44 陰キャ聖女の不思議なちから
負傷が完治し、マルガレーテの献身により健康と凛々しい精彩を取り戻したエッケルトは、美しい妻を宮廷社交界に見せびらかすように舞踏会の真ん中で延々と華やかなダンスを踊りつづけた。
それは主役の務めであって、結婚初夜にこれを放棄したルディガーの愚行とのちのちの反省ぶりは、おそらく老年まで親友エッケルトによってからかいの種にされることだろう。
エッケルトとマルガレーテを祝福するために、皇太子ルディガーは皇太子妃フランシーヌを伴ってダンスフロアに出ていく。
二組の新婚のカップルが、優雅な調べにのって、くるくるとワルツを踊った。
ルディガーはしばらく無言でフランシーヌを見つめながら至極正確なリズムで彼女をリードした。フランシーヌはひたすらアンコントローラブルな鼓動に戸惑っていた。
フライアから戻ってきてからは陰謀の心配もなく安眠できるようになったし、まだ心臓が弱ってくるような年齢ではないと思うのだが。
曲調に合わせて密着する二人のあいだを、小さな小動物が駆け抜けた。
「う、うわ」
駆け抜けた小動物が戻ってきてルディガーの足元に縋りついたので、それが〈アレ〉だと認識したルディガーは飛び上がって後ずさる。フランシーヌはその子を床からひょいと抱き上げる。
「大丈夫なのよ、ルディガー。ネコちゃんちゃんなのよ。ネズミじゃないわ」
猫と言い張るのはフランシーヌだけな魔術動物ネコちゃんちゃん。
よりによってこれを舞踏会のど真ん中に放ったのは、
「絶対あいつだ……」
今のところメルテレースの姿はどこにもないが。
フランシーヌがネコちゃんちゃんを床に下ろすと、ネコちゃんちゃんは物分かりよく女官たちのほうへ歩いていって、貴婦人たちの手で猫可愛がりされていた。
ふたたび二人はワルツの手を取り合う。
ルディガーもそのうち魔術動物ネコちゃんちゃんの賢可愛さがわかるといいけど。
「私もルディガーに会って苦手なものいろいろ克服……というか、慣れてきた気がするのよ」
「苦手なもの? 君にそんなものあったのか」
「いっぱいあるのよ。たとえば、そう、きらきらしたもの。ルディガーとか」
「俺?」
「そう。眩しくて見つめていられないの。私は魔術オタクの陰キャだから」
ルディガーはワルツの振りにかこつけてフランシーヌの身体を抱き寄せ、彼女の瞳を覗きこんだ。
「今は?」
彼の真剣な青い瞳から目が離せない。
「……」
フランシーヌが言葉を失うと、彼の瞳がさらに近づいて……。
「ちょっと待ってください。フランシーヌ妃殿下。どうぞ僕とワルツを一曲、いや二曲、三曲」
「貴様は何の資格でここにいるんだ」
振り返ったルディガーの目の前には、どこぞの王族と見紛う風格の正装をキメた漆黒のメルテレース青年が立っていた。常人の眼にも見える肉体を持った姿で。
貴婦人方からひそひそと嬌声が上がる。あの美しい貴公子はどこのどなたなの?
えーと、と、メルテレースはすっとぼけるように首をかしげる。
「魔界の王子?」
そこでルディガー皇太子はなかなかの余裕を演じてみせる。
「3分な」
たった3分の余裕であったが。
メルテレース王子に皇太子妃フランシーヌとのダンスを譲り、踊りはじめた二人のそばで腕を組む。
「はい3分!」
どう考えても3分は経ってない。
馬鹿にしたようにルディガーを無視してフランシーヌの身体を離さないメルテレースであったが、曲の切れ目にフランシーヌの身体は無理やり割りこんだルディガーに奪い返された。
「悪いが、人妻なんだ」
見かねてエッケルトが、曲目を皆んなで踊れる群舞曲に変えた。
「なるほど、そういうやり方があるのね〜。これなら皆んな仲良く平和なのよ〜」
フランシーヌはルディガーとメルテレースに右手左手を差し出した。魔術のことなら詳しくて鋭いフランシーヌ姫だったが、その他のことには全然まだまだ純粋培養。でもこれ、いい加減わざと何もわからないふりで聖女フランシーヌに転がされてるんじゃなかろうかと疑いながらルディガーとメルテレースはその手を取る。
それも確かに、聖女のカリスマというべき力であろう。
「余も混ざっちゃおっかなー」などと老身の皇帝陛下までが加わって、夜も更けるまで太陽の沈まぬ大帝国ロスデルムの祝宴はつづいたのだった。
なので、ピエール進呈、禁断の初夜の書が紐解かれる日は、あとちょっとだけ先のことだ――。




