第二十五話 眼前の美
カナタの後方、雨季から乾季にかけてできる自然の堤防の上、ヒナとマーリンは背中を見ていた。
カナタの体内の魔力が流れを急速に変化していく。全身に蓄えていたであろう魔力は、足から胴へ、胴から両手へと動く。
「ーーきれい」
思わず口から思考が漏れる。けれど、それほどまでにカナタの魔力操作には魅入ってしまう魅力があった。
隣にいるマーリンはヒナの発言には気が付いていたが、突っ込むことはしなかった。
体内にあった魔力は、杖を通り、魔術陣を描く。まるで生きているかのように自在に動く魔力の奔流は一種の芸術だった。細かい魔術陣には、ヒナにもわからない。いくら魔力を可視化することができても、魔術陣の効果までは読み取ることができないのだ。
魔術の勉強を怠っていたことに悔みながらも、魔術という未だ完全な解明が終わっていない技術に胸の高鳴りが止められない。
(生まれてこのかた、この眼をもってよかったと思ったことが無かった。…でも、今この魔術を見るためにこの眼はあったんじゃないか)
魔術の形成による特有の風が起きる。
規模が大きいほどに吹き荒れる風が強くなる。実際、ヒナの髪の毛もバサバサと乱れ撃っている。
眼を閉じることはしない。
この光景を、もったいないとすら思う。自分以外の人間にはこの光景の美しさがわからない。ヒナのこの独占欲のような優越感はマーリンにも負けず劣らずのモノだろう。
ふと、視界の先にホムンクルスの群れが見えてくる。
とても奇麗とは言い難い体躯をしている彼らは、ヒナにとってすでに恐怖の対象ではなかった。それもそうだ、目の前に広がるのは、これ以上の芸術を知らないほどに美しい魔術。ただ、人型を成しただけの術式なんてそこら辺の路傍の石と同義だ。
魔術陣の形成が終わったのか、水面に見える不定形の魔術陣が淡く、しかし力強く光りだす。
見惚れ続けるヒナは、その光をものともせずに魔術の完成を見ようとする。
この美しさは魔術になるとどうなるのか、福引を引く子供のような顔を浮かべながら光を見ていた。
凍らされた。
初めの感想はこうだった。
その思考は一瞬だったけれど、自分の身体を確認しないと落ち着かないほどにその思考は頭の中に根強く滞在していた。
かすかに、氷が見える。それ以上に周りには霧が充満している。息を吸うと少し息苦しい。
とりあえず自分の周りの霧だけは手で払いのけ、呼吸を整える。
「マーリンさん!これはいったいどういうことなんですか!?」
ヒナは少し咳が混じりながらもマーリンに問いかける。マーリンの顔は霧に覆われ、完全に見えることは無いが、一切慌てていないマーリンに少しばかりの恐怖を感じた。
「落ち着いて、ヒナ。周りをよく見て」
言われて、もう一度周りを見てみる。
「…え、ナニコレ。全部魔素ですか?」
ヒナの魔眼越しに見る風景は、霧の世界ではなく、魔素の世界だった。
基本的に、魔術の使用後には魔素が残る。術式の起動に用いた魔力が、魔術という結果にすべて還元されるのではなく、その一部を魔素として空気中に出て行ってしまう。この変換効率は、規模の大きい魔術ほど悪くなる。
実際、今回のカナタの魔術には、起動に必要な魔力の約2倍近い魔力が必要だった
「と、とりあえず、カナタさんを探さないと!」
「…大丈夫よ、カナタなら」
制止するマーリンを完全に無視してヒナは走り出す。ほんの数メートル前方すらも見えないこの状況の中ヒナは器用に、カナタの居た場所に足を進める。
しかし、進めば進むほど魔素は濃くなる。
ヒナの眼にとって魔素の充満はこの上なく相性が悪い。ただの霧なら、体内にある魔力を視ればいい話だが、今回はそうもいかない。何処を見ても魔素しか見えない。
それでも、自然堤防を滑り降り、川の真ん中を目指す。
ヒナの頭の中には、マーリンとの約束を遅刻してきたことや、いきなり魔術を使用したことへのカナタへの不信感は、すでに無かった。




