第26話 初めてのお風呂
すみません1日予約がずれていました。
本日2話投稿させていただきます。
トイレは仕方ないとしてももうちょっとなんとかならなかったのか、と俺が少しがっかりする中、ソフィアとミアはその瞳の輝きを増していた。
「ピクトさん、あれはもしかしてお風呂ですか?」
「たぶん?」
外見上トイレとほとんど変わらないため確証はないが、これまでの経験上、間違いなく風呂であるはずだ。
いちおう男と女のピクトグラムが貼られた扉には、それぞれ紺と赤ののれんがかかっていてそれっぽい雰囲気を醸し出しているし。
「私、さっそく見てきます。って、痛っ!」
元気よく飛び出していったソフィアが盛大に頭をぶつけて体をのけぞらせる。
うん、馬鹿なのか。さっき散々頭をぶつけたのに全く学んでないのかよ。いや、これだと言い方が悪いな。純粋とか、天然なんだと考えよう。
頭を押さえて涙目でしゃがみ込むソフィアを、ミアが微笑ましそうに眺めていることから推測してもこれがデフォなんだろうな。
「ほい」
検証用にあらかじめ作っておいたゴブリンのカードから1枚ずつをソフィアとミアに渡す。
「ううっ、ありがとう。ピクトさん」
「ピクトさん、助かる」
「いや、別に……んっ?」
いいぞ、と答えようとした俺の目の前で2人の持ったカードがパッと光を放ちながら焼失し、そしてこれまでと同じように魔法陣が地面に描かれていった。
2人の顔にそこまでの驚きはない。このカードはこういうものだと思っているんだろう。しかし俺は違う。
「ピクトっていう言葉がキーワードなのか。あっ」
うっかりとその言葉を口にした瞬間、腰に提げたお手製のマイバッグから光があふれる。どうやら検証のために用意しておいたゴブリンのカードが反応したらしい。
うん、はからずもキーワードが証明されちまったな。
しかし「ピクト」か。だからさっきの2人の「ピクトガーム」でも問題なく発動したんだな。
しかしなんでその言葉なのかはわからないな。まあそもそも誰がどんな基準で決めているのか不明なんだし、そこに理由を求めるのもおかしいのかもしれないが。
俺がそんなことを考えていると、あからさまにそわそわとし始めたソフィアが問いかけてくる。
「ねえ、ピクトさん。見てきていい? というか使ってもいい?」
「いいぞ。後で使い心地を教えてくれ」
「わかった。行こう、ミア!」
「あっ、ちょっとソフィー」
楽し気に笑うソフィアに手を引かれ、困惑した表情のミアが引きずられていく。それに適当な感じで手を振って見送りながら俺は少し考え……
「風呂か。ちょっと俺も入ってみるか」
初めて本物の風呂に入るということへの興味がカードの検証よりも勝ったため、俺も2人の後を追って四角い豆腐建築の入口へと向かう。
俺に性別というものは存在しないんだが、まあなんとなく男に思われているような気がするし男性用に入っておけばいいだろう。
なんとなく女性用に入っていったらミアに斬られそうだしな。
入口ののれんをくぐると、土間になっており一段上がった木目の廊下が続いていた。ここで靴を脱ぐわけだな。靴を履いていない俺にとっては全く関係ないわけだが。
短い廊下をすぐに折れて奥にいくとそこは脱衣所になっており、その奥には曇りガラスが貼られた扉があった。
脱衣所の広さは2帖くらい。壁に鏡の貼られた洗面台があるくらいで他には何もないため意外と広く感じられる。
当然脱ぐ物などほとんどない俺は、腰につけたお手製バッグのみを外して床に置くと、曇りガラスの扉を開けて中に入った。
「おおー、なんか古き良きって感じの風呂だな」
全面、正方形の白のタイルで貼られたそこには、そんなに背が高くない人なら足を伸ばせる程度の浴槽が備え付けられていた。俺の場合はちょっと膝を曲げないと無理だろう。
空の浴槽にお湯を張るための自動ボタンなどはなく、蛇口をひねってお湯を入れていく方式のようだ。
お湯と水のカランをひねってお湯をためつつ中を見回すが、壁に備え付けられたシャワー以外は特になにもなさそうだ。
「うーん、シャンプーとかリンスとかはないんだな。まあそれはそうか。誰が補充してんだって話だしな。あれっ、そうするとトイレに紙とかってあるのか?」
ちょっと疑問に思って風呂から離れて外に出ると隣にある男子トイレの中に入る。
こっちは普通の公衆トイレのような感じで鏡のある手洗い場を通り過ぎると立ってする小便器が3つ並んでおり、その反対側にある個室のトイレの中に入ると……
「紙はあるんだな。しかも三角に折られた紙が」
2つある個室トイレは和式、洋式の2種類の便器がついており、その壁には両方ロールタイプのトイレットペーパーが備え付けられていた。
しかも先端が三角に折られて取りやすくなっている。うん、誰がやってんだよ、これ。
いきなり現れたトイレなんていう超常現象の産物に突っ込んでも無駄だとはわかっているんだが、なんだかなぁ。
そんなことを思いながら風呂に戻ると、浴槽の8割程度までお湯が溜まっていた。お湯を止めて手を中に入れてみると、ほんのりと暖かくて気持ちいい。
期待感を高めつつ俺は汚れを落とすためにシャワーを浴びるが、これでも十分気持ちいいな。シャワーでこれなら浴槽はもっと気持ちいいんじゃないか?
全身、特に森を歩き回った足元をよく洗い、いよいよ浴槽に足をかけ、全身をその中に沈めていく。
「っ、あぁぁー」
全身を包み込むお湯の心地よい圧力に、凝り固まっていた体がほぐれ自然と出したことのない音が口から漏れた。
これは格別だ。
食事もそれなりの感動はあったんだが、風呂はそのはるかに上を行く。
「あー、これを知ることができただけでも扉の向こうに行った価値はあった」
異世界のこととか、不思議なカードのこととか色々とごちゃごちゃ考えていたことがお湯に溶けていく。
なるべく全身が沈むように体を丸めながら俺は天井を見上げて愉悦の息を吐いた。
一方その頃、女風呂ではピクトと同じようにソフィアが浴槽に全身を沈めていた。ただ身長差もあるためソフィアのほうがのびのびとしていたが。
その赤く染まった頬とそのとろけるような表情からは「快」の感情以外うかがえない。
「ソフィー、油断しすぎだ。ピクトに心を許しすぎじゃないか?」
「えー、だってお風呂なんて私初めてだよ。聖女時代にも入れなかったし。訪問したいくつかの貴族の屋敷にはあったらしいけど、私は使わせてもらえなかったんだよね」
体勢を変えたソフィアが浴槽の淵に両腕を載せて組み、その上に顎を乗せてミアに視線を向ける。
そこでは全裸のミアがシャワーのお湯をふんだんに使いながら、ボロボロになった自らの衣服をもみ洗いしていた。
先程の戦いだけではない汚れが染み出し、排水口へ薄黒く汚れた水が流れていく。
「ミアだって剣を外に置いてくるくらいには信用しているんでしょ」
「……錆びるから仕方ない」
「またまたー」
本当に信頼していないのならそもそもミアが2人で風呂に入るような選択をしないことをソフィアはわかっている。
そしていつも傍らにある剣を扉1枚とはいえ手放しているということを考えれば、ミアから見たピクトの評価はかなり高いことがわかるのだ。
「少しは気を緩めたら? 私はピクトさんはいい人だと思うよ。教会の中枢部にいた人たちよりはよっぽどね」
「……人ではないと思うが。それはそうかもしれないな」
洗っていた衣服をねじって水をきったミアは、それを洗い場の片隅に置くと軽くシャワーを浴びる。
ミアの鍛え上げられた体は、猫の獣人特有のしなやかな筋肉の相乗効果もあり、女性らしい柔らかさも兼ね備えたまるで芸術品のような美しさを誇っている。
ただ1点惜しむべくは、その背中の肩甲骨から腰にかけて大きな傷跡が残っていることだろう。
シャワーを浴び終えたミアがプルプルと頭と身体を振ると、張りのある肌がシャワーの水を弾き飛んでいく。その時に揺れ動いた自分にはないものに複雑な感情を抱きながら、ソフィアはミアに向けて手を伸ばした。
誘うように伸ばされたソフィアの手を取り、ミアがソフィアの後ろに回り込むようにして湯船に入る。
ミアに抱え込まれるようにしながらお湯につかるソフィアの顔は赤く、そしてとても嬉しそうだった。
「こんなにお湯がいっぱい使えるなんて夢みたいだねー」
「ああ、本当にな」
「洗濯にも使えるし?」
「それもある」
「ミアらしいね。でも本当に気持ちいいー。なんか視界がぐるぐる回って楽しいね」
「んっ?」
ソフィアの言動に違和感を覚えたミアがその顔をのぞき込むと、ソフィアは顔どころか全身を真っ赤にしながらうつろな目をしていた。
まさかこのお湯に毒が? と慌ててソフィアを抱き上げて浴槽から出たミアだったが、神殿騎士時代に教わった毒特有の苦みやピリつきなどは感じられず困惑に眉根を寄せる。
覚えている初級の体力回復と解毒の奇跡を使ってみたが、ソフィアの様子が変わることはない。
ミアもソフィアも、これまで体を綺麗にすると言えば水浴びか、桶に入ったお湯にタオルをつけて拭くくらいで風呂に入ったことは初めてなのだ。
似た症状を見たことはあるものの、そうだと断言できないミアに残された選択肢は多くなかった。
「仕方ない」
苦々しい顔でそう呟いたミアは、抱き上げたソフィアを抱えて浴場から外へと出る。現状で唯一頼りにできそうなピクトのもとへ向かうために。
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