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ダロウェイ夫人に憧れて

 書くことがないなんてことを書いても仕方のないことなのだけど、それでも書くことがないのだから、とりあえず素直にこう書いてみるのだ。書くことがないぜ。でも不思議なことではある。最初から書くことなどなにもなかったのだから。それなのに、おれは3ヶ月くらいは書くことに困らなかったわけだ。書くことに困っていなかったころと、いまのこのおれとなにが違うというのだろうか。わからない。わかろうともしていない。わからなくていいのだ、そんなことは。わかったからなんだというのだ? 元いた場所に戻って、同じことを書き続けるだけか? 笑わすな。そんな退屈なことでおれが満足できるはずがない。おれは反逆児、ノーとしか言わない日本人だぜ。自分の快感にさえ、ノーだ。安寧の場所などあるものか。ひとつところに留まることをよしとすれば、いずれあらゆる部分がほころび、陳腐化する。腐敗にまみれ、崩れ落ちた楽園の汚泥の中で、にたにた笑って生きるなんてごめんだね。間違っていようと、だれにも相手にされなかろうと、進み続けることのみ。必要なものは推進力だけだ。おれを満足させる可能性は、前方にしかありゃしない。


 正直、今日はくじけかけた。すっかりしょげちまって、とりあえず一日は文章を書くことは休んでみよう、なんて腑抜けた考えがおれを支配していた。ついさっきまで。それでも、文章、文章、ひぐらしを遊んでいたって、文章、文章、なにをするにも、文章、文章を書かなければ……という考えが、頭の中をちらついて、うっとうしくて仕方ない。あまりにもうるせえものだから、こうして早朝からキーボードを叩いているわけだ。こうなっちまうと、もう病気だね。文章中毒だ。でもおれがこうなるように仕向けたのは、おれ自身だ。ならばとことん付き合うしかあるめえよ。だからもう……適当だ。適当に適当を重ねて、文字数稼ぎもふんだんにさせてもらって、とりあえずぱっと見で文章としての体裁が整っていりゃあそれでいい。おれを騙してやるのさ。文章を書きさえすれば満足するんだろう? よくわからない精神状態だぜ。

 さてと。さっそく詰まったぞ。手が止まってしまった。手っ取り早く済ませたいんだけど、そうは問屋が卸してくれやしない。少しは頭を働かさなければいけないんだから、厳しい作業だよ。おれはもう考えることなんかしたくないってのに。なんというか、ボーッとして日々を過ごしたいんだよね。だれにも迷惑を掛けず、だれにも迷惑を掛けられず。必要以上に心を騒がせたくないんだ。良いことも悪いことも一瞬の瞬きだよ。過ぎ去ってしまえば、もう二度とその感触が戻ってくることはない。だからおれはいちいち写真なんて撮らないし、起こったことをそのまま書いたりすることも嫌いなんだ。振り返ったってなにもいいことなんてないからね。懐かしく思うことなんて罪に等しいよ。また適当によくわからないことを書いているけど、こんなのも全部その場の気分で書いているんだから。いまのおれがこう思っているってだけの話だ。明日のおれがどう思っているかはわからないし、興味なんてないね。たとえそれで未来のおれが、過去のおれの尻拭いをさせられるハメに陥ったとしてもだ。そんなことはいまのおれにはまったく関係のないことだ。


 連続性を当たり前に理解していながら、連続性を否定する。こういう部分を深く考えていけば、おれはもしかしたら哲学者になれるかもしれないけど、あいにくおれは頭痛持ちなんでね。連中のようにはいかないよ。マジで頭が痛くなっちまう。だってヤツらの書いていること、なにも理解できない。序文からして理解不能なんだから。凄いよね、哲学書って。文章でありながら、文章ではないなにか。理解を拒否する文章。そんなもん憧れちまうに決まっているじゃないか。なんとか解った気になりたいと思って、再度チャレンジしてみたって、おれのオツムじゃ太刀打ちできやしない。ひとかけらも理解できないんだから、逆に興奮しちゃうんだよね。読み進めることすらできやしないんだから。そんな哲学書がおれの部屋には何冊もある。どれもこれも、読み通せた試しがないどころか、言っていること、書いていること、ただのひとつも理解できない。あれって魔術師が書いた、魔法の書なんじゃないかな。意味がわからないんだもん。なにについて書いているの? どういうことなの? 本当にわけがわからない。そんなわけのわからないことを考え続けて、文書として残した哲学者を、おれはマジで尊敬している。なにひとつ理解できちゃいないけど、だからこそ尊敬に値する。考えてみりゃ当たり前のことだ。ひとつの学問の大家が記した書を、おれのようなガラッパチが読みこなせるわけがない。小説がどれだけユーザーフレンドリーなのかがよくわかる。フィネガンズ・ウェイクだって哲学書に比べれば、まだ読めるに違いないよ。いや読んだことないけどね。


 ヴァージニア・ウルフを読んでみるか。今までなんとなく縁がなかったというか、避けてきた作家。だって「ダロウェイ夫人」とか「波」とか「灯台へ」とかさ。タイトルからして、なんか退屈そうじゃないですか。というか絶対に退屈でしょう。でも最近のおれの個人的なギターウルフ再評価の流れに乗って、ウルフ繋がりで読んでみようと気になった……って言うのは流石に嘘で、なんとなくだよね、なんとなく。そろそろそういう時期なんじゃないのかな、みたいな感じ。なにがそろそろなのかは、よくわからないけどさ。よし決めた。おれは今日、ヴァージニア・ウルフの本を2冊買おう。近所の本屋で売ってるかな。売ってない可能性もかなりあるよね。池袋まで出るの面倒なんだよな。でもヴァージニア・ウルフの本を買うのに、電車を乗らなければならないかもしれない、県庁所在地ってどうよ? どうよ、っつってもこれでもまだマシな方だからね。いまじゃ本屋がない駅だって珍しくない。本屋があったとしても、品揃えなんてほぼクソだもんな。おれにとってのクソね。おれの欲しい本が売ってないっていう意味でのクソ。池袋のジュンク堂が近所にあればいいんだけど。そうしたら毎日通っちゃうよ。いや嘘だな。さすがに毎日は通わないっていうか、そんなに行かないと思う。ネトフリだって加入したはいいけど、もう半年くらい起動すらしないじゃん。そんなもんだって。


 やっぱりおれにとって最後に残る娯楽は、文章を読んだり書いたりすることなんだ。ひぐらしだって、文章を読んでるみたいなもんだもんな。まあ、声優の演技とか絵が入っちゃいるけど、結局大事なのはテキストだ。なぜ、ここまでおれが文章に執着しているのかはわからないけれど、そんなことはどうでもいい。自分を分析したってしょうがない。もっと言えば、分析ってしょうもない行為だよ。あるがままを受け入れ、あるがままを吐き出す。感情の赴くままでいいじゃないか。格好つけるのは、実在女性の前だけでいい。どうせおれなんてたかが知れてるんだから。他人から見て興味深い知見なんて披露できやしないよ。おれにしかできないことなんてありゃしない。おれがしたいことをするだけだな。本当にそれだけなんだけど、それがなかなか難しい。いつ終わるかもわからない人生。長いよ。さすがに長過ぎるよ。したいことがどんどん少なくなってゆく。興味のベクトルが先鋭化して、ありきたりのものでは満足できなくなって、不完全燃焼の不満を抱えたまま死んでゆくのか。まあいい。それも人生だ。それこそが人生だ。人生なんてくそったれだ。生命はくそったれた呪いだよ。この世界は生者のためにある。それなのに、苦しみと悲しみが、こんにちはって今日も訪ねてきやがるんだ。居座りやがるんだ。くそったれ。くそったれだよマジで。

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