691 侍従長の下僕のうすのろ殿一家
侍従長の屋敷
「誰かいるか」
「へーい」
なんだ。誰だ。
薄汚れた男が入ってきた。
「旦那様、何か用で」
うすのろか。皆にうすのろと馬鹿にされていた一家がいる。うすのろだが陰日向なく働いている。ときどき声をかけてやった。王宮でもらってきた菓子を与えたことも度々あった。王宮以外で気の置けないところにはたまに馬車のお供をさせたこともある。皆がうすのろ一家を追い出せと言ってきても首にすることもなく屋敷に置いていた。
「他のものはどうした」
「みんな出ていっちまった」
「そうか。残ったのはお前だけか」
「へい。あと家族だ」
侍従長は首から吊るしている鍵を外してうすのろに渡した。
「ベッドの頭の下に鍵穴がある。開けるとそこに箱が入っている。取り出して持ってきてくれ」
「へい」
うすのろが箱を持ってきた。
「お前の家族全員を呼んできてくれ」
「へい」
うすのろが家族を連れてきた。奥さんと子供二人だ。
侍従長は箱をあけて紐付きの小袋を一人一人に渡した。中には砂金が入っている。
「首から下げなさい」
うすのろと家族が首から下げた。袋がぶらぶらしている。
「袋は服の中に入れておけ」
「へい」
言われた通り服の中に入れた。
「元宰相の家は知っているな」
「へい。一度旦那様と一緒に行っただ」
「この袋の中に元宰相への手紙が入っている。お前ら全員で届けてくれ。一人も欠けてはこのお使いはならぬ」
「へい」
「それから、テーブルに乗せてある書類を持って来てくれ。灯りを近づけてくれ。書類を読むのに歳でよく見えぬ」
「へい」
うすのろが書類をベッドの上に置き、灯りを近づけた。
「みんなよく働いてくれた。感謝する」
「旦那様、何言ってるだ。うすのろのおらたちは旦那様にずっと雇ってもらっただ。ありがてえのはこっちだ」
「そうか。そうか。わかった。じゃ仕事だ。みんなですぐ宰相の家に行ってその袋を届けろ。そして返事を聞いて宰相のいう通りにしろ」
「わかっただ。すぐけえって来るから待ってろや」
「ああ」
うすのろたちが出て行った。愚直だから言われた通りみんなで行ったろう。最後にしてやれることはしてやった。
それからうすのろが十分元宰相の屋敷についた頃合いに、灯りに書類を翳した。火がついた。床に投げる。同じ様に書類に火をつけてベッドやら床に投げた。やがて火が回ってきた。
元宰相邸
観察ちゃんからうすのろと呼ばれている侍従長の雇人がやって来ると聞いたシン。
「プレベイウスさん。侍従長屋敷から、うすのろと呼ばれている一家が侍従長に使いを頼まれて来るそうですよ」
うすのろか。
「うちに侍従長と来たことがあります。わかりました。表で待っていましょう。彼らではなかなか入りずらいと思います」
「はい。お願いします」
宰相が表に出ると、粗末な身なりをした一団がやって来る。門の前まで来た。
「あのう。宰相様にお届け物があるだ」
「お疲れ様。家の中に入ってくれ」
「おらたちはこの格好だで、こんな立派な家にはへえれねえ」
「そうか。じゃあこっちに来てくれ」
使用人が使っていて今は空き家になっていた小屋に一緒に行った。
「まあ座ってくれ」
「へえ」
一家が椅子に座る。
「届け物は何だい」
「これでごぜえます」
薄汚れた袋を出された。多分綺麗だとかっぱらわれるとの侍従長の気遣いと気がついた。
袋を開けると、手紙とさらに袋が入っていた。
手紙を読む元宰相。
「侍従長は、もはや人を雇っておく余裕がなくなったそうだ。それで私にみんなの行く末を託された。このままここに住んで屋敷周りの清掃などをしてくれ」
「だどもおらたちはけえると言ってきただ」
「侍従長は最後になんと言った。返事を聞いて言う通りにしろと言ったはずだ」
「へえ。返事を聞いていう通りにしろと言っただ」
「命令は聞かなければならない。だからこの小屋に住んでここで働きなさい。それからこの袋の中には砂金が入っていた。みんなの生活費にしてくれと手紙に書いてある。それから首から下げた袋にも砂金が入っている。侍従長からの贈り物だ。大事にしなさい。私は皆さんを侍従長から託された」
「へえ」
「生活に必要なものは今届ける。差し当たり寝具と煮炊きの道具と食料だな。それに服だな。当家のお仕着せがあるので家族の分を含めて届けよう。小屋にあるものは自由に使って良い。食料は厨房から届けさせよう。慣れてきたら取りに行くと良い」
「へえ。ありがとうごぜえやす」
「明朝皆に紹介する。気楽に働いてくれ」
「へえ」
その時貴族街の方が赤くなった。
火事だと言う声がする。
「新しい旦那様。あれは旦那様の家の方だで行ってみてえ」
「よし。一緒に行こう。家には馬車がない。走るがいいか」
「へえ」
「待ちなさい。うちの馬車を出します。乗りなさい」
ステファニーさんが出てきた。
アイスマンが馬を馬車に繋いだ。4頭だ。
「さ。早く」
ブランコとエスポーサが遠慮する元宰相と新しいお庭番一家を馬車に押し込んだ。
アイスマンが御者をしてブランコが隣に座った。
「ハッ」
アイスマンが合図すると馬車が走り出した。先導は観察ちゃんだ。暗くとも僕らのバトルホースは夜も目が見えるので何も問題はない。
夜の街を馬車が疾走する。
貴族街について入り口で番をしている近衛兵に、元宰相が顔を出してご苦労と言って通過した。
侍従長の屋敷が燃えている。無風でかなり広い敷地なので類焼の心配はなさそうだ。
「旦那様ー」
うすのろ殿一家が炎の中に飛び込もうとする。ブランコとアイスマンがうすのろとその奥さんに抱きついて引き止める。子供二人は元宰相が抱きついて止めた。
「旦那様ー」
うすのろ一家の悲痛な叫び声が炎の中に吸い込まれて行った。
意識が薄れつつある侍従長。その声を聞いた。瞑った目から涙が滲み出る。
「達者でな。宰相、頼んだぞ」
屋敷が崩れ落ちた。
隣近所の貴族は、使用人が誰一人残っていない中、炎の中に飛び込んで助けようとしたのはうすのろ殿一家だけである。あっぱれ忠臣うすのろ殿一家と思った。
侍従長が政敵の元宰相にうすのろ殿の身柄を託したと聞き、今は亡き侍従長の株も上がるのであった。そして感動した隣近所の貴族屋敷の主人。元宰相の家に身を寄せているうすのろ殿に差し入れをした。
災難だったのは侍従長の屋敷に仕えていた人たちである。主人が苦難の時に見捨てたと、再就職先がなくなった。決まりかけていた再就職先にも一転手ひどく断られた。侍従長に仕えていた人たちはトボトボと一家で都落ちしていくのであった。




