第1章 第7話 ひとつずつ
「どうやったら先輩みたいになれますか?」
いつだったか先輩にそう訊ねてみたことがあった。
「ボクみたいって?」
「先輩は関わった人みんなを幸せにできるでしょ? 俺もそうなりたいなぁって」
その当時の感情を鮮明に思い出すことはできないが、たぶんそこまで本気で悩んでいたわけではなかったと思う。ただとにかく、何でもいいから先輩と話がしたかった。いつだって俺はそれだけだった。
「別にそんなことないけどなー。ボクはただ楽しそうなことをやってるだけだし」
「そんなことないでしょ。服装規定の時も、ビバリーの時も。関わった人みんなが救われる結末になった。ただ罵倒するだけの俺とは物が違うよ」
「どうだろね。服装が自由になったら素行が悪くなる人が増えるだろうし、ビバリーの時のグループの顔がいい子を狙う作戦も、待ってる人からしたらただの罰ゲームなわけじゃん? ボク的には新斗の口の回転数の方がうらやましいけど。隣の芝生ってやつじゃない?」
「そうですかねー」
それは望んでいた答えじゃなかったけど、話の流れでも褒めてくれたことがとてもうれしかったのを覚えてる。
「まぁでも、新斗がすごいって思ってくれてるのなら成功かな」
「成功?」
「ボクが動く条件は知ってるでしょ?」
「一つ、自分に関係があること。二つ、自分にメリットがあること。三つ、その人に好感があること。そうじゃないと自分が本気になれないから」
「ボクよりすらすら言えるねー。でもこれは最近だけど、もう一つできたんだ。まだ誰にも言ってないけどね」
「それって?」
先輩が笑う。少し照れ臭そうに、でも本気の表情で。
「新斗にヒーローだって思ってもらえること」
ヒーロー。そう、先輩はみんなのヒーローだった。俺一人で独占なんてしちゃいけない。
「やっぱりかわいい後輩にはかっこいいところ見せたいんだよ。正直人助けなんて元からあんまり興味ないからさ。みんななんて人はいない。ボクは新斗にかっこいいなって尊敬されたいだけ。新斗も大切な人ができたらわかるんじゃないかな」
恥ずかしそうに顔を窓の外に向けて笑う先輩を見て俺は言いたかった。その大切の中には後輩以上の想いはあるのかと。まぁ振られたらと思ったらそんなこと口が裂けても訊けなかったが。少なくとも先輩の言葉の真意は当時の俺にはわからなかった。
「……千堂、俺を殴れ」
先輩の言葉の意味は数ヶ月経った今でもわからない。大切な存在はずっと変わっていない。でもかっこいいところを見せたいという気持ちは当時からなかった。ただ一緒にいられるだけで幸せだった。
「そんなお願いをしてくるなんて、やっぱり先輩はMですね」
「違うよ。俺はただ……後輩にかっこいいところを見せたいだけだ」
それでも今俺が千堂にその感情を抱いているということは、やはり陽火先輩は俺に恋愛感情はなかったのだろう。あるいは俺が既に千堂を好きになっているか……それはないか。
「えいっ」
千堂が胸倉を掴んでいるのとは逆の手で俺の頬を叩く。その勢いのままわざとらしく倒れると、俺はそのまま床に膝をついた。
どう本気を出そうが、俺に先輩の真似事は無理だ。神格化しすぎていて、同じになろうなんて本気で思うことはできない。
だから全員が幸せになれる方法なんて思いつかない。それならそれでいいのだろう。ただ助けたいと思う人の望みを叶えられるなら。ヒーローだと思ってもらえるなら、それが正しいやり方なんだ。
「百井、今までごめん!」
だから俺は百井に土下座した。傍から見ればかっこ悪くて情けない行動。でもこれが、みんなが幸せに見える方法だ。
「千堂に言われて気がついた。俺、ひどいこと言ったよな。ブスとかがに股とか……。それにゴミをかけたりもした。本当にごめん!」
知らない奴には好きに言わせればいい。俺は俺の本気をするだけ。
「だからお前らも、千堂に謝ってくれるよな」
悪いことをしたら謝って仲直り。これが正義なんてお花畑な夢を信じている千堂が一番気に入る解決方法だろう。
「別に無理にとは言わない。でも俺は謝った方がいいと思うな。だってこれから一年間同じクラスで過ごす仲間なんだからさ。ちゃんと筋は通した方がいいと思うんだ。そうじゃないと気持ちよく学校生活を送れないだろ?」
後は簡単。強制はしないという逃げ道を作った上で、謝った方がメリットがあることを提示。誰かに言われたから謝るのではなく、自分の意思で謝ったという風に錯覚させる。そして百井というメリットに集っただけの取り巻きたちは、わかりやすいメリットに飛びつきたくなる。
「……ごめんなさい!」
取り巻きの一人が頭を下げる。するとつられるように他の人たちを頭を下げ始めた。本当に他人に流されるだけの奴らだ。こういう連中が一番気に食わないが……。
「うん、いいよ」
千堂は笑顔でその謝罪を受け入れた。あと謝ってないのはただ一人。
「……なんであたしが謝んなきゃいけないわけ」
気づいたら崖の端にまで追い詰められていた百井だ。やはり一番手強いのはこいつだな。そして百井だけは、絶対に折らなければならない。それは千堂ではできないことだ。
「お前はただ謝るだけじゃたりない。土下座して謝罪しろ」
「はぁ!?」
俺が土下座を強要するのは何も先輩をコケ下ろしたからではない。きっとあのままいけば、百井は場の空気に耐えられずいずれ普通に謝っていたことだろう。でもそれじゃあ駄目なんだ。千堂の望みのためにも、それだけは絶対にいけない。
「これはケジメだ。誰かの上に立つってことはそういうことなんだよ」
「確かにいじめたのは……悪かった。謝ってもいい。でもなんであたしだけ土下座までしなきゃ……」
「やっぱり何もわかっていないな」
ずっと膝をついていた俺は立ち上がり百井と同じ立場に立つ。
「いじめなんて罪は存在しないんだよ。そんなわかりやすい言葉で終わらせようとするな。お前が千堂にしたことは人が死ぬのに充分な理由になる孤独を与える無視の強要に、衛生環境を乱して病を発生させかねないゴミの不法投棄! ありもしない噂を流して人権を貶める誹謗中傷、ご両親が必死の思いで稼いだ金銭を略奪しようとする強盗致傷! そして一生消えることのない障害が残る可能性のあった暴行を行い、鋭利な凶器で脅し死の恐怖を与えた後女性の命とも言って過言ではない髪を乱暴に切り裂いた魂の殺人! それを指揮したのはみんななんて曖昧な存在じゃない! お前なんだよ、百井雨音!」
このままみんな謝ってなぁなぁで解決なんて絶対にさせない。それは千堂の幸せにつながらない。正義とは人を傷つけないことではない。たとえ傷つけてでも人としての尊厳を守ることを基本とした環境のことだ。
「お前のやったことは謝って済む問題じゃない。本来なら学校に報告して警察に通報し、法に則った罰を与えなければならない違法行為だ。俺を最低な人間だと思ったか? 違うな、お前は俺がここまで言わなきゃいけないことをやったんだよ。だからこれは俺からお前への罰じゃない。千堂雪華から百井雨音への恩情だ!」
百井の瞳に涙が溜まる。自分のしたことに対する反省……なんてタマではないだろう。クラスメイトの前で俺にここまで言われ、何の反論もできないことに対する屈辱での涙だ。でも今はそれでいい。その屈辱こそが、一番味わいたくなかった罰のはずだから。
「たとえお前が反省してなくてもいい。それでも土下座しろ。それがケジメってやつだ。それすらできないなら、お前は俺と同じ。肝心な時に何もできない、ニートになるぞ」
……これで終わりだな。ここまで言われて謝罪できないのなら、こいつには言葉を尽くす価値もない。
「千堂、俺は帰る。俺は元々関係ないからな」
「……待ってよ」
俺の歩みを止めたのは千堂ではない。膝をついていた百井だった。
「あんただって関係あるでしょ。……二回も謝るなんて絶対に嫌だから」
百井の顔が床に沈んでいく。気のせいだろうか、もう見えないその表情に反省の色が浮かんでいたのは。
「ひどいことをして、ごめんなさい」
「……これで仲直りです。これで今日からお友だちですね」
……最後の最後で演技できなかったか、千堂。お前のその表情、化粧一つないいつもと同じ優しい顔だぞ。




