ストーブの上で焼いたもちは美味かった…
どうも、どうもどうも。
わりかしいじきたないものです。
本日は石油ストーブの上で焼かれていたもちが欲しくて仕方がなかった時代の思い出を書いていこうと思います。よろしければお付き合いくださいな。
その昔、私はそろばん塾に通っておりましてね。
月水金、夕方五時から六時まで、足し算、掛け算、暗記、伝票、四つのプリントを各々10分やってマル付けをする感じのやつだったんですよ。レベルが上がったら特定の試験会場に出向いてテストを受けて、合格すれば級が認定されるみたいな感じでしてね。
で…、そこが結構かなり、すさんだ環境だったんです。
古い平屋の民家のふた間続きの和室を改造(畳を引っぺがしただけ)して机といすを並べていただけで、床はざら板で隙間から風が吹き込んでくるし、机といすは合板で作った手作りそのものといったやつだしでしてね。
エアコンなんて付いてないので、夏は窓を全開にして扇風機、冬は石油ストーブを二つ置いていたんです。
毎年一月になると、先生がストーブの上でもちを焼くんですよ。たぶん自宅で飾っていたであろう鏡餅だと思うんですけど、不恰好なもちのかけらを持ってきて、生徒に焼いて配っていたという。
私はそれが…欲しくてですね。わりかし貧弱な食生活をしていたので、食べ物に飢えていたといいますかですね。
先生は人数分もちを用意してくるんですけど、大きさなんてばらばらですから、どれがもらえるかはわかんないんですよ。大きいのをもらうとうれしくてねえ…。
そろばんをはじいている最中に焼きあがったもちを小汚い机の上に直置きされて、それをぱくっといただくことになるわけですが、それがたまらなく魅力的に思えてですね。
私は絶妙に神経質な家に育っていたため、はじめこそめちゃめちゃギョッとしたんですけど、ひもじかったものですから、あっという間に気にならなくなりましてですね。
なんていうか、そろばんをはじいている真っ最中にもちをぽいと口に入れるという背徳感にまみれた行為が、堂々と食べても許されるものでありむしろ食いなさいと差し出されたものであるという事実と相まって、非常にこう…満足度をもたらしましてですね。
そんなこんなの嬉しい気持ちを、ちょこっとクラスの友達に自慢っぽくはなしたんですよ。
友達は、別のそろばん塾に通っていましてね。
クリスマスにお菓子の入ったブーツをもらっただの、エアコン完備だの、じゅうたんが敷いてあるだの、個別にいすと机があるだの、先生が若くてかっこいいだの…なんていうか、格差のようなものをひしひしと感じましてですね。
確か私の通っていたそろばん塾は月3000円だったんですよ。月水金あるから、一ヶ月の回数は10回越え、一回あたり200円ちょっと…かなりの格安だったと思います。
友達の通っていたところは、レベルに応じて月金または火木で通って月6000円だったんですよ。高い金を払うだけの見返りはあるのだなあと子供心に思ったという。
ちなみに二つのそろばん塾はわりと近い場所にあったのですが、見事に人気が分散している感じでした。
若干育ちのいい子は高い方に行く傾向がありましたが、金持ちだった友人は私と同じ塾に通っていたのだなあ。なんていうか、金持ちはケチる部分はきっちり的な空気がですね。
今では気安く食べ物を配るなんて、とてもできないですからねえ…。
ちょっと前に、町のイベントで石油ストーブを使ったんですけど、そこでもちを焼いて配らないか的な意見を出したら即効却下されまして、昔のワンシーンを思い出した次第です。
なお、今では焼いたもちがかなり手ごわいと思えるような貧弱な口腔が備わってしまったため、なかなか食べようと思えなくなってしまったという悲しい現実がですね。
もちは食べられるときに腹いっぱい食べておきましょうというアドバイスをしつつ、〆させていただきますです、はい………。