第10話 マイホーム
さて久しぶりのマイホームに戻ってきたわけだが、うん、クマとイノシシがいるだけで違和感が半端ない。
とは言え緊張の連続だった日々からちょっと一息つけるという意味では、ここに来て良かったと言える。
ピクトグラムの俺には肉体的な疲労はないが、さすがに命の危機は精神的にくるものがあるしな。
なんとなくいつもの扉の前で駆け込むポーズを取りながら、これまでのことを振り返ってみる。
扉の先に行ったら、真っ暗な行き場のない部屋に飛ばされ、ドラゴンに軟禁された。なんとか隙を見て逃げ出したら、今度は森の中で迷子になって変な生き物たちに追いかけ回された。
うん、ろくな目にあってねえな。
「せっかく帰ってこれたんだし、ここにいるのが安全だってのは確かなんだけどなぁ」
そんなことを呟きながら、目の前で開け放たれた白い扉を見つめる。
そう、こいつだ。こいつが曲者なんだ。
俺は扉を閉じてここに戻ってきた。それは間違いない。それなのになぜか、目の前の扉は完全に開け放たれているのだ。
「今までもそうだったってのは確かなんだが……」
腕を組んで考え込みながら、うめき声をあげる。
俺がここにきて数十年。扉はずっと開いていた。それは当たり前だったし、前はそんなこと気にも留めていなかった。
しかし今俺は、この扉の先がどこか違う場所に繋がっていることを知ってしまった。
これまではそこから何かが出てくるなんてことはなかったし、想像もしてなかった。しかしそれがもし、幾多の幸運のおかげで出てこなかっただけだったとしたら?
いきなりイノシシやクマ、いやあの黒いドラゴンみたいなやつがここに現れたとしたら、俺は成すすべもなくやられてしまうだろう。
現にクマやイノシシがこちらにやってきているのだ。あちらの世界のものはこっちには来られないなんてことはない。
「となると最低限の準備はしておきたいよな。と、なるとだ……」
こっちの世界で俺が動けるのはこの緑の空間の中だ。外に出ることはできないし、そもそも外に出たとしても武器なんて早々に手に入れられるものでもない。
たまたま今回はクマとイノシシを倒すことができたが、こんな化け物相手に包丁とかで対抗できるはずがないしな。
「というか日常的にそもそもそんな化け物がいるって想定してないんだし、そうなるとあっちの世界で探したほうがいいよな」
扉の向こうの世界では、おそらく化け物がいるのが普通だ。だってドラゴンを倒そうとする人間すらいるんだ。
剣や盾だってあったし、魔法なんかが覚えられれば安全性は格段に高くなるだろう。問題はこんなボディの俺があっちで受け入れられるかってところだが。
緑のスリムボディである自身を眺める。
いちおう形としては人間だ。まあピクトグラムってのは簡易化した図面で意図をわかりやすく伝えるものなんだから、人のピクトグラムとして造られた俺がそう見えなかったら大問題なわけだが。
だが人間ではない。あくまでそれを模したものであって、俺は……
「あー、やめやめ。どっちにしろ情報なんて全くないんだし、行き当たりばったりで行くしかねえだろ。俺にとっては脅威だったこいつらだって、あっちの世界ではありふれた存在だという可能性だってあるしな」
嫌な考えを振り払うために大きく息を吐き、ぐっ、と背中を伸ばして緑の天井を見つめる。
そしてそこらに鎮座したクマとイノシシを眺め、ふと気づく。
「いや、自分で言っておいてなんだが、こいつらがありふれた存在の世界には行きたくねえな」
行こう! としていた決意がしぼんでいくのを感じながら、俺は少し目を細め苦笑いをした。
さて、俺の安住の地を守るためにもあっちの世界に戻る決意はしたわけだが、全くなにも考えずに出て行くのは馬鹿がすることだ。
あっちはこっちと違って、あきらかに死に直結する場面が多いんだからな。
「問題はどこに出るかってところだよな」
腕組みしながら考えてみるが、これに関しては全くわからない。候補としては、最初に出たドラゴンの奥の部屋か扉が現れた森の中が有力だとは思うが、全く別の場所に出る可能性は否定できない。
今回行ってみればある程度の法則性は見つけられると思うが、さすがに1回しかない経験から結果が推測できるわけがない。
「結局出たとこ勝負しかないな。やることは一緒だし。次はどこに行くかって、これも無理だよな」
安住の地を守る手段を見つけるという目的を考えれば、人里に出るのが最も早い方法だろう。
何かを手に入れるのにも、魔法や戦いの技術を覚えるにしても自分でなにもわからずに手探りで行うよりは人の教えを請うほうが早いのは当然だ。
だがこれまで洞窟に閉じ込められ、森でさまよった経験しかない俺に町の位置などわかるはずがない。
「餓死することはないんだし、ある程度方角を決めて歩き回るしかないか。まあ、町の近くにいきなり出るって可能性も0ではないしな」
あえて楽観的な思考を浮かべ、腕組みを解く。
他には……他ってなにが考えられるんだ?
というかほとんど情報がないこの状況で、考えられることなんてほとんどなかったわ。誰だよ、全く考えずに出るなんて馬鹿のすることなんて言った奴は。
「さてと、じゃあ行くかね」
なぜこの場所に帰ってくるための扉が突然現れたのか、そして再び現れるのかとか、心配なことは他にもたくさんある。
ここにいれば安全な今までどおりの生活ができる可能性もあるとは理解している。
でも……
「せっかく思い切って一歩踏み出したんだし、なんだかんだ言って、退屈はしなかったしな」
非常口のピクトグラムとして過ごす日々はとても安全で、変化のない日々だった。日に何度か廊下を通る人を眺めるだけで時が過ぎていく。
それが俺にとって当たり前の日常だったし、退屈という感情を抱いたこともなかった。
扉の先の世界ははっきり言って最悪だ。
ドラゴンなんて馬鹿げた化け物がいるし、人間もそれに対抗するような力を持っている。
クマやイノシシ、その他にもよくわからない生き物が俺をつけ狙ってくるとんでもない世界だ。
でも、それでも、そんな変な世界の中で自由に動き回り、自分で行動を決めることが出来るというのは楽しかった。
いつもどおりの見慣れた緑一面の世界と、そこに転がるクマとイノシシに向かって軽く手を上げて別れの挨拶をする。
「まっ、いつになるかわかんねえけど戻ってくるよ。じゃあな」
そう言って俺は2度目の非常口の先へと一歩踏み出した。
その瞬間、クマとかイノシシを残したままにすると腐ってやばいことになるんじゃないかと気づき戻ろうとしたのだが、俺の体は自分の意志とは関係なく吸い込まれるように扉の先へと引っ張り込まれてしまったのだった。
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