いまだやつらにぶち込め
参ってしまっている。なにしろ書くべきことがないのだから。こんなような書き出しをしたことが、何度もある気がする……つまり、それは真に迫っているということに他ならない。ゴシップ、スキャンダル、日常生活のこぼれ話、誰かの受け売りのウンチク。そのいずれにも興味が持てない。興味が持てないことを書いたってしょうがない。クソ野郎をいかにクソ野郎と言わずに罵ってやるかという遊びも飽きてしまったし、結局のところは、骨の無いくらげのような男、おれのことだ……に還ってきちまう。
でもさ、おれのことなんて書いてどうするんだ。書くことならそりゃたくさんあるだろうさ。おれはいまルースターズの3枚目のアルバムを聴いている。だからなんだって話じゃないか。おれのことなんて、どこまでいったって、だからどうした、その一言の前じゃ形無しだ。返す言葉もないよ。本当にそのとおりだ。
最近は、明治のチョコレート効果のカカオ72%をよく囓っている。本当は甘い甘いミルクチョコレートが好きなんだけど、健康面と身体的外見を考慮した結果、こんな酸っぱくて苦いチョコレートを自発的に食うハメに陥っている。だからどうした。そうだよね。その気持ち、すごくよくわかる。どうもしちゃいないんだ。なんとなく書いてみただけで。書くことが見つからないから、たまたま目の前にある物のことを書いただけなんだよ。だからどうした。うーん。ええと。困ったな。そんなこと言われちゃったら書くことなくなっちゃうよ。一応、おれは毎日文章を3000字書くってことをやっていてさ。なんとか言葉を繋ぎ合わせていかなければならないんだよ。だからどうした。いちいちうるせえな。どうもしちゃいねえって言ってんだろうがこのやろう。なにもかもどうでもいいけど、どうでもいいどうでもいいばっかり書くわけにもいかねえだろう。せめてもの演出ってやつが必要なんだよ。文章として成立させるにはよ。だからどうした。だからどうしたと言うんだ。そんなもの、全部そっちの都合だ。こっちにはなにも関係がない。違うか?
違わない。誰がおれに興味を持とうが持つまいが、どうでもいいことに変わりはない。ただ、おれはそんなどうでもいいことを、つらつらと書き続けてきたんだ。書けば誰かが読むんだよ。それだけのことだけど、それが書く理由のひとつでもあるんだ。モチベーションってやつ? わかっている。こんなものただのマスターベーションだ。おおよそ気持ちの良くないマスターベーション。ごくたまに気持ちいい。でも癖になる快楽ってほどじゃない。考えれば考えるほど、書く理由ってやつが、あやふやになって見失ってしまう。馬鹿はブルース・リーを持ち出すさ。考えるな、感じるんだ。そんなもんは達人の論理だ。考えて考えて考え抜いて、もう考えなくたって自由に動けるようになった末の言葉だ。考えてひねり出した言葉だ。あの少年だって、そんなこと言われたってわからねえよ、って顔をしてただろう? わかるはずがない。だってわからないもん。なにも言っていないに等しいんだもん。誰でもわかったような気になる便利な言葉って危険だよ。いざって時に使える教えではない。ブルース・リーはあの時、こう言うべきだったんだ。ためらうな、殺せ。ってさ。武道って突き詰めればそういうことだろう。そいつがソフィスティケイトされたのが格闘技だろう。殺さない殺し合い。そんなもんに熱中してどうする。結局のところ、格闘家は相手をぶっ倒したいだけだし、観衆は誰かがぶっ倒れるのが見たいだけなんだ。格闘技の興行に行ったことあるかい? 野蛮人どもが集まっているよ。おれはあそこにいると気分が悪くなってくるんだ。ワセリンの匂いと、血を見ることと骨が折れる音が大好物な連中にあてられて、頭がくらくらしてきちまうんだ。ここだけの話だけどね。おれ、格闘家の知り合いがまあまあ少しはいるからさ。彼らの前でこんなことは言えないよ。ぶっ倒されちまう。
そもそも考えると感じるの違いってなんだ。言葉にするかしないかの違いか? 論理的思考と身体的反応、みたいな話? だとしたら余計に両方備わっていた方が強いに決まっている。どっちか一方ではダメでしょう。頭でっかちのうらなり野郎でも相手は倒せないし、運動センスだけの頭からっぽ野郎はどこかで頭打ちになる。
ボクシングのジャブ。あれだってめちゃくちゃ難しいからね。ただ単に手をビュッて前に出すだけではないからね。って言うかパンチの中で一番難しいのって、ジャブだよ。ストレートも難しいけど。両方難しいな。でもジャブとストレートを極めちまえば、パンチに関してはそれでいい。それでいい、ってそれが大変なんだよ。
でも考えてみれば丹下さんってジャブの教え方ものすごく上手なんだよね。やや内側にえぐり込むように打つべし。これですよ。えぐり込むように、っていうのは捻りを加えるってことじゃなくて、背中を使うってことだからね。で、背中を使うには下半身も連動させないといけないから。瞬間で体重を乗せるってことだよね。これができるとジャブがすごい武器になるんだよ。皆さん勘違いしがちですけど、ジャブって普通にすごく痛いからね。軽くないからね、あれ。それを一言で表現できちゃう丹下のおっちゃんすごい。つうか梶原一騎もボクシングの心得あったもんね、確か。あの人はすげえよ。あらゆる意味で。戦後日本の象徴的人物でしょう。よくさ、マンガ好きのなかで、手塚派か水木派で別れるっていう話あるけど、おれはそこに梶原派も加えたいね。手塚派、水木派、梶原派。あなたはどの派閥? おれは水木派寄りの梶原派だね。まあ厳密に言えば、彼はマンガ家ではないけどさ。だって出てくる言葉がマンガのそれではないもんね。梶原一騎はみんな読んだ方がいいよ。もしも暴力の権化のようなロマンチストが文学を志しながらもマンガ原作者になったら? そんな長年の疑問が解決するだろうね。こういう題名の書物があってもおかしくないよ。ほら、もしも野球部のマネージャーがブコウスキーを読んだら? みたいな本あったじゃん。あんな感じで。
さて。気づいたかな。おれは改行が少ないほど、行間を空ける回数が少ないほど、文章を楽しんで書いているってことだ。言葉がしゃきんしゃきんと繋がっているわけだから、改行なんてしている暇がなくなるんだよね。で、行間を空けるってことは、つまりは一度逃げてるってことだから。クリンチみたいなものだよね。一息つくんだ。でもそれをやるとそこで手が止まっちゃうことが多いから、調子いい時はあんまり行間空けたくないのよ。ラッシュかけて仕留めにいきたいわけよ。でも読みにくいって言われちまうから。うるせえよって思いながら、仕方なくエンターキーを押すわけです。そんなに読みにくいかな? おれはむしろスカスカの方が読みにくいんですけど。
それがおれの調子のバロメーターですよ。だから改行が多かったり、行間がばんばん空いていたりしたら、ああ阿部ちゃんが、ご苦慮なすっているな、そう思ってくれ。ねぎらってくれ。敬ってくれ。肩を揉んでくれ。メシを奢ってくれ。あてがってくれ。おれの子を孕めや。嘘だよ。冗談だって。チンギスハーンじゃあるまいし、そんなことは言わないし、やらないよ。
いやあ、書き始めはどうなることかと思ったけど、書いてみるもんだね。書けたわ。どんな文章が仕上がっているかはわからないけど、調子良く書けました。それだけでおれはゴキゲンなのさ。この感覚が欲しくて文章を書いているんだよね。こんな日は感想を訊いてみたいね。おれの調子良さと読む人の感想はリンクするのか? まあでも無反応でも落ち込んだりしないよ。そんなもん慣れっこだって。はっはっは。いい気分だ。じゃあの。




