下町バビロン
それどころじゃない連中がいるのは承知で文章を書く。かなしいことが起こるのは、なにも昨日今日にはじまったことじゃない。いつだって対岸の火事は無数にあるよ。すべて見て見ぬフリをするさ。できることがあるなら黙ってやるさ。デマを流すやつ、それに怒るやつ、心を痛めていることを表明するやつ。根っこは似たもの同士だろう。仲良くはしゃいでいなよ。どうせ黙っていられないんだろう。勝手にすればいいんだ。勝手にすればいいけど、おれには近づいてくれるなよ。きみたちのことが大嫌いなんだ。本当に大嫌いなんだよ。
長く生きれば生きるほど、おれの考えはあながち間違っちゃいないってことが実感できるよ。来るかわからない10年後の心配をしたってしかたがないんだ。大事なのはいまを楽しむこと。それ以外に大事なことなんてないよ。我慢して長生きして何になる? 自分を押し殺してせこせこ貯金して、貯金の額で自慢するようになったらそいつは終わってるよ。使わないならおれに寄こせって。おれがちゃーんと、おれが楽しく生きるために使ってやるからさ。貯め込むだけ貯め込んでなにがしたいってんだよ。老後が不安? 老後の自分の奴隷になってどうするのさ。老いぼれたてめえのことなんて放っておけって。どうせ碌なもんじゃないんだから。絶対に碌なもんじゃないんだから。それに人生はいまこの瞬間にも終わるかもしれないんだ。通帳と判子とキャッシュカードを抱いて死ぬのか? ああごめんごめん、いまはスマホで決済なんだっけ。知るかよ。どうでもいいよ。死ぬほどどうでもいいんだよ。金は金だろ。ピッ、で支払いができるからなんだってんだよ。それを便利って言い張るのか? たったそれだけで? よくわからないね、あなたたちは相変わらず。
日々、ルーレットを回す。今日のルーレットの目は誰の気分だ? 偶然か運命か、故意か無意識か、そんなことは考えたってしょうがない。起こっちまったことは起こっちまったこと。粛々と受け入れ、すぐに立ち上がる。もちろん。文字で書くのは簡単だ。けれど経験が教えてくれる。どんな出来事だっていずれ風化してゆく。風化させてはいけないことも構わず巻き込んで根こそぎだ。いずれ風化してゆく。おれだって、きみだって。だからいずれを考えたって意味がないんだ。いつだって大切なのはいまだけなんだ。だからおれはいまの感情に、乗っかって逆らって、文章を書く。いまこのときにしか書けない文章をな。予定調和の文章ならば、明日だって書けるさ。明日まで生き延びてさえいればな。相変わらずふわっとしたことしか言わないけど、カチッと型にはめ込むのは好きじゃないんでね。意味はどう取ってもらってもきみの自由だ。けしからんと怒ってもいいんだよ。怒られたってやめないけどね。でも安心してくれ。きみの怒りをさらに煽ったりはしないよ。いやするかもな。ごめんね、わからないよ。おれが次になにをするのか、おれにだってわからない。だからおもしろいんじゃないか。おれがなにを書くのか、他ならぬこのおれがいちばん楽しみにしているんだ。そしてきみだって。おれの文章を楽しみにしているんだろう。文章から読み取れるおれの虚像が好きではないにしても、おれの文章自体はちょっとしたものじゃないか。そうは思わないかい。たまにはポカもするよ。どうにも調子が出ないときだってある。そんなときはこう考えるんだ。どうせ誰も違いなんてわかりゃしないよ。おれだってよくわからないんだから。
書いているときに見えている文章と、書かれた後の文章。印象がまったく異なるのはどうしてだろう。良いように変わるときもあれば、その逆もある。そんなことばっかりだから、おれはもうおれの文章を信頼していないんだ。いまだけを信じるんだ。いまこのとき、この文章を書いているおれを。今日なんてだいぶいい感じだよ。だけど明日になって読み返してみたらどうだろうね。ただのくだらない独り言に見えてしまうかもしれない。だからなんだってんだ。明日のおれの反応を心配して、おっかなびっくり書くなんて、そんなくだらないことをしている余裕はおれにはない。
ずっと同じようなことを書いている。それでも振り返らずに進もう。センスのいいミニマルミュージックだと思えばいいじゃないか。どだい個人の引き出しなんて無数にあるわけじゃないんだ。変奏を繰り返すだけだ。毎日、毎日。アレンジにアレンジを加えていけば、いつかは別物に見えるはずだ。根底に流れているのは同じ音だったとしても、そんなものをわかっているのは、書き手のおれだけでいい。読み手はただ読むだけだ。きみたちの仕事はそれだけなんだ。明日のおれの仕事もね。おれが書き飛ばしているんだ。きみたちも雑に読み飛ばしてくれ。読んだ端から忘れていってくれ。そしてできれば毎日こう思って欲しいね。こいつの文章ってなんかおもしろいよな!
やかましい新年だよ。SNSってのはローカルで小規模な事件事故のときは役に立つかもしれないけど、大きな災害などのときには害悪でしかないね。目障りなノイズで溢れやがる。クソ野郎研究家のおれでも、さすがにこいつは見ちゃいられない。いいからてめえは黙ってろ、って口にタワシでも突っ込んでやりたくなるね。言論の自由? ただの下品な野次馬が大きく出るじゃねえか。まあいい。認めてやるよ。もちろんおまえにはその自由がある。その結果、口にタワシを咥えるハメになったってだけだろう。そんな自分を誇れよ。言論弾圧に屈さずにクソを撒き散らすてめえ自身を誇ってろよ。分厚いツラの皮に産んでくれたパパとママに感謝するんだな。おれはいつでもタワシを持ち歩いている。タワシが食いたくなったらいつでもおれにちょっかい出してくれ。秒で突っ込んでやるから。
当然のことのように、年が明けようがなにが起ころうが、クソ野郎の行動はなにも変わりやしない。いつも退屈なひょうきん者。てめえのつまらない冗談にてめえで笑っている。つられて笑わないやつには、空気読め、だってよ。読んでるって。空気を読んだ上で笑わないんだよ。第一に、まったく笑えねえし、第二に、その空気を誰かがぶち壊してやらないと、オチがつけられないだろう? でかいツラしたてめえが嫌々ステージから引きずり下ろされる様子がようやく面白い見世物になるんじゃないか。
何度でも言ってやる。おれは醜いやつが嫌いなんだ。その中でも最高に嫌いなのは、醜さを金なり権力なりで正当化できると勘違いしたやつだな。できるわけねえだろう……と言いたいところだけど、案外できちまうのが困ったところでね。美学のない人生を生きてなにが楽しいんだろうな。そんなの虚しいだけだろう? なんて言ったって、わからないよな。ごめんごめん。
たまには自分の内面でも覗いてみたらどうかな。驚くよ。からっぽすぎて。それを自覚してからがスタートなんだよな、本当はよ。でも周りを見てくれよ。中身たっぷりみたいなツラしたからっぽ野郎で溢れているじゃないか。開けてびっくりよ。量が少ないどころの騒ぎじゃない。中身がなにもないんだから。詐欺だぜ、詐欺。こういう連中を見ると、趣味の悪い過剰包装を無理やりひん剥きたくなるんだよ。だからおれは電車が嫌いなんだ。街に出るのが嫌いなんだ。それだけが理由で、毎日文章が書けちゃうんだから凄いだろう? そうでもねえってか。まあ……よく考えてみたら確かにそうでもなかったな。それでもよろしく頼むよ。これからもおれの文章を読み続けてくれ。おれは決して裏切りはしないぜ。




