第六十三話 アストレアの娘
カナタ達一向はウルーバ草原を超え、山嶺へ向けて歩いているところだった。
先ほどまでいた草原とは全く異なる気象帯、振り下ろされる風には冷気という冷気を孕みながらも、無尽蔵に流れてくることは無い。岩や砂で出来た山肌をなぞるように足元を流れていた。
「寒っ」
思わず口に出た感想は、対策には繋がらない。寒いからと上着を腰に巻き、少しでも肌の露出を減らしてはいても、寒いモノは寒い。
「頑張って、あと少しだから」
見兼ねたのか、先頭を歩いていたカナタが後ろに振り向きながら励ます。
ありがたいが、労いだけでは寒さの緩和は出来ない。先ほどから、魔術を用いて体を温めようと考えてはいるが、うまく行かない。
「ここ、魔力が乱れてる」
眼を使って見てみると、空気中にあるはずの均一濃度の魔素は流れて行っている。
「山嶺からの風だね。それに特殊な魔術を使うことで、魔力を乱しているんだよ」
「村を隠すためですか」
「そ」
寒いという感情は頭を占領し、打開策に成り得ると考えていた魔術を意味をなさない。暖色の地面はそんなヒナを嘲笑うかのように砂を舞わせている。
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「あそこが、藍の山嶺」
山登りを始めて20分と少し、目的地である”藍の山嶺“と呼ばれる名もなき村だった。
「ナニ……アレ」
ヒナの眼には小さな町村は写っていなかった。
壁、というよりも、箱、いやそれよりも———
「カメ」
ヒナの後方から、久しぶりの声が聞こえる。マーリンの短く発せられた声はヒナの思考をクリアにする。
「そうです、アレは、カメ、じゃないですか」
村の端から端までを、半球のようなものが覆っている。魔力によって生成された魔術を示すかのようにヒナの眼は読む。ただし、それは正円では無かった。六角形や五角形、歪な形をした小さな壁を連ならせ、その壁を実現させている。
まさに異様であった。ハルジオンを覆っていた岩壁とも、ブラオル・ミュルクヴィズを囲っていた絶壁でもない。常人からしてみればただの空気であってもヒナにしか見えることの無い、異界の象徴だった。
「さっきいっただろ、あれが、ここら一帯の魔力をバグらせる魔術。古の時代に築き上げた魔術系統の云わば、秘奥。彼の虚王ですらあの魔術を解除することは出来ないらしい」
最早、カナタの説明は空を切っている。それほどまでに彼の魔術はヒナを驚愕させ、恐れ戦くモノとなっていた。
侵入、とも取れるような異界への一歩。それはどれほど重いのか、ヒナ以外は知る由もない。それを表すかのように、視えてからのヒナの足は遅くなる。各段に、目に見て分かるほどに。
しかし、それは僅かに進んだ後、解消される。
村の入口、木々で出来た小さな門のようなモノ、ここから入ってくださいと云わんばかりの穴の前に老夫婦が立っていたのだ。それに気が付いたカナタは手を振る。合わせるように夫婦もその手を挙げていた。
「久しいなぁ、カナタ。変わらずいやがって。兄として嬉しいな」
「……そう言う兄者もデカくなったな。前まではわたしの方が背丈も大きかったのに」
思ったよりも大きかった、その老人は短く切りそろえられた白髪をガシガシと搔きながらにこやかにカナタへと話しかける。
「マーリンも久しいねェ。最近……と言ってもここ数十年かい。随分と変化のないようだけど」
「ん」
白髪交じりの髪の毛をしている女性は僅かに曲がった腰を戻しながら、マーリンの方を見ている。
「ルステンの方も元気そうでよかったよ」
「これで元気に見えるのかい」
「そりゃそうでしょ、目がまだ死んでない。……なんなら、まだ断然、全盛期でしょ」
「……私もまだまだだねェ、察せられてしまうようじゃ、捕食者として微妙かね」
お互いに笑いながら、雑談を始める。途中、違和感を覚えるような単語言っていたような気がするが、ヒナの耳は届いていない。
「ルステン、とりあえず家に案内しておいてくれ。…カナタ、お前は付き合え。老いぼれのささやかな願いだ」
いたずらを思いついた子供のように笑いながら老人はカナタへと無理難題を投げつける。
「わたしの方が老いぼれだろ、コルネフォロス」
挑発ともとれる、コルネフォロスと呼ばれる老人へのカナタの発言。あまりにも安い挑発だが、彼に対しては適格だった。
「…………ふうぅ。一旦流すか、まぁ見た目の話さ。いいだろ、そちらは免許皆伝。こちらは現師範代だ。今の門下生にこれだけの能力が欲しいと見せるには充分だろう」
「……そりゃ、高望みだろ…!」
流れるように、自然と伸ばしていた左手にはただ一つの剣、リーチなんて関係ないかのように、伸びる刀身は鞘から出る勢いを殺すことなく、ひたすらに対象へといずる。
「ガッハッハ、あまいなぁ!」
不意打ちにも等しいその剣劇を、腰に携えていた鞘から剣を出すことで受け止める。それだけに留まらず、空いていたわき腹目掛けて蹴りを飛ばす。
それに反応したのは、カナタだけではなかった。
一瞬の遅れの後、ヒナの反応が追い付く。軌道上にはいないが、当たれば大けがで済むか分からないほどの攻撃、アレはもう、脚ではない、鈍器の一つだ。
「……!」
咄嗟の動作は想像以上の結果を生んだ。
後方への回避は数メートル、ただの人間の蹴りに対して行う危機反応にしては過剰にもほどがある。しかし、当の本人からしてみれば、それでも足りたとは思えない。
眼を向けると、足は止まっている。
カナタは足を上げ、彼の足技を受け止めたのだ。
「…、ほう。怠ってはいないのか」
「そりゃあ———」
「だが、足りないなぁ!」
途端、カナタは吹っ飛ぶ。
蹴った張本人は軽々しく両足で着地し、着けていたネクタイを緩めている。
ヒナは赤い砂埃をかき消すように、喉を震わせる。カナタさん、という単語が出る寸前、膜のようになっていた砂煙の中に、魔力反応を見る。
「《Blomstrende Is》!」
幾度となく見たカナタの魔術行使のシルシ、辺りは魔術が扱いずらいというのに、魔術錬成の速度は逸脱している。本来ならば、不可能な業。ヒナの眼を持って初めて理解できるほどの際どい条件設定。
彼女の行ったことは実のところ、単純なことだった。“変在剣カルンウェナン”を使ったのだ。この剣は魔術によって在り方を変える。単純に魔力を込めることで変わるのではない。カナタの固有魔術による強制的な変化を良しとするような性質である。
だからこそ、得られる結果は単調でありながら常軌を逸している。魔杖のように使われたカルンウェナンは水属性の魔術を即座に起因、発動を行った。
より正確には行わされた。カナタの手によって。
伸びる絶氷、地面数十センチメートルの高さを鋭い氷塊が、直線上のあらゆる動きを制止させる。魔術の範囲は狭くとも、威力は高い。それこそヒナの全力でやっと足元に到達できるか、と言ったほどだ。
一般人がこの魔術を受けてしまったのなら、絶命は必至だ。
ヒナはそう確信し、もはや、カナタの心配ではなく、あのコルネフォロスと呼ばれた老人の心配をしていた。
「はい、そこまで」
だが、それは徒労に終わった。
まっすぐに、氷の道筋を作り上げ、伸びていた絶氷は、たった一人の妨害で進行を止めた。
ルステンと呼ばれた腰を折った老人は其処にはおらず、佇むのは大きな羽を盾のように広げ、氷を受け止めていた女性しかいない。羽には氷の花が咲いたかのように、凍てつかせている。パキパキと今まさに行われている凍結、周辺からもどんどん温度を吸っていく。しかし、彼女はモノともしない。子供を包めるほどの面積をした羽がどうなろうとも、関係ないかのようにその場を動かない。
「あなた、やりすぎ。まだ、私もヒナちゃんも、マーリンだって居るって言うのにねェ」
そう言いながら、彼女は羽をしまう。不定形な肉を粘土細工のようにこね合わせ、まるで人の腕であるかのように作り替える。それと同時に、腕を襲っていた氷も消え去ってしまう。ルステンは人間の手を開閉しながら感触を確かめ、カナタの方へと向ける。
「カナタも、落ち着いて。彼、少し興奮しているだけなの。生きている間にまさか妹弟子に会えるなんて思ってもいなかったから」
「ふん」
「邪魔しないでよ、ルステン。一回凍らせないと気が済まない」
怒りに満ちた、カナタは珍しく感情を隠すことをしない。コルネフォロスの返事があいまいだったからなのか、そもそも反りが合わないのか、定かではないが、いつもの柔和な眼ではなく、得物を狩るかのような鋭い目つきをしていた。
「だからぁ、それは私達が離れてからにしてと言っているの。そもそも、水属性じゃなかったら、私、死んでいたわよ。頑丈な彼とは違って私は人間ですもの」
「嘘つけ」
悪態をつくことは止めない。けれど、一時戦闘を止めることはやぶさかではないのか、左手に握られていた剣を鞘へと戻す。
その動作が、休戦の音となった。
「それじゃあ、改めまして、ルステンよ。ルステン・ゴルゴス・ヴェールト、この村の村長のような立ち位置にいるさねェ。よろしく、ヒナちゃん。そしていらっしゃい、藍の山嶺へ」
先ほどの、カナタの魔術と受け止めた出で立ちとは異なり、柔和な姉のような感覚を覚えた。
「よろしくお願いします。ヒナ・リズウェルです」
右手を差し出されたのを返し、軽く握手をする。
「よろしくね。……そこの二人はやっていくんでしょ、村の外でやりなさいよ。あ、あとあくまで模擬戦にしなさねェ」
ルステンはそう言いながら、ヒナの手を取り村へとずかずか入っていく。躓くのを注意しながらされるがままに村へと入る。後ろを見ると、マーリンも黙ってついてきていた。
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「ネレウスにあったんだろう?」
カナタとコルネフォロスとは一時別れ、ルステンの家へと向かっている途中、ルステンは前を向いたままでヒナに話しかけた。これまでの静寂を無視するかのように唐突な質問に、喉が渇いた。爽やかに流れる乾燥した風は喉を通りながらも、緊張感を緩和させようとしてくる。
「ネレウス……ですか?」
ネレウスという名前は聞いたこともなかった。確か、水に纏わる魔術用語をして古来の魔術師に信仰されていたと、マーリンの家で読んだことがある。
今の水属性の魔術は水の妖精、ウィンディーネを模すことでその形を安定させている。つまり、古の時代にはそれが固定されていなかった。その一端がネレウスだが、それほどまでヒナの知識はない。
「……ああ、そうだねェ、エイクスニュルニルと言った方が分かるかな」
すると、出てきた言葉はあまりに以外なモノだった。ブラオル・ミュルクヴィズの統治者、未来視を魔術で扱えるらしい、頭の良い魔物の王だ。
「…エイクスニュルニルさんとなら、はい。会いました。ですが、何か関係が?」
「やっぱり、本名、云ってないのか、アイツは。慧眼のエイクスニュルニル、そもそもその名は第三者が付けた偽りの名なんだよねェ。本名はネレウス・スタッグ・アストレア。生まれながらに水属性の魔術が扱えるのにも関わらず、本人の好みじゃないとその才を捨てた変わり者さねェ」
ルステンは頭痛を抑えるように、頭を押さえ、解説してくれた。けれど、そこまで驚きでは無かった。なんとなく、思っていたのだ。慧眼のエイクスニュルニル、この名は本人が付けたものではないのでないかと。
「だから、未来視ができるのですか?」
だからこそ、質問は飛躍した。
魔術には代償を支払うことで才を得られるという“認知資源魔力変換論”の考えが主流である。その得られる才は自身であっても知るすべはなく、全てが後出しとなる欠陥な理論ではあるが、それが間違いであるという判例は長く続く魔術史において、一切の出現がない。
エイクスニュルニルは未来を視ることができると豪語していた。実際に、それに近しいほどの対策を張り巡らせ、あの一件を最小限の被害で抑えることができた。
「いぃや、あの未来視はでまかせだから、気にしなくていいさねェ。得られた才はそんな格安なモノじゃない。奴が得たのは…………あんま云わない方がいいねェ、コレは。
すまないけど、この話は無しだ、聞かなかったことにしてくれるかい?……私の父親はどうやら君には知られたくないらしい」
「……ちちおや」
頭がショートしているのを感じながらもおうむ返しのように言葉を繰り返す。それを見て、ルステンは少し悩んだ後、再び口を開いた
「……三度目だけど、自己紹介をしようか。その方が速そうだ。ルステン・ゴルゴス・ヴェールト、旧姓はヴェールトではなく、アストレア。ルステン・ゴルゴス・アストレア、慧眼のエイクスニュルニルと呼ばれる牡鹿の娘さねェ」
31話以前の物を加筆修正しました。一部ストーリーに置いて重要な点の変更などが行われたので、もしよろしければ一読していただけると幸いです。




