カタリーナの授業参観
「マルガレーテ。あなたはまたわたくしの言うことを聞きませんでしたね?
どうして王妃殿下と遊んだりしたのですか?」
マルガレーテを睨み付けるゼッキンゲン夫人が厳しい口調で言う。
マルガレーテは何も言わない。
不服そうな顔をして俯いてしまっている。
「マルガレーテ。
王妃殿下はとんでもなく意地悪な女です。
頭も悪く、所作も貴婦人らしくありません。
あんな最低な女と親しくしては、あなたのためにならないのです」
(言いたい放題ね……)
夫人の物言いに遠慮がないのも当然だ。
すぐ近くにカタリーナがいることを、彼女は知らない。
カタリーナは今、隠形魔法で身を潜めている最中だ。
「お、王妃様は、そんな方ではありません!
とってもお優しいですわ!」
「マルガレーテ。あなたは騙されているのです。
あなたみたいな子供を騙すなんて、あの悪女からしたら簡単なことです」
「ち、違います。
本当にお優しい方なんです!」
「愚かな子ね。
こんな簡単に騙されるなんて。
陛下の子供だけあるわね」
そう言ってゼッキンゲン夫人はせせら笑う。
「これは、王妃殿下に限ったことではありません。
陛下も、侍女たちも、他の貴族も皆同じです。
誰もが騙しやすいあなたを利用しようとしているのです。
本当にあなたのことを考えているのは、この王宮でわたくしだけです。
あなたは、わたくしの言うことだけを聞いていれば良いのです」
(やっぱり、そうだったのね)
ゼッキンゲン夫人の授業の後、マルガレーテはいつも浮かない顔をしていた。
授業のことを尋ねると、マルガレーテは口籠もることが多かった。
カタリーナが魔法で身を隠してこっそり授業参観をしているのは、その理由が知りたかったからだ。
原因は、夫人のこの教育だった。
夫人はマルガレーテを孤立させようとしている。
そうなれば、頼れるのは自分だけだ。
孤独なまま成長してくれれば、王女に対して夫人は大きな影響力を持つことになる。
カタリーナから見て、マルガレーテとフィーリップとの関係は奇妙だった。
フィーリップはマルガレーテに関心が薄いが、マルガレーテもまた父親に懐こうはしていなかった。
侍女との関係も同じだ。
フィーリップとの関係よりずっとましだが、侍女たちもマルガレーテに必要以上に親しくなろうとはしていない。
マルガレーテもまた、侍女たちに対しても一歩距離を置いている。
マルガレーテが周囲と人間関係を築けなかったのは、この女が大きな原因の一つだ。
カタリーナそう考える。
(なんて不愉快な女!
自分の権力しか頭にないのね!)
「マルガレーテ。
わたくしの言うことを聞かずに王妃殿下と遊んだ罰です。
腕を出しなさい」
マルガレーテは震えながら腕を前に突き出す。
夫人が振り上げる鞭を、カタリーナは隠形魔法を解いて掴む。
「なっ!?」
「お、王妃様!?」
ゼッキンゲン夫人もマルガレーテも、忽然と間近に現われたカタリーナに驚く。
今日は偵察のみに留めるつもりだった。
しかし、我慢ができず姿を現してしまった。
「ど、どこから現われたのですか!?」
「あら。最初からいたわよ」
「か、勝手に入って来ないで下さい!
今は教育の時間です!
あなたなんかに、口を挟む権利はありません!」
「そうね。本来なら口を挟むべきではないわね。
でも、国家反逆分子の教育をしているなら話は別よ?」
「な……だ、誰がそんなことを!?」
「さっき言っていたわよね?
陛下はマルガレーテを利用しようとしているから信用ならないって」
「そ、それは……」
王政国家なのだ。
教育では、王に対する崇敬を教えなくてはならない。
自分とマルガレーテ以外は誰もいないと思っていた夫人は、致命的なミスを犯してしまっていた。
「今日はもう結構よ。
追って王家から連絡があるから、それを待ちなさい。
さあ、王女殿下。行きましょう?」
「待ちなさい!」
怒鳴り声を上げながら夫人はマルガレーテに駆け寄るが、その途中で足が止まる。
そのまま夫人は、そこから動かなくなってしまった。
夫人の額には、脂汗が滲み出始める。
「あの……王妃様」
「大丈夫よ。
夫人は今、それどころじゃないから」
立ち去るべきなのか迷っているマルガレーテにそう言い、彼女と共にその場を立ち去る。
カタリーナがこっそり夫人に掛けた魔法は、下痢を催す魔法だ。
夫人は今、一刻も早くお手洗いに行かなくてはならないが、迂闊には動けない状態だった。
マルガレーテに関わっている余裕なんてない。
「……こ……こんなことをしていたら……すぐに死にますよ?
一年後にあなたは……生きていられるかしらね?」
歯を食い縛りながらも、夫人は背後からカタリーナを冷笑う。
これが魔法ではなく呪術なら、夫人の言う通りだ。
カタリーナの横で廊下を歩くマルガレーテは、不安そうな顔でカタリーナを見上げている
「王妃様。
簡単に呪術を使ってはだめですわ
大変なことになってしまいますわ」
そう言ってマルガレーテは、カタリーナと手を繋ぐ
自分の頭ほどの位置にまで手を持ち上げてカタリーナの手を握るマルガレーテの顔は、今にも泣き出しそうだ。
(か、可愛いわっ!!)
小さくて、柔らかくて、温かい手だった。
その手の幼さに、カタリーナは衝撃を受ける。
同時に、切望するようにカタリーナを見上げる幼い子を憐れにも思ってしまう。
父親のフィーリップも、周囲の侍女たちも、マルガレーテとは距離を置いた付き合い方をしている。
遠慮なしに彼女との距離を詰めようとしているのは、カタリーナだけだ。
カタリーナが死ぬことだけは、何としても避けたいのだろう。
マルガレーテは、愛に飢えている。
だからカタリーナが死ぬのを恐れ、ゼッキンゲン夫人に禁じられてもカタリーナと遊ぶことを止められなかった。
腰を落としてマルガレーテを抱き締めながら、カタリーナはそう思う。
「大丈夫よ。
わたくしだけは、どれだけ使っても何も起きないの。
だから心配しないで、わたくしを信じて?」
本来なら、言い逃れができないほどの証拠を押さえて、夫人の追放と一緒にゼッキンゲン家による王家への干渉も抑制するつもりだった。
しかし我慢できず「国家反逆分子の教育」という微妙な理由で事を起こしてしまった。
夫人の更迭を申し出ても、これではフィーリップを説得できるか分からない。
そんなミスを犯してしまったのは、愛に飢える苦しみをよく知っていたからだ。
今世でのカタリーナもまた、愛に飢える少女だった。
だから、助けたい気持ちが抑えきれなかった。
微妙な理由だが、何としてでもフィーリップを説得する。
マルガレーテの環境を、早急に変えなくてはならない。
カタリーナはそう決意する。
マルガレーテを侍女に任せ、カタリーナはフィーリップの許へと向かった。