六十四話 空をつかむ
赤い砂が覆っている地面には足跡は付きづらい。藍の山嶺を歩く幼子にとってもそれは常識の範疇にあった。長く揃えられた髪の毛は風に揺られながら、少女を少女足らしめている。
「…………」
周りには誰一人としていない。決して、ハブられているとか、そう言ったことではない。彼女は一人が好きだった。ただ、ぼーっと空模様を見ていることが趣味の一つだった。同年代の友人からはおかしいと何度も言われてきた。それは承知の上だ。自らと他者のズレは大きい。
「……そういえば」
何を考えていたのか、数瞬前の事象を彼女は忘れていた。思い出した事柄に思考が行ったのだ。今日は友人が来る、と言っていた。揺れる口元は笑みを作り、いたずらを思いついた子供のような表情をしていた。
「楽しみだなぁ。どんな子かなぁ。…にへへ」
山嶺の入口、緩やかな傾斜を登るのを止めながらヒナはルステンを見る。
「エイクスニュルニルさんの娘…ですか」
こればっかりは驚きを隠せない。エイクスニュルニルと言う名前が偽名だったことも、ルステンの年齢が未だによくわからないことなんて些事であるかのように、その命題はヒナの脳内にこびりつく。
そんなことをエイクスニュルニルは言っていなかった。もちろんカナタやマーリン含めて誰であって。ヒナしか知らない、カストロの記憶にだってその情報は一切なかった。疑念を抱いてしまうのは仕方のないことだろう。だが、その疑念はマーリンの方を見て解ける。
「…驚きました」
視線に気が付いたマーリンの行った行動はただ一つ。頷くことだけである。
「そりゃ驚くのも無理ないさね。これを知っている人物は少ないもの。マーリンとカナタ、夫に子供、ぐらいかねェ。エイクスニュルニルに娘がいたとなると驚くさ」
「いえ、もちろんそのことにも驚いたのですが、それ以上にエイクスニュルニルさんとルステンさんは種族が、違うように思うのですが……」
エイクスニュルニルは魔物と呼ばれる種族だ。体内の生命維持器官そのものが魔素で構成された生命体であり、ルステンは人類種だ。これはヒナが特殊な眼を持っているからこその核心であり、先ほど見た腕を羽に変えていたのは、あくまで魔術だと断定できるだけの能力があるからこそである。
しかし、その結論に持っていくにはあまりにも疑問点が多すぎた。彼女の母親はどちらの種族なのだろうか、それが解決しない以上、様々な推察が生まれては否定できてしまう。
「ああ、そういうことねェ。母親は人類種だよ」
顔に出ていたのか、投げかけるべき質問を短縮し回答が持ち出される。
それは可能なのか、という問いは投げなかった。
というよりも、投げるという考えに至らなかった。
「では、先ほどのカナタさんの魔術を受け止めた、アレは……」
それよりも聞きたいことがあったからだ。
カナタの魔術はヒナにとってみれば、一魔術とは一線を画す。端的に言ってしまえば彼女の魔術には思い入れがあった。特に氷の魔術には。
「それは、あれさね。……水属性の魔術への耐性、この一言に尽きるねェ。言ってしまえば、種としての生物の特性、人が二足で歩くような、その生物たらしめるだけの根底にある情報とも言えるかねェ」
絶対的な真理とも言える、各生物が所持する情報。その大小、良し悪し、数多の条件を加味したうえでの見えるモノと見えないモノ、それを覆すことは基本出来ない。基本、はである。
「ま、それはどうでもよろし、世の中にはそう言うのもあるという話さね」
ルステンはヒナの返答を聞かず、足を進める。
呼び止めることは出来たかもしれないが、マーリンまでも彼女に賛同するかのように足を動かし始めてしまっては、行うには至らなかった。
山嶺の外、魔素乱れる広野にて、少女と白髪の男はその間を一定に保ちながらも身体を軽く動かし、これから巻き起こるコトへの準備をしていた。
「それで、どうなんだ」
「どう、と言うと?」
コルネフォロスと呼ばれた男はその老体をいたわるように軽く、しかし、効率の良い柔軟をして準備をする。カナタはそれに同調するかのようにしていたが、この無言を破ったのはコルネフォロスの方だった。
「これでも儂は冠絶だ。魔術に精通していなくても見りゃあ分かる。あの嬢ちゃんは、随分と才気にあふれているなぁ。……下手したら、うちの愛娘を超えるぞ」
「………わかるかぁ、それぐらいは」
行っていた柔軟を止め、カナタは目を伏せる。
「彼女は忌子だ」
この発言で変わる空気は勘違いではない。
緊張を告げるような張り詰め方に空気自身も驚きを隠せない。
隣、そのまた隣へと伝播するシビレは加速度的に増加していった。
「……そうか」
「……」
「……それは、苦労する。いつの時代も忌子は災厄を招きうる。イレギュラー的存在だ。……だからこそ、虚王も動いていたのだろうな」
「…知ってるんだ」
「それぐらいはな。ルステンの眼の良さは理解しているだろ」
「なるほどね」
これまでの遍歴を伝えるにはこれ以上の言葉はいらなかった。
残りの想いなんて、武具をぶつけるだけで案外伝わるモノだ。
始めの合図は無かった。
カナタの足が地面を蹴る。
姿勢を下げ、重心を前に、自然と出る足を助けるかのように、地面に付いた唯一の身体の一部に力を込めた。爆発的な瞬発力は砂を舞わせてもその粒子が地面へと戻る前に動作を完結させる。
カルンウェナンに込められた魔力が膨張する。剣を為していた輝きの武具は魔術の光に似た発光と共に形を変容させる。
「ッフ!」
片手に持っていたはずの持ち手はその長さをカナタの身長以上に、武具の全長の大半を占めていたはずの刃は短く、槍を模したその剣はコルネフォロスへと襲い掛かる。
「いいなぁ!槍術はさして、教えていなかっただろうが!」
激情の感情は内に秘めることもなく零れる。
いつものコルネフォロスであれば、何の感情も動かない。それほどまでに彼の実力はこの村において逸脱している。まして、彼は武力における人類最強の存在。この村を出たところで、その退屈は同種の中では満たされることは無い。だからこそだろうか、白熱することのできる攻防に彼の感情は大きく揺れ動く。
しなりのある斬撃はコルネフォロスの剣へと吸い込まれる。手数で言えば、槍の方が多い。しかし技量は彼の方が明らかに上である。隙を突こうとしているカナタの動作を彼は熟知している。あえて作ることで防御をやりやすくしているのだ。
では、決まった動きの型を止めればいい。だが、それを許さないのが、人類最強が最強である所以なのだ。
やりにくい。
そう彼と対面した誰もが覚える。
「…相変わらずの、やりずらさだね」
「それが冠絶さ」
「……その二つ名嫌いなくせに」
「昔の話だろ」
わずかな時間の断裂。あるいは空間の裁断。
歪との呼ぶべき感覚は、会話に割いていた思考能力を戦闘へとシフトさせる。
割れた時空から鬼が出るか蛇が出るのか。知る者はただ一人。
カナタの視界には確かに、彼がいた。
「ッ!!」
咄嗟の反応はいつも以上。
背後から来た刃は体を全力で反らして回避する。
反応できなかったらどうしていたのか。そんなことを考える暇はない。流れるような反撃は空を切り、視界の下の方に彼はいた。
「終いだな」
首に冷たい感覚が伝わる。
剣の面で触れたのだと気づくのは遅れた。
「……降参」
敗北を認めるように持っていた武器を放る。
変幻自在な姿形をしていたカルンウェナンは、ただの剣の形に戻り地面へと落ちた。
「ここさね」
ルステンはそう言いながら大きな家を指す。
ここまで来るのに見てきたいくつかの家よりも一回り大きい住居は、町の長としての体を為している。
「あ、来た来た!待ってたよ、あなたがヒナちゃんでしょ?よろしくね。…あ、そっかまだ名乗ってなかったね。あーしはウガルヴァント。よろしくね?」
長く切りそろえられていた髪の毛をゆらゆらと揺らしながら、まくし立ててくる少女はヒナの手を取ってさらに続ける。
「めっちゃきれいな眼をしてるね!噂には聞いてたけど思ってた以上だね。やっぱり環境が関わるのかなぁ。ここら辺の土地は乾いているから、あんまり肌とかには良くないんだよねぇ」
「あ、え」
「ん?どうしたの?何かおかしなことでもあった?」
ウガルヴァントと名乗った少女の勢いはものすごく、周りに年上が多かったヒナにしてみれば対応の仕方を理解するのは土台無理な話だった。しかも、そんな少女の風貌があまりにきれいだった。整った顔立ちに平均を下回る身長、そして何より目を見張るのが、角度によって色を変える髪の毛だった。玉蟲色とでも言うべき少女の髪の毛には一切の魔術を感じない。つまり、アレは天然の代物だった。
あまりにきれいで、自分の年になったらどんなに美しくなるのだろうかと考えてしまう。もちろん、顔には一切出さずにだ。そもそも顔に出る程その思考は深くない。しかし、ウガルヴァントは舞台のような動きを止め、じっとこちらに目を向ける。
「一応、同じ年だよ?」
「…ぇ」
「さらに言えば、おねえちゃんなのです!」
そう言いながら、玉蟲色の髪の毛をなびかせる少女の表情は、いたずら好きの子供の様だった。
「……」
姉という言葉に対して、これほどまでに違和感を抱いたことは無かった。
彼女の背が低かったことももちろん原因ではあるのだろうけれど、何処か所作が子供っぽい。これを言語化することよりかは感じているという言葉で片付けてしまう方が適切だ。それほどまでに彼女への偏見は抜けない。
顔に、出ていた。
ほんのちょっと、それに気が付くのが遅れた。
「うーん、その眼は信用してないね。あーしが姉である事実は覆しようのない真実!なのに。ね、おかあさん?」
「ガルヴァ、この時間に返ってくるなんて珍しいねェ。今日は良いのかい」
「うん!今日はそれよりもヒナちゃんが気になってるんだ」
家族の会話を聞き、少しだけ目の奥が痛くなる。
忘れない、忘れることなんてできもしない、そんな思い出が追想する。
決して悟られるわけにはいかないと、その感情自体を切り離すかのように口を開く。
「あの…!」
続く言葉は特段考えてはいなかったが、案外すんなり言葉が出るもんだと、後々になってそう感じた。
「よろしく、お願いします。ウガルヴァントさん」
「……。…うん。よろしくねヒナちゃん。あーしのことはガルヴァって呼んで!」
その表情は優しい姉のような、そんな笑みを浮かべながら彼女の溌剌な声が鼓膜を震わせた。




