第1章 第1話 出会い
「全てのきっかけはオリエンテーション合宿でした。ええそうです、二週間前の出来事です。当時私は高校生活の期待に満ち溢れていました。しかし帰ってきてすぐ、私はいじめに遭いました」
放課後、突然我が読書研究会に入ってきた千堂雪華と名乗る一年生は、自身がいじめられていると告白した。
「理由は……うぬぼれかもしれませんが、同じクラスの男子生徒にその……告白されたことだと思います。名前は伏せさせてください。彼は一般的にイケメンと呼ばれる顔立ちで爽やかな方でしたが……いきなりでしたし人の価値は内面だと思いますから。申し訳ないのですが、お断りさせていただきました」
いきなり告白……わからないでもない。千堂と名乗る一年は端的に言えばかわいい。顔はいいし小柄だが出るところはでている。制服が大きくサイズが合っていなかったり少し髪がもっさりした長髪なのは気になるが、それが初々しくて愛嬌になっている。イメージ的には清楚なお嬢様。早く手に入れたいと思う男がいたっておかしくない。
「それからは明らかです。オリエンテーションで仲良くなった方が無視をしてきたり、机の中にゴミが入っていたり、その……男性経験が豊富だという噂を流されたり……。特にクラス内でも発言力の高い女子たちがひどく……お金も要求してきました……」
それは確かにいじめだろう。気の毒だ。なんて理不尽なのだろう。この子は何も悪くないのに。
「その時聞きました、あなたのうわさを。この同好会の存在を。射丹務新斗さん……そして読書研究会は困っている方を助けるヒーロー的活動をしていると! 香苗さんから聞いたのです」
千堂の隣に座っている読書研究会の先輩、桑原香苗がにっこりと微笑んでいる。香苗さんが千堂を連れてきたのだろう。困っている人を助けるために。
「私は正義を愛しています。正しい人が報われる世界であってほしいと願っています。そしてそれはあなたも同じなはずです。だから……お願いです」
千堂は瞳に涙を浮かべながら頭を下げる。そして俺はそんなかわいそうな人に、こう返すとを決めている。
「私を助けてくださいっ」
「絶対にいやだっっっっ」
ずいぶん軽い頭だったようだ。顔を上げて呆然とした表情を浮かべている千堂に指を三本立てる。
「理由は三つ。まず一つは俺には関係のないこと」
「か……関係ないかもしれませんが、射丹務さん。あなたは人を助ける活動を……!」
「していない。していたのは去年までいた先輩だ。俺は巻き込まれてただけ。それに読書研究会は読書するのが活動なんで。人助けしてもらいたいならボランティア部にでも行ってこい」
目をぱちくりとさせ、腕をわちゃわちゃと振って困っている千堂に続ける。
「二つ目。俺にメリットがないこと。お前を助けることで俺に何か利益があるか?」
「えと……家にある本を寄贈……」
「悪いが俺が読書研究会に入ったのは学校にプライベートルームがほしかったからだ。読書なんて国語の時間でもしない。普通こういう時は金だろ金」
「お金って……でも……五千円くらいなら……」
「桁が二つたりない。金が無理なら抱かせろ。ツラと身体しか取り柄がない馬鹿な女ができるのはそれくらいだろ」
「だ……ぁ……!?」
俺の正論についに言葉すら失った千堂に、残った一本指を突きつける。
「最後にして最大の理由。俺はお前が嫌いだ」
「……っ」
「男に面と向かって嫌いだって言われたのは初めてか? だったらはっきり言ってやる。少なくとも俺は、本気で努力もせず、他人に助けてもらうのが当然のような態度で、自分が正義だと疑ってもいないような人間には反吐が出る」
「というわけでお引き取りを」。これ以上話すことはないので椅子に深く座って手をシッシと振るが、長机を挟んだ向こうにいる千堂が立ち上がる様子はない。それどころかわなわなと震え、隣の香苗さんをじっと大きな目で睨みつけている。
「聞いていた話と違います……こんな最低な方だと思いませんでした……!」
「え~? わたしは本気で困ってたら助けてくれる子がいるよって教えただけだよ~? 人間性には触れてないと思うけど~」
千堂の怒りを前にしても香苗さんはいつものふんわりとした笑顔を崩さない。どころかいつもより楽しそうに見える。
「でも非行少女だった香苗さんを変えたのは射丹務さんだと言っていたじゃないですか! 幼馴染でなければ近寄れないくらい荒れていたあなたを更生させてくれたって! 既に卒業された方の話なんてしていませんでしたよ!」
「ん~だってわたしを生まれ変わらせてくれたのは新斗くんだも~ん」
「まぁ……それは俺だな」
いわゆる噂になっている類のヒーロー活動は既にいなくなった先輩がやってきたことだが、香苗さんに関しては少しだけ違う。まぁあの人がきっかけってことは変わらないんだが……。
「確かに新斗くんの性格は悪いよ~? 態度も悪いし口も悪いしね~。でも能力があるのもほんと。こう見えてかわいいとこもあるしね~。もう一度お願いしてみたら~?」
「土下座でな」
「……結構です。お金どころか女性に身体を要求するような方なんてこちらからお断りです。何より人助けをしていたのはこの方ではないんですよね。だとしたらお願いすることなんてありません」
そもそもあの人は人助けをしていたわけじゃなくて自分が楽しいことをしていたら結果的に人を助けていただけなんだが……それを言うと長くなりそうなのでやめておこう。
「それでは失礼し……」
「射丹務!」
せっかく千堂が帰ろうと立ち上がってくれたのに、部室にまた新たな来訪者が現れた。数学教師の菅原だ。
「今日までの宿題があっただろ? 提出していないのはお前だけだぞ!」
あーそんなのあったっけな……。昨日の六限に急に出してきたクソみたいな宿題が。紙一枚なら適当に書いて提出してもよかったが、あろうことか冊子。しかも提出期限が翌日だって言うんだから机の引き出しの奥深くに沈めたんだった。さっさと終わらせるか。
「すいませんね、先生。提出するつもりだったんですよ。今日の23時59分に」
もちろん宿題などではなく、このめんどくさい話をだが。
「先生は昨日、翌日に提出するように言っただけで時間までは指定していませんでしたよね? だから今日の23時59分に提出するつもりだったんです。もちろん宿題を出した先生には受け取る義務があります。たとえ夜遅くだったとしても、俺は提出する意思があるんですから。それを受け取れないのは俺じゃなくて先生の失態ですよね?」
「……上等だ。残ってやるよ、深夜まで」
「へぇ、未成年を深夜まで学校に残すんですね。教育者としてどうなんでしょうか、出るとこ出てもいいんですよ?」
「……通知表の数字がどんなでも文句言うなよ」
「脅迫ですかぁ? やっぱ出るとこ出なきゃいけないですかねぇ?」
「チッ……!」
その場で脳に浮かんだ言葉を適当に紡いでいると、菅原は力いっぱいに扉を閉めて部室を出ていった。千堂も出ていくだろうし、これで万事解決。……のはずだったが。
「……わかったでしょ? 新斗くんは性格も態度も口も悪いけど、口が回る。それにどんな相手だろうがひるまないし、逃げもしない。きっといじめもなくしてくれると思うんだけどな~」
「……確かに。でも私に大金を払うなんて無理です……。だったら……」
千堂が立ち上がって自身のスカートに手を伸ばす。どうやら下着を見せてくれるようだ。…………。
「待った……」
「ところで新斗く~ん。生徒会からこんなのを預かってるんだけど~」
思わず柄にもないことを言いそうになっていると、それを止めるように香苗さんが一枚のプリントを机に出した。えーと、部活動存続届……?
「適当に書いて出しといてください」
「そうしたいのはやまやまなんだけど~。同好会の存続には最低三人の部員が必要なんだよね~」
……三人。俺、香苗さん、……初めからこれが狙いだったか。
「……名前だけ誰かに借ります」
「またまた~友だちいないくせに~」
「友だちの定義にもよりますね。そもそも友だ……」
「それにさっき止めようとしてたよね~雪華ちゃんは君の言う通りにしようとしてたのに~。菅原先生に言った台詞を踏まえると、受け入れられなかった君の負けだと思うな~」
「…………」
「感謝してよね~、動く理由を作ってあげたんだから~」
……あぁ、クソ! この人には結局いつも勝てないんだよな……!
「千堂、俺が協力すればいいんだよな?」
「……え? そ、そうですけどどうして急に……」
香苗さんの発言の意味がわからず、いまだ赤い顔をしてスカートを捲ろうとしている千堂。なんで俺がこんな奴の面倒を見なきゃいけないんだ……まったく。
「半日時間をくれ。明日の昼休み、お前の力になってやる!」
大変不本意で仕方がないが、俺は同好会の存続のために千堂に力を貸すことになってしまった。
そして再び動き出したのだ。先輩がいなくなったことで止まってしまった、俺の青春が。