第六話 雲間無きこの世界で
2024.07.01 追記
加筆修正しました。
~太〇暦▲▲年 ■月◆日~
雲間を割き、陽光は徐々にその体積を広げていく。
上空にあった魔術陣は、役割を終え光を失う。煌々と自らの存在を示していた彼も魔素として空気中に霧散する。
人々は宙を見上げる。
「奇跡だ」「なぜ」「きれい」などと口々に声を上げる。太陽を生まれて初めて見る者、太陽を久々に見た者。差はそれぞれあるが、それでも是が奇麗であることは誰一人として否定しない。世界の果てまで広がっていた灰色の天球は消え失せ、蒼と白と赤の果てなき自由が帰ってくる。『誰の仕業か』なんて考える暇なんてない。今はこの状況を最大限に喜ぶだけだ。
町の外れにある一際目立つ高台の上に佇む者がいた。
涙を流し、空を視ていた者は震える唇を動かす。
「確かに、奇麗な晴天ですね」
誰かに質問されたわけでも、知識をひけらかされたわけでもない。自然と口から出ていたのだ。
止まらない涙は、きっと太陽が眩しいからだ。
そう信じないと私はきっとこれからを生きていけないだろう。それほどまでに現実は残酷だ。
今の自分の心情を知ってか知らずか、曇天の向こう側にあった巨大天体は自らの力を誇示するかのように、どんどんとその性質を高めていく。まるで、いきなり仕事を与えられ焦っているようにも見えた。
今日、数十年に及ぶ虚王ヴォ―ティゲルヌス・アンブロセウスの支配は終わりを迎えた。
~太陰暦六十年 三月一日~
白には程遠い、どちらかと言えば漆黒に近い灰色をした、流れの切れることのない雲が上空を揺蕩う。
太陽のまぶしさが失われている空は、人々に陰鬱とした感情を植え付けるのには十分すぎる産物だった。
「相変わらず、嫌な天気だなぁ」
一人愚痴る金髪の少女もその中の一人だ。
ローブに着いた細かい砂を手で叩きつつ空を視ていた。
ふと、視界に入った遠くに存在する頂上が気になった。
思考の船は停止を命じられ、あらぬ方向へと舵を切る。
(随分、遠くにあるんだな)
王都を出てから、数週間ほどたった気がする。細かな日付は数える習慣を持たないこともあって知りえないが、感覚的には長い時間だった。いくつかの街を跨いできたが、あの山を越えてからというもの、一つとしてそのような街を視ていない。
ローリエ山脈と呼ばれるあの山脈は、天まで届くほどの山々ではないが極寒の地を創り出し、この大陸を二つに割る。春の足音が微かに聞こえ始めている3月であろうと、容赦なく雪を降らし通ろうとする者を妨害する。それもあってか晩秋から暮春にかけては人々の文化を大きく分けている。
しかし、人々の文化を大きく分けることができても天を分けることは出来ない。何処まで行ってもついてきている灰色に少女は憤りすら覚える。
「嬢ちゃん、怪我はないかい?」
「ええ、大丈夫です。逃げ隠れてただけなので」
背中側から話しかけられたのでくるりと体を回転し、にこやかに返事をする。カナタのことを心配してくれた、ヒゲが立派なおじさんも優しい笑みを浮かべていた。
「そうか、それはよかった。…にしても、こんな変な時期に辺境の田舎への街道で賊に襲われるとは。運のない話だ」
周りには目立った建造物は無い。あるのは疎らに存在する木々や生い茂った草花だけだ。文字通り辺境であるこの街道は賊のテリトリーになってしまっているらしい。諸悪の根源である虚王がいたとて、賊のような悪人は絶えることは無い。逆に、虚王の統治に憤りを覚えた者達の一部が、賊のような活動を始めたせいで絶対的に賊は増えている。
「そうですね。もしかしたら今はどこもかしこも困窮していますから、どこで誰を襲おうがあまり変わりがないのかもしれませんね」
適当に返答した少女は馬車の方へと視線を移す。業者のおじさんにも気づかれたのか「ああ、荷物の確認をしてきていいよ。…何も残ってない可能性もあるけど」と、言われた。
「ありがとうございます」短くお礼の言葉を言い、馬車へと走る。
荷台には珍しく、簡素な屋根がある。何でも、荷物が濡れる方が損害が大きいらしい。今回はそれに助けられた。山越えの際に見舞われた降雪を完全に防ぎ、寒さを和らいでくれたのだ。
屋根に感謝の気持ちを抱きながら少女は馬車の荷台に入り込み、先ほどまで座っていたあたりへと歩を進める。
そこには少女が持つ手荷物とは別に、何かの紋様が書かれた袋が無造作に置かれていた。
《隠密の魔術》を刻まれたその袋は、魔術に精通していない限り見つけることはできない。賊の中にはいないことが分かっていたので置いていったのだ。
袋を開け、中身を確認する。
王都より持ってきた手紙、少女専用の魔杖、使えるかもと持ってきた魔術的薬品の数々。
「…よし、大丈夫そうだね」
中身の確認を粗方済ませて、荷台から降りる。
視界にはおらず、馬車の周りをまわる。
「おや、どうだった。荷物はあったかい?」
馬車の壊れた部分の確認をしていた彼は、荷物を案じてくれていた。
「こっちは手荷物が残っていたのでどうにかなりそうです。…馬車の方は、どうですか?」
「そうだな。ちょっと後輪が壊れかけている。このまま走るとなると壊れかねないな」
腰を曲げよく見てみると、後輪のハブとリムを繋ぐスパークの部分が何個か折れていた。
「では、徒歩で向かう感じになりそうですね」
「すまんがそうなりそうだ。代金に関しては全額後で返却しよう。荷物の件もある」
「いえ、そこまでしてもらわなくてもいいですよ。わたしはハルジオンに着ければそれでいいので」
食い下がると、おじさんは「たのむ。そうしないと気が済まないんだ」と言って軽く頭を下げた。
こうなってしまっては受け取る方が早い。
長年の経験則からそう考え、少女は快諾した。
「そういえば、嬢ちゃんはなんて名前なんだい?帳簿に書き記すことを忘れていてな」
金貨をいくら払っていたかを確認している業者のおじさんは、背に持っていた荷物をあさりながら話しかけてきた。
しかし「あぁ、ちょっと待った」と言って業者の人は話を区切り、こちらに向き直り姿勢を正す。
「まずはこちらから名乗るのが礼儀だな。私はアルター。アルター・リズウェルだ。よろしく頼むよ」
「わたしの名前はカナタです。よろしくお願いします。アルターさん」
王都から幾つもの業者を乗り継いできたカナタは、この大移動の中で初めて偽名を使わずに名前を出した。