カタリーナに異常あり
「おはようございます。王妃殿下」
カタリーナが目覚めるのを見て、ジビラが言う。
なぜか凄く良い笑顔だ。
「昨日は大分飲まれたみたいですけど、何があったんですか?」
「え? そんなに飲んでいたかしら?」
「もちろん、飲んでましたよね?
意識を失った王妃殿下を、陛下がお姫様抱っこしてここまで連れて来られたんですから」
ニマニマと、すごく楽しそうにジビラが言う。
「お、お、お姫様抱っこ!!?」
「そうですよ!
それで! 昨日はどうだったんですか!?
酒の勢いで、どこまで行ったんですか!?」
かなりの深酒をしたとジビラは言うが、それほど飲んだ覚えはない。
覚えているのは、フィーリップにキスされて、あまりの衝撃で意識が遠く……。
「きゃあああああああ!!」
昨日あったことを、カタリーナは鮮明に思い出してしまった。
恥ずかしくて居ても立ってもいられず、頭まですっぽりと布団を被って身を隠すと、悲鳴を上げながら布団の中でのたうち回り始める。
「何かあったときに布団の中に隠れるのって、王女殿下がよくされますよね……」
五歳児と変わらない行動を見せるカタリーナに、ジビラは呆れる。
「それで、昨日はどうだったんですか?」
「きゃあああああああ!!
もう聞かないでえええええええ!!
きゃああああああああああ!!」
カタリーナは、より一層、布団の中でジタバタと暴れる。
今は会話にならなそうなので、ジビラはしばらく時間を置くことにした。
◆◆◆◆◆◆
領地戦以降、朝食はいつも、フィーリップやマルガレーテと一緒に取っている。
カタリーナとしては、まだフィーリップに会いたくなかった。
しかし、朝食はマルガレーテも一緒だ。
会わざるを得なかった。
「おはよう。カティ。マルガレーテ」
いつものように王女宮の食堂に入ると、フィーリップが挨拶をしてくれる。
動揺が隠せないカタリーナとは対照的に、普段と変わりない爽やかな笑顔だった。
「……お……おはよう……ございます……フィ……フィル」
恥ずかしくて、視線も合わせられなかった。
朝の挨拶をしただけで顔が熱を帯びるのが自分でも分かり、声も次第に小さくなってしまう。
「まあ! お父様とお母様は、仲良しになりましたのね!?」
カタリーナが愛称で呼ぶと、二人の様子を見上げていたマルガレーテは、ぱああっと笑顔になる。
「そうだ。仲良しになったのだ。
マルガレーテのおかげだ」
フィーリップはにこにこと笑って、マルガレーテの頭を撫でる。
一方でカタリーナは、喉から言葉が出ず、マルガレーテに何も言ってあげられなかった。
マルガレーテの「仲良し」という言葉で、昨日の出来事がまた脳裏に甦ってしまったのだ。
赤い顔は、さらに赤くなる。
「カティ。
今度のマニの日は、私も外遊びに参加したいのだが、良いかな?」
「マ……マルガレーテも喜びますし……ぜ、ぜひお願いしたいですわ……」
カタリーナは、フィーリップにそう返す。
フィーリップの唇が視界に入ってしまい、鼓動が跳ね回る。
言葉の途中から視線は泳ぎ、頬は赤くなってしまう。
食事中の会話は、ずっとそんな調子だった。
目を合わせられず、会話中は視線が泳いでしまう。
話もしどろもどろだし、不意にあのときのことが脳裏に浮かぶと顔が熱くなり、つい俯いてしまったりもする。
何とか乗り切ることができたが、これまで通りではなかった。
◆◆◆◆◆◆
「こりゃ、駄目だな。
一度、初期化しないと誰も使えねえな」
黒い板を操作しているフォルジュフォンが言う。
その板は、フロリアン王子が持っていたものだ。
「書」と言われる以上、悪魔の使役書は書物に似た霊宝だ。
フロリアン王子が手にしていた書物のような黒い板こそ、悪魔の使役書だ。
誰もがそう思っていた。
しかし実際には、黒い板と黒い大釜の二つで一組のものであり、両者が揃って初めて機能するものだった。
黒い板と黒い大釜は、どちらも国王宮の一室に運び込まれている。
フォルジュフォンは今、それら霊宝を確認している最中だ。
「初期化、というのが何なのかよく分からないわ。
でも、それをすれば、この国の王家でも使えるのね?
では、してもらえるかしら?」
「もちろん、構わないぜ。
だが、おそらくこいつが生み出す亜空間の中には、まだアンデッドがわんさか入ってるぞ。
初期化しちまうと、それが全部外に出ちまうぜ?
この建物、壊れるんじゃねえか?」
話し合いの末、悪魔の使役書を郊外に持って行き、そこで初期化してもらうことにした。
放出されたアンデッドから希望を聞いて、希望者は冥府に送ることになった。
カタリーナの申し出によるものだ。
カタリーナの前世では、人間をアンデッドに変える魔法は、罪もない人を永遠に苦しめる邪悪な魔法であり、禁忌だった。
望んでアンデッドになったのならともかく、強制的にアンデッド化された人は解放するべきだと、カタリーナは思っていた。
「カティ。少し良いかな?」
話し合いが一段落したとき、フィーリップから話し掛けられる。
「あ、あ、あの、きょ、今日は忙しいの。
ご、ごめんなさい」
目を泳がせながらそう言うと、カタリーナは足早に立ち去ってしまう。
フィーリップにキスされてから、カタリーナはずっとこの調子だった。
仕事の話なら、まだ耐えられる。
だが、仕事とは関係ない話を彼からされるだけで、正気ではいられないほど胸が高鳴ってしまう。
それでつい、逃げ出してしまう。
仕事で必要なことを話すときさえも緊張してしまい、言葉はしどろもどろになり、ときには声が震えてしまう。
不意にキスされたときのことを思い出しては、会話の流れとは無関係に頬が熱くなり、思わず顔を俯かせ、言葉を詰まらせてしまう
早足で歩くカタリーナは、負けた気分だった。
自分はこんなに恥ずかしいのに、フィーリップはずっと平然としている。
声が震えたりも、顔を赤らめたりもしていない。
キスされる前と、何一つ変わりはない。
自分一人、意識してしまい動揺している。
なんだか、馬鹿みたいだ。
自分にとって、あれは大きな出来事だった。
もしかしたら、フィーリップにとっては、大したことではなかったのかもしれない。
普段と変わらないのは、気に留める必要もない些事だからなのかもしれない。
彼にとっての自分は、そんな、どうでも良い存在なのかもしれない……。
カタリーナはそんなことを考え、一人落ち込んでしまう。
◆◆◆◆◆◆
カタリーナが来ているこの場所は、王宮からそう遠くない場所にある野原だ。
水源が近くにないために耕作や住居には適さず、この場所は特に使用されていない。
岩が多く樹木もないこの場所は、魂の抜けたアンデッドを焼くのに適した場所だ。
数日前まで、ここはアンデッドの死体の山だった。
それを焼いた場所に、今日もう一度来ている。
フォルジュフォンとオンブル、セルビータも一緒だ。
「始めるわ」
カタリーナはそう言うと、広域幻惑陣の魔法を発動させる。
領域の外から陣を見る者に、任意の幻覚を見せる魔法だ。
この魔法の効果のため、たとえ領域内にアンデッドを大量に出現させたとしても、外からは人っ子一人いない荒れ地にしか見えない。
「オンブル。悪魔の使役書を出してくれるかしら?」
「はいです」
言うまでもなく、悪魔の使役書は霊宝だ。
運搬には、最大限の警戒が必要になる。
亜空間収納で人目に付かず運ぶことができ、絶対に裏切らないオンブルは、運び役として適任だった。
「それじゃ、初期化するぜ」
フォルジュフォンはそう言うと、黒い板を指で叩き始める。
念のため、カタリーナは防御魔法も発動させる。
「初期化します。
危険ですから、その場で動かずお待ちください」
古代語のその言葉を、黒い板は繰り返し始める。
同時に、地面に置かれた黒い釜から、闇を固めたような影が地を這うように広がっていく。
荒れ地の辺り一面が漆黒の闇となり、その闇から無数のアンデッドがせり上がってくる。
「働きたくないでござる」
カタリーナたちのすぐ近くにいたアンデッドが、ぽつりと独り言を漏らす。
「あ! 駄目な大人がいるです!」
「ああ。駄目な大人だな。
ああなったら駄目だぜ?」
そのアンデッドを指差して、オンブルとフォルジュフォンはお喋りを始める。
「えっ!? 独り言で、声が出たでござるぞ!?」
「なに!? おお!? 話せるぜよ!?」
「此れは! 如何なる事で候哉!?」
「やうやう地獄や終はりや!?」
自由に話せることに気付いたアンデッドたちが、大騒ぎをし始める。
彼らが使う言葉は、ほとんどが古いものだった。
使われていた時代も、まちまちだった。
「初期化したんで、アンデッドの制御リンクは切れてるぜ。
だから自由に話せるんだ。
もう一度、制御下に置くか?」
ちらりとフォルジュフォンに目を向けると、カタリーナの視線に気付いた彼女が言う。
「一度アンデッドたちの意見を聞いて、それからにするわ。
少し待っていてくれるかしら?」
フォルジュフォンにそう返すと、カタリーナは大きく息を吸い込む。
「アンデッドの皆さん!!
これから、希望者は冥府に送りたいと思います!!
冥府に向かいたい人は、鎧などの装備品をこちらに置いて、あちらに行ってください!!
引き続きアンデッドでいたい人は、そのまま立っていてください!!」
「こんなに永い時間、アンデッドにしておくなんて。
残酷なことをするのね」
アンデッドを焼く炎を眺めながら、カタリーナがぽつりと呟く。
魂を冥府に送る前、アンデッドたちと少し話をした。
アンデッドになってから数百年経つ者も珍しくなかった。
現代の言葉とは母音の数からして違う、古代語を話す者もいた。
神話の時代にアンデッドにされた者だった。
アンデッドとしてこの世界に留まることに、誰もがほとほとうんざりしていた。
彼らの希望通り、カタリーナは全員の魂を冥府へと送った。
今は、残った死体を魔法で焼いている最中だ。
「旧世界では、アンデッドにされたのは長期服役囚です。
当時は、多くの国で死刑が廃止され、代わりに懲役刑が長期化されていました。
重犯罪者には、人間の寿命を遙かに超える刑期が科されることもありましたが、もちろんそういうケースでは、刑期の途中で受刑者が死亡してしまいます。
そういった場合、囚人はアンデッドに変えられ、引き続き服役していたのです」
セルビータは、アンデッドが活用されることになった経緯を説明し始める。
きっかけは、六公四民という重税が課される国で、上級国民を殺害する事件が多発したことだった。
上級国民の殺害は、法律上「テロ行為」に当たり、通常の殺人以上に重い罪だった。
上級国民を一人殺してしまったら、追加で何人殺そうと、死ぬまで刑務所の中にいることに変わりはない。
このため、多くの上級国民殺害事件では、その家族や関係者も皆殺しになっていた。
その対策として考え出されたのが、死亡した囚人のアンデッド化だった。
服役中に死んでしまっても、まだ刑期が残っているなら、死後もアンデッドとして引き続き刑に服さねばならない、というものだ。
この法改正により、懲役五十年と懲役三百年では雲泥の差となり「その場の勢いでついでに殺す」という無意味な殺人は急減することになった。
刑期途中で亡くなった服役囚のアンデッド化に、世界は否定的だった。
しかし、その国のある企業がアンデッドを利用し始めたことにより、それが大きく変わる。
食事も睡眠も必要とせず、僅かな貸出料だけで利用できるアンデッドは、価格破壊の主戦力となった。
「アンデッドが作る製品なんて気持ち悪い」「アンデッドにして働かせるなんて残酷だ」といった声も、同等製品の半額以下という圧倒的な安さの前では無力だった。
市場を席巻するアンデッド産業に、各国は対応を迫られることになる。
「重犯罪者に罪を償わせるのは当然」「被害者の気持ちを考えろ」と、権力者たちの都合の良いように世論は突如変化し、囚人をアンデッド化する制度は、多くの国で採用されることになった。
「この機器は、アンデッドとなった囚人を管理するためのものです。
亜空間収納機能も、鉱山や工場といった貸出先までアンデッドを移動させるときの費用を節約するためのものです」
そうセルビータは言う。
「そういう使い方をしていたのね……」
人をアンデッドに変えるのは、前世では人の道から外れたことであり、禁忌だった。
その忌避感から、悪魔の使役書は封印するべきだと思っていた。
しかし、刑罰の一種としてアンデッド化し、さらに期限を設けるなら、この霊宝を活用しても良いかもしれない。
カタリーナはそう思った。
◆◆◆◆◆◆
「初期化が終わりましたわ。
アンデッドは全員、冥府に還ることを選びました」
王宮に戻ったカタリーナは、フィーリップに報告をする。
「お疲れさま。
いつもありがとう」
そう言って、フィーリップは笑う。
その甘やかな笑顔だけで、カタリーナの頬は熱くなってしまう。
「そ、そ、それで、死刑囚のアンデッド化を提案しますわ。
の、残りの寿命程度の期間を、アンデッドとして働かせるのです。
こ、これから戦争がありますから、て、敵兵も戦争犯罪ということで、ア、アンデッドにしても良いと思いますの」
しどろもどろになりながらも、カタリーナは思い付いた制度を説明する。
罪もない人を殺してアンデッドにするのは、反対だ。
未来永劫、奴隷のように働かせるのも、反対だ。
しかし、罪人をアンデッドにするなら許容できる。
死刑となるほどの重罪を犯したなら、残りの寿命程度の期間なら、処刑後に使役しても良いと思う。
これなら、実質的に終身刑と変わらない。
カタリーナは、考えをそう変えた。
「良いアイディアだな。
それでは、そうしよう」
当初の予定では、悪魔の使役書は初期化後に封印するはずだった。
前世で邪悪とされた術を、カタリーナが嫌がったからだ。
セルビータの話を聞いて、カタリーナは考えを変えた。
霊宝の封印を提案したときも、霊宝の活用を提案したときも、まるで正反対の政策なのに、フィーリップはどちらも同意してくれる。
まるでカタリーナを尊重するかのように、彼は柔軟に意見を変えてくれる。
最大限にカタリーナを大切にするかのような彼の態度に、カタリーナは心が乱されてしまう。
(こ、これは、お仕事のお話よ!
わたくしをどう思っているかなんて、全く関係がないことなのよ!)
心の中でそう呟いて、カタリーナは気持ちを落ち着かせる。
「その……少し話を良いかな?」
「きゅ、急用が、あ、ありましたわ。
こ、これで、し、失礼しますわね?」
仕事の話が一段落すると、またフィーリップが私的な会話に誘う。
動揺が収まらないカタリーナは、また逃げてしまう。
◆◆◆◆◆◆
「……その……相談があるの。
わたくし、おかしくなってしまったみたいなの……」
キスされて以降、フィーリップとまともに会話できなくなってしまった。
そのせいで、仕事にも支障が出ている。
フィーリップにキスされたことは、エミーリエたちにも話せないことだった。
恥ずかしすぎて誰にも話せない、秘密の中の秘密だった。
しかし、いつまでもこんな状態でいるわけにはいかない。
意を決して、カタリーナは相談することにした。




