王太子様の苦手なこと
茶会の時の王太子様はキラキラしていて隙がなかった。休憩時間に会う時も印象は変わらない。いつも優雅で美しい。エリーゼは、こんなに完璧な王太子様に苦手なものがあるのか気になっていたが、ユリウスに苦手なものはあるのかと聞くことができずにいた。
ある日、エリーゼはフルートのレッスンを受けていた。フルートは幼少期から演奏していて得意だったが、レッスンでは苦戦していた。エリーゼは家に集まる領民や友人たちと一緒にわいわい演奏するのが好きで、楽譜通りに演奏することは、ほとんどしたことがなかった。
「エリーゼ様、そこはもう少し早く。」
「はい。」
「それでは早すぎます。」
「はい。」
楽譜の通りに演奏しているつもりなのに、何度も先生から注意を受けてしまう。エリーゼは大好きなフルートが嫌いになりそうだった。
「では休憩にしてください。午後は講義になりますので、準備をしておいてください。」
「……はい。ありがとうございました。」
フルートの演奏をして、こんなに辛いと思ったことはなかった。エリーゼはフルートを片付けながらため息をついた。
「エリーゼ、終わった?」
ユリウスはいつものようにロマーネヴィヨンのボトルを持ってやってきた。急いで片づけてテーブルにつくと、ロマーネヴィヨンがグラスに注がれた。グラスを合わせて口に含むと、甘い香りが口いっぱいに広がる。
「来てくださってありがとうございます。殿下。」
「君と飲むのが一番おいしい。今日は、楽器のレッスンだよね?君は何の楽器をやるの?」
「私はフルートを……」
「君はフルートが吹けるんだね!君の演奏するフルートの音色は素敵だろうなぁ。」
エリーゼは顔が赤くなった。最近の王太子様は会うたびに暖かい言葉をかけてくれるが、エリーゼはいつもその言葉を聞いては顔を赤くしていた。
「でも楽譜通りに演奏するのは難しくて……」
「楽譜通りに演奏しない方が難しいと思うけど。」
「私は自由に演奏しすぎなんだと思います。」
「自由に演奏……」
「殿下も楽器を演奏されるのですか?殿下の演奏の方が素敵だと思います。」
「僕は全然うまくできないんだ。」
「えぇっ!」
エリーゼは驚いて大きな声を出してしまい、慌てて口を押さえた。
「そんなに驚かないでよ。」
「申し訳ありません。できないことがおありだとは思わなくて。」
「僕にもできないことくらいあるよ。」
「そのようには見えません。」
王太子様はいつも完璧だ。今ここに座っている時も、ロマーネヴィヨンを飲んでる時でさえ美しい。そんな王太子様が楽器の演奏を苦手としているなんて意外だった。
「楽器は昔から苦手なんだ。どんな楽器をやってもできなかった。だからレッスンからも逃げて、結局できないまま大人になっちゃった。」
「逃げていたなんて!意外です!」
「だから君はえらいなぁって思う。ちゃんとレッスンを受けているんだから。」
「逃げられるのなら逃げたいですけど……」
「君はよくがんばってる。本当にすごい。」
エリーゼは俯いた。きっと顔が赤くなっていることだろう。最近はいつもこうだ。普通に話しているつもりでも、いつの間にか王太子様に褒められてしまう。
「君が楽器のレッスンを始めたなら、ちょっとやってみようかな……」
「殿下は何の楽器を演奏されるのですか?」
「僕はヴァイオリンなんだけど……」
「ヴァイオリンを演奏されるのですね!」
「全然できないけどね。」
「絶対私より上手いと思います!」
「そんなことないよ。ねぇ、エリーゼ……あの、僕も練習を頑張るからさ。もし上手くできるようになったら、一緒に演奏してくれない?」
「わ、私とですか!?」
「だめかな……」
「も、もちろんです!殿下と演奏できるように、レッスンがんばりますね!」
「うん。僕も頑張るよ。」
思いがけない申し出に驚いたが、エリーゼは王太子様がヴァイオリンを演奏する姿を想像して、いつか一緒に演奏するためもっとレッスンをがんばろうと思った。
その日、エリーゼは家に戻ると、早速フルートの練習をした。
「あら、フルートなんて珍しいわね。今日はフルートのレッスンだったの?」
「そうなの。楽譜の通りに演奏するって難しいわね。」
「あなたはみんなと演奏するのが得意だものね。」
「自由に演奏できたら、もっとできるのに。」
「でも、きちんとレッスンすると、もっと上達するわ。自由に演奏する時にも活かせるわよ。」
「だと良いのだけれど……」
「私は十分上手だと思うけど、先生はだめだって?」
「だめとは言われてないんだけど……」
エリーゼは王太子様と一緒に演奏する約束をしたと言うことを母に伝えるべきか迷った。そんな約束をしているというのは、なんだか親密な関係であるかのようだ。
「とにかく、もっと上手くなりたいのよ。それだけよ。」
「あんまり無理しないようにね。寝坊しないように、早く寝るのよ?」
「はい。お母様。」
なんだか妙に心臓の音が速かった。
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いつものように休憩時間にエリーゼと一緒にロマーネヴィヨンを飲んだユリウスは、軽い足取りで執務室に戻った。
「おかえりなさい。殿下。」
「エリーゼのフルート、すごく素敵だった!」
「殿下……」
「俺もヴァイオリンがんばらないと!」
「お気持ちはお察ししますが、今の状況では……」
「すぐやるから。」
「殿下、お考えください。」
ユリウスは、ミハエルの声に何も答えず、目の前にある書類をものすごい速さで捌いていった。