汝は作家なりや
まあ寒いわけだが。暖房をつけると暑い。微妙な加減が要求される日中である。少し寒くなったり暑くなったりしたくらいでぴーぴー喚くんじゃない、という一喝が一定の説得力を持っていたのも、もはや過去の話であって、気候ってものの正解が本当によくわからなくなっている。おれは若い頃、お金がなさすぎて夏から秋にかけてはガスを止められたまま放置し、真水のシャワー(本気で冷たいよ)で身を清めていたのだが、11月に入ったところで、さすがにこれはもう無理……と強く強く思った記憶があるので、11月という時節は寒いのが通常運転であることは間違いないのだが、今年の夏の暴力的な暑さおよびその期間の長さによって、おれの季節感のようなものは粉々にぶち砕かれたのではないか、というのがおれの見立てであり、おれというのは阿部千代のことであり、なめんなよ、ヨロシク、というわけなのであった。
詩情がきた。おれはそう確信していたはずなのだが、どうも勘違いだったようだ。危なかった。もう少しで、詩人を自称するところだった。
おれの偉いところは、物書きだとか作家だとか、小説を書いていたときは小説家だとか、そんな肩書きを自称しないところがすごく偉いと思う。ただそう自称してしまう人たちが偉くないのかというと、まあ偉い偉くないで言えばすごく偉くないのだが、それでも人間という生き物は肩書きに引っ張られる部分が少なからずあって、課長だってポストを与えられた瞬間に課長になれたわけではないはずで、課長という肩書きに引っ張られて徐々に真の課長へと変身していくのではあるまいか。
そう考えると、自称だろうが他称だろうが多少の齟齬には目を瞑り、我こそは作家なり、そうぶち上げるくらいの気概も必要なのかもしれないが、やはり実力の伴っていない自称は傍から見ていて、気恥ずかしいものである。その気恥ずかしさも諸々承知の上で、自分は作家であると、小説家であると、詩人であると、エッセイストであると、自称しているのであれば、実際大したものであり、その意気やよし、ということにもなるのかもしれないが、気恥ずかしいものは気恥ずかしいので、そういうことを気にするおれのような繊細な人間には、諸々承知の上でのことなのです、そうあらかじめ教えておいてもらいたいものだが、それが許されるのだって、あくまでも最低限の実力があってのことだということは、理解していただきたい。
実際問題、文章で稼ぎを得ているか否かはどうでもよくって、ちゃんと文章を書けていれば、小説家と自称しようが作家と自称しようが、なにも違和感はないのであり、そういう人だっておれは知っているのである。
そんな細かいことを気にするのはおまえくらいのものだって? ちっちっち、それは違うよボーイ。自分がどういう生き物だと認識しているのか。これは表現活動を行うにあたって、非常に重要な問題であると言える。作家や小説家という言葉が単なる肩書きだと勘違いしている人間に、まともな文章は絶対に書けないと断言してもいい。そのようなやつにとって言葉というものは空虚だ。作家や小説家や詩人は肩書きではなく、生き方であり、そういう種類の生き物なのである。ラッパーがヒップホップという生き方を選んだと主張しているのと、非常に近しい価値観であると個人的には考える。ロックンローラーもまた然り、である。
空虚な言葉を操るやつは、詐欺師や俗物という生き物であって、作家や小説家という生き物とは別種である。とは言え、詐欺師や俗物にいいところがまったくないのかと言うとそんなことはなく、その道を究めればお金が儲かるという利点がある。これは現代においては見逃すことのできない利点であろう。お金が儲かれば、親兄弟だって安心できるし、友人だって感心してくれるに違いない。だからして、恥じることはまったくないのだ。
ただ、できることならば、作家や小説家などと自称はして欲しくないというのが個人的な願いではあるのだが、そういうことを平気でするからこその詐欺師や俗物なのである、とも言えるので、このあたりのところが個人的なジレンマではある。
さて、ではおれはどういった生き物なのだろうか。こいつは実際問題大問題なのである。おれはもう、半ば小説を書くことを諦めているので、小説家では決してない。作家? 作家って実際のところ何者なんでしょうかねえ。よくわからないので、作家はパスさせていただく。物書きっていうのも、ちょっと響き的に好きではないので辞退する。詩を書くことが最近のお気に入りの活動だが、おれが書いているものは詩と呼べるのか、という問題には解決の糸口も見えない状態なので、口が裂けても詩人などと自称したくない。エッセイスト。それは違う。ぼくはエッセイストです。いや、ない。これはない。なぜかはわからないが、こちらからお断りだ! という怒りすら湧いてくる。なぜなのか。
このような生き物であるからして、おれはおれだ、しつこくそう述べているのである。なぜならこれは誰にも否定できない事実だからだ。おれが阿部千代だ。ねちっこいくらいにこう主張しているのである。誰も異議を唱えることなどできやしない。力強くこう主張することで、よくわからない迫力が醸し出されるような気もしてくる。実際のところ、みんなびびってしまって、誰もおれには近づいてこない。寂しいなどとはまったく思わないのである。