料など必要最低限の物以外はここに置いていくので身軽だ。
「じゃあ、行くぞ」
2人の手を取り、そのまま3人で扉に1歩足を踏み入れる。前と同じように視界が真っ白に染まり、吸い込まれるようにして俺たちは扉の中に引き入れられる。
そしてゆっくりと視界が戻り、森の風景が目に入ってきたのだが……
「おいおい、なんの冗談だよ。これ」
数十、下手をすれば百近いゴブリンたちの視線を一身に集めた俺は、そう呟かずにはいられなかった。
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