フロリアン王子との対決 1/3 カタリーナ到着
(読み誤ったわ)
高機動飛行魔法で王宮の庭園上空を滑るように飛ぶカタリーナは、この事態を予測できなかったことを歯噛みする。
もちろん、ブルークゼーレ王国がこの国を狙う可能性も、少しは考慮していた。
しかしまさか、今日この国を滅ぼすという苛烈な一手を打ってくるとは、思ってもみなかった。
(!!?)
王女宮から煙が上がっているのを見て、カタリーナは目を見開く。
(火事ではなく煙玉ね!)
カタリーナは、そう判断する。
この手のものなら、前世でよく経験したから知っている。
窓から煙は出ているが、火の手は上がっていない。
また、火事の煙は炎で熱せられた空気の上昇気流で高く上がるが、王女宮の煙はそれほど高く上がっていない。
窓の付近に立ち込めているだけだ。
これは、王女宮内の熱気がそれほどではないことを意味する。
こういった煙で、考えられるのは煙玉だ。
室内に煙が立ち込めたなら、侍女たちは火事だと考えるだろう。
大急ぎで、王女を外に連れ出そうとするはずだ。
王女宮は、広い上に六階建てだ。
たかが五十人程度で捜索するより、自ら外に出て来てもらった方が効率的だ。
きっと、そう考えたのだろう。
「見付けたわ!」
つい独り言を叫んでしまう。
マルガレーテたちは、庭園の芝生に出て来ていた。
まだ無事だ。
マルガレーテの周りを侍女たちが囲んで自らの体を王女の盾にして、その外側で円陣を組んでアシスタントと護衛が戦っていた。
護衛が極端に少ない。
そして、王女宮内から大きな音や声が、時折聞こえる。
王女宮内では陽動部隊が煙の中を逃げ回っていて、そちらに兵力を引きつけたのだろう。
アシスタントたちの動きも、極端に悪い。
彼女たちの身体能力は人間の枠を遙かに飛び越えているが、今は騎士たち相手に防戦一方だ。
「なんだと!?」
「飛んで来たぞ!」
マルガレーテのすぐ側にカタリーナが着地すると、騎士たちが目を見開いて驚く。
だが、彼らが騒いでいたのも、ほんの一瞬だけだった。
カタリーナの着地と同時に地面から半透明の茨の蔓が現れ、敵の騎士たちを拘束する。
口も拘束されたので、もがもがと声にならない声を上げるだけの存在となった。
この国の騎士や貴族は拘束しても、フロリアン王子は拘束しなかった。
剣も持っていない王子は、騎士とは違って戦力的に大したことがない、というのも、もちろん理由の一つだ。
しかし最大の理由は、千人級の呪術無効化のお守りを持っていることだ。
そこまで強力な呪術具を持つ者を拘束してしまったら「呪術が使い放題になる霊宝」の存在に疑念を持たれかねない。
政治的な都合上、もう少し誤解させたままにしておきたい。
もちろん、殺して口封じするのは造作もない。
しかし、それをしてしまえば、大国との戦争だ。
戦争するかどうか。
その判断をするのに。自分は相応しくない。
もうすぐフィーリップも駆け付ける。
王である彼が決めるべきだ。
王子にはまだ、手を出すべきではない。
加えて、カタリーナの魔法は、呪術無効化のお守りの影響を受けない。
だが、魔法を呪術と誤解している王子は、自分には効果がないと思ってすっかり油断しきっている。
拘束してしまい下手に警戒心を持たせるより、油断したままでいてくれた方が、いざ殺すと決めた場合も殺りやすい。
ほんの一瞬の間に、カタリーナはそれだけのことを考えた。
「イピ!
防御シールドでマルガレーテを護ってちょうだい!
オンブル!
防御シールドの内側で影を広げて、マルガレーテに周囲の様子を見せないで!」
イピやオンブルには、それができる。
有事の際には、そうやってマルガレーテを護るはずだった。
だが、なぜか彼女たちはそれをしていない。
打ち合わせ通りにするよう、カタリーナは二人に言う。
「申し訳ありません。
イピもオンブルも、現在はそのご命令を完遂できない状況です」
二人の代わりにセルビータが答える。
「どうしてかしら?」
「あれが原因です。
あれは旧世界の遺物で、オフィスビルや公共機関などに置かれる電子機器の出力抑制装置です。
稼動させると、アンドロイドを始めとする電子機器は、大きな出力制限を受けます。
大出力を必要とする防御シールドなどは、現在使用できません」
そう言って、セルビータは指差す。
その方向の三十メルトほど先には、牛のような形の奇妙な置き物が置かれている。
(だから、この子たちが苦戦していたのね)
アシスタントたちは、拳で金属の盾を凹ませるほどの強者だ。
そんな彼女たちが、ただの人間相手に防御で手いっぱいだ。
その理由を、カタリーナも理解した。
イピたちに代わって、カタリーナは結界魔法でマルガレーテを護る。
虹色に輝く球が、マルガレーテを包む。
この結界魔法は、剣や魔法を防御することはもちろん、中から外が見えないし、音も聞こえない。
これから『猛悪の大魔女』による残酷な殺戮が行われても、マルガレーテにそれを見せなくてすむ。
「さて、そろそろ良いですかな?
ご機嫌麗しゅう存じます。王妃殿下」
「……これは、大変失礼いたしましたわ。
ご機嫌麗しゅう。王子殿下」
(さすが王族ね。お行儀が良いわ)
返礼を執りつつ、カタリーナは思う。
この世界では通常、本格的に戦う前に口上戦が行われる。
つまり、開戦は対話をしてからだ。
王子は、その作法に倣っている。
その慣習に照らしてみると、接敵と同時に茨の蔓で騎士たちを拘束したカタリーナは、かなりの不作法だ。
前世でカタリーナが率いていた革命軍は、そんな戦い方だった。
口上戦なんてお行儀の良いことはせず、奇襲や夜襲が当たり前だった。
革命組織出身というカタリーナの育ちの悪さが、ここで出てしまった。
「それで、王子殿下。
これは、どういうことかしら?」
「以前もお伝えした通り、私はマルガレーテ王女を望んでいます。
それ故のことです」
「ええっ!!?
王女様一人のためだけにっ、こんな大それたことまでしちゃったのっ!!?
やっぱり、とんでもないロリコン非常識男じゃんっ!!!」
打ち首待ったなしの大変不敬な独り言を、エミーリエが大声で呟いてしまう。
カタリーナに向ける王子の笑顔が引き攣る。
「……殿下の幼女趣味で、ということではありませんわよね?」
「ほう? 気付かれましたか?
そうです。
目的は、マルガレーテ王女の持つ霊宝です」
分かってくれた!
ぱああっと明るくなった王子の表情は、そう言っているようだった。
どうやら、ロリコンという評価は相当嫌だったらしい。
冥王の兜により武具が持ち込まれたと聞いたときから、目的が霊宝であることに、カタリーナは気付いていた。
どこの国でも、霊宝は厳重に管理され、使うには王の承認が必要になる。
王子のロリコン趣味のために、そんな貴重なものを国外で使わせる国などない。
つまりこれは、王の承認があってしていることで、国家による謀略だ。
国家が動くなら、目的は霊宝以外にあり得ない。
「マ、マスターが霊宝持ってるって、な、なんで知ってるんだみょん!?」
ギリゾンが驚くのを見て、カタリーナは溜息を吐く
そんな言い方をしたら、マルガレーテの霊宝所有が事実だと認めているようなものではないか。
だが、それも仕方ない。
そもそも、幼子に秘密を守らせるということ自体に無理がある。
カタリーナはそう考えて、気持ちを切り替える。
「前マスターの魂を口寄せしたのです。
マスターの証であるソウルコードを譲ってもらおうと思ったのですが、既に譲った後でした」
「魂を口寄せしたんですの!?
冥府から!?」
フロリアン王子の言葉に、今度はカタリーナが驚く。
「そうです。
口寄せのために千五百人の呪術師が、その呪術師たちに対する口封じの呪術のために、さらに三百人の呪術師が必要でしたがね。
我が国としても、大変な出費でした」
物凄い財力だ。
少し前まで財政が火の車だったこの国では絶対に無理な、恐ろしいほどの巨額投資だ。
カタリーナは恐れ慄く。
「しかし、エンゲルラント王国の財力で前マスターを口寄せできるとは驚きました。
この国には、驚くほど効率的な口寄せの呪術があるようですね?
たとえ全員の命と引き替えだったとしても、冥府からの口寄せは少人数でできるものではない、というのが我が国の呪術師たちの見解だったのですが」
フロリアン王子は、そう付け加える。
そう言えば、血縁者による口寄せは呪力の消費を大幅に抑えられると、本に書かれていた。
その呪術についてハインツと議論したことを、カタリーナは思い出す。
「前マスターの存在をご存知、ということは、七越山に行ったのはブルークゼーレ王国の貴族ですのね?
霊宝の情報を献上するなんて、随分と忠義に篤い臣下をお持ちですのね」
カタリーナは、素直に感心する。
七越山の霊宝に関する情報は、あそこを訪れたという男性から得たのだろう。
『茶色の瞳に茶色の髪で、貴族風の服を着た方です』
七越山を訪れた男性について、セルビータはそう言っていた。
あの国の王族には、該当する人物がいない。
ということは、臣下がその情報を齎したということになる。
普通の貴族は、未知の霊宝に関する情報を王家に献上したりはしない。
霊宝とは、王になる資格だ。
即座に玉座を狙うつもりはなくても、持っていれば状況次第で王になれるし、王になる可能性を子や孫に遺してやりたいという気持ちは誰にだってある。
たとえ、すぐには冥府からの口寄せができなくても、情報は徹底して隠し、密かに口寄せの方法を模索し始めるのが普通だ。
「はは。
そこまで忠誠に篤い臣下は、もちろん我が国にもいませんよ。
七越山に行ったのは私です」
フロリアン王子は苦笑いしながら言う。
「……変装して山奥に入ったのかしら?」
これもまた、カタリーナの予想外だった。
フロリアン王子は、赤髪にオレンジ色の瞳だ。
セルビータが言う人物とは、髪色と瞳の色が異なる。
セルビータの言う「茶色の瞳に茶色の髪」になるためには、変装が必要だ。
悪霊の棲む山として有名な七越山は、猟師や木こりだって近付かない。
あそこで人と出会うことは、間違いなくないだろう。
しかし彼は、そんな人気のない山奥に「茶色の瞳に茶色の髪」で行っている。
「いえ?
変装なんてせずに、そのまま山に入りましたが?」
「え?」
「あ。分かった。
あの髪色も目の色も、セルビータちゃんにとっては茶色なんだよ。
たとえばね。
日本語で茶色の猫は、英語にするとOrange Catなの。
茶トラなんかの、猫のあの茶色は、英語じゃオレンジ色なのよ。
オレンジ色の猫なんて聞いたら、日本人はそんなネコいないだろって思うけどさ。
でもイギリス人は、すぐに茶色の猫が頭に浮かぶんだよ。
色の範囲って、国によっても時代によっても変わるからね。
オレンジ色は、セルビータちゃんにとっては茶色なんだよ」
首を傾げるカタリーナに、得意気に人差し指を立ててエミーリエが言う。
前世で通訳の仕事をしていた彼女は、こういったことに詳しい。
「本機近くに来た男性は、あの方で間違いありません。
髪色も瞳の色も、来たときと同じです。
申し訳ありません。
お話しした当時は、言語情報についてのアップデートをしばらくしていませんでした」
「仕方ないよ。
青信号なんて言葉があるように、日本でだって、昔は緑色が青色に含まれてたしね。
時代によって色の意味が違うなんて、当たり前のことだよ」
謝罪するセルビータをエミーリエが慰める。
カタリーナがブルークゼーレ王国の対応を読み違えたのは、七越山の霊宝の存在をあの国が掴んでいるとは思わなかったからだ。
読み違いの原因は、人並み外れた忠誠心の臣下だと思っていた。
だが結局は、色についての認識のズレが理由だった。
「確認不足による勘違いだったのね。
基本的なミスね……はあ……落ち込むわ……」
「仕方ないよ。
王妃様はたくさん仕事抱えてるんだし、たまにはミスだってするよ」
しょんぼりとするカタリーナを、ぽんぽんと彼女の肩を叩きつつエミーリエが慰める。
カタリーナがここに来てからずっと、マルガレーテの侍女たちは、悲鳴は上げても言葉は一切、発していない。
王族同士の会話に割り込むのは、大変な非礼だからだ。
しかし、エミーリエやアシスタントたちは、礼儀などどこ吹く風だ。
「……まさか、この国の山に、殿下がお一人で来られるとは思いませんでしたわ」
気を取り直してカタリーナが言う。
こっそりと他国に忍び込むのだ。
供回りだって多くはないだろう。
大国の王子がするとは思えない、大変危険な行為だ。
「はは……。
仕方ありません。
私は、兄のスペアです。
王族が直接しなくてはならない危険なことは、全て私の役目です」
自身の置かれた境遇を自嘲し、フロリアン王子は言う。
「なるほど。
だから、ここにいらっしゃったのも、フロリアン殿下お一人なのですね?」
他国の王宮を制圧するのだ。
霊宝の使用許可を得ているとはいえ、大きな危険が伴う。
「はい。そうなります。
ですが……それも今日までです」
フロリアン王子は、獰猛に目を輝かせて笑う。
失敗を微塵も考えていない、自信にあふれた笑顔だった。
ここまでずっと、フロリアン王子は十分な余裕を見せている。
自信満々の表情もそうだし、のんびりと口上戦らしきことをしていることもそうだ。
しかし、実働部隊である騎士たちは、カタリーナによって全員拘束されている。
王子の手足となって王宮を制圧する騎士はもちろん、王子を護衛する騎士さえ残っていない。
それなのに、不自然なほどの余裕だ。
これもまた、カタリーナの予想通りだった。
今、茨の蔓で拘束されている騎士たちは、鎧を着込み剣を持っている。
武具の持ち込みに冥王の兜が使われた、というのは事実だろう。
そして、少し離れたところには、牛のような置き物が置かれている。
霊宝の出力を制限するものらしいので、間違いなくアシスタント対策で用意したものだ。
セルビータはあれを、旧世界の遺物だと言っていた。
つまり、霊宝だ。
確認されているだけでも、既に二つの霊宝が使用されている。
それなら、持って来たのは二つだけ、とは限らない。
三つ目、四つ目の霊宝があってもおかしくはない。
そもそも、たかが五十人程度でこの王宮を制圧すること自体に無理がある。
この程度の兵数でも制圧を可能とする強力な霊宝を、彼は確実に持っている。
戦力として期待していないにもかかわらず、フロリアン王子はこの騒動にこの国の貴族を巻き込んだ。
おそらくは、共犯にするためだ。
共犯者にしてしまえば、その貴族の領地なら安全に通れる。
帰国時の身の安全のためだけに、彼らを巻き込んだのだ。
カタリーナはそう考え、そして迷う。
これから王子が霊宝を使うつもりなら、その前に王子を制圧してしまった方が効率的だ。
だが……本当にそれで良いのだろうか……。
愛する我が子が全員戦死した。
家は焼け、家族は殺され、天涯孤独となってしまった。
両親が亡くなり、幼い子供だけが残された。
戦火の中では、どこにでもある、ごくありふれた地獄だった。
そんな時代を、カタリーナは前世で生きた。
戦争の残酷さを身をもって体験してきたからこそ、慎重になってしまう。
大国との戦争は、領地戦とは違う。
どちらかの、あるいは双方の国の民が、地獄を味わうことになる。
いずれフィーリップは来るだろうが、霊宝が使用される前に来てくれるとは限らない。
戦略的に考えるなら、フィーリップを待つことなく今ここで自分が戦争を決断し、フロリアン王子を無力化してしまうのが最善だ。
しかし、その決断を、無数の不幸をまき散らすその決定を、十分な時間をかけて議論することもせず、今ここで、自分一人で即決するべきなのだろうか……。
フィーリップが間に合わなかったとしても、戦争の決断はぎりぎりまで保留することを、カタリーナは決める。
「……今日までって、どういうことかしら?」
カタリーナは、先ほどの王子の言葉で意味が分からなかったことを尋ねる。
(!?)
「えっ!?」「まあっ!」「きゃ!」
カタリーナは驚くが、声は出さなかった。
エミーリエや侍女たちは、悲鳴のような驚愕の声を上げた。
カタリーナの質問に、王子は答えなかった。
その代わりに、超常現象を起こした。
突然、王子の手の中に板が現れ、彼の横に大釜のようなものが現れたのだ。
さっきまでは何もなかったところに、次の瞬間には物が存在する。
そんな、奇妙な現れ方だった。
エミーリエたちが驚いたのは、一触即発の空気の中、突然手品のようなものを見せられたからだ。
現れた物は二つだ。
一つは王子の手の中にある板状のもの、もう一つは王子のすぐ横にある高さ一メルトほどの大釜のようなものだ。
手の中にあるものは光沢のある黒で、大釜のようなものは鉄瓶のやかんのような黒だった。
「あの男性の額のサークレットは、ソロモン社製の亜空間収納具です。
あれを使って、収納していたものを取り出したのです」
セルビータは驚く様子もなく、淡々とエミーリエたちに解説をする。
冥王の兜を使って本郭に武具を持ち込んだと、ハインツは言っていた。
おそらく、王子の額にあるサークレットが冥王の兜なんだろう。
物を隠すと言われるブルークゼーレの霊宝は、亜空間収納具だった。
「ええっ!!?
よく見たらあれ!!
タブレットPCじゃないの!!?」
王子の手の中にある物を見て、エミーリエが驚く。
「タブ……?
初めて聞く言葉です」
王子は、タブレットPCという言葉を知らなかった。
「それは知りませんが……これこそが、我が国の誇る霊宝、悪魔の使役書です」
「「「悪魔の使役書!!?」」」
突然出現した物こそ悪魔の使役書であると、フロリアン王子は言う。
それを聞いて、侍女たちまでが驚きの声を上げる。
一等国であるブルークゼーレ王国は、領土も広大であり、霊宝も複数持っている。
これは、近隣国を呑み込み続けてきた結果としてのものだ。
隣国を呑み込む度に、あの国は領土を広げ、王権の象徴である霊宝も手にしてきた。
それを可能としたのが、悪魔の使役書だ。
不死身の悪魔の軍勢を召喚すると言われる強力な霊宝は、ブルークゼーレ王国の武力の代名詞でもある。
マルガレーテの侍女たちまでもが立場を忘れて声を上げたのは、今、目の前にあるものこそが、かの有名な伝説の霊宝だったからだ。




