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42 二つのお願い

 元いた時間軸で最初に見たものは血溜まりに倒れたルディガーの姿だ。フランシーヌは後ろから彼女を守るように抱えるメルテレースの腕の中で叫びそうになるのをこらえ、さらに周囲の状況を見渡した。


 両親は互いに支え合って立ち上がるところだった。

 白煉は――。


 暴走の中心で、白煉の魔術師だったものがシュウシュウと白煙を上げて横たわっている。黒い炭のような物体……魔力が暴走して自分自身を焼き尽くしたのだ。燠火のような朱い光が炭化した身体のあちこちで瞬いている。実際あれは燠火だ。


 白煉のヨヌは死んだ。

 だが――。


 すっと燠火の朱色が一斉に消える。白煙もまた、嘘のように消えていく。


 少しずつ、炭化した物体に残る熱が冷えていく。そのまわりに黒い霞がまとわりつき、生き物のように触手を伸ばして、繭をつくる。繭の中に白煉のヨヌの死骸がすっぽりと包まれる。


 白煉は不死だ。


 必ずいつか再生する。


「メルテレース。お願いがあるのよ。二つあるんだけど……」

「何でしょう?」


 フランシーヌを抱いたまま従順に首を傾げる魔物の青年を振り向いて、言った。


「ルディガーを助けて。それと、白煉の不死の契約を無効にして」


 メルテレースは少しだけ眉を顰めたが、意外なことにさっと片手を上げてルディガーに向けて魔界語の回復呪文をジェスチャーした。


 ルディガーが呻く。

 一瞬で彼は瞼をひらき、辺りを窺うように首を持ち上げた。


「何があった……? フランシーヌ……っ?」


 片手間に致命傷を回復させてしまえるほどの魔力の持ち主なのだ、メルテレースは。長い間おとなしく自分に服従してきた青年の実力を見せつけられてフランシーヌはちょっと悔しくなった。


 だけど仲の悪いルディガーを助けるのはもっと嫌がってゴネるかと思ったのに。


「ありがとう、メルテレース。あなたなら白煉のほうも簡単にやっつけられると思うのよ」

「どういたしまして。おだててくださるのは天にも昇るほど嬉しいのですが、実は無理なんです。白煉の不死の契約は僕の父とのものなので、僕には無効化は不可能です。すみません……」

「そう……。そこを何とかならない? ほら、下克上って言うのかしら、父親を超える息子ってある種のロマンじゃない? いつかはメルテレースが魔界を継ぐんでしょう?」


 聖女の娘としての自分の体たらくは棚に上げてフランシーヌはメルテレースの説得を試みた。


「検討はしてみたのですが、僕にはメリットがないので」


 白煉の魔界の王との契約はフランシーヌを贄としてなされたものだった。息子メルテレースのおもちゃとしてフランシーヌの魂を魔王は受け取った。その契約を無効化すればメルテレースはフランシーヌから剥がれる。彼にとっては何のメリットもない。


「まあそうよね。そこまでは私も予想できたのよ。だからね、メルテレース、こういうのはどうかしらと思うのよ。私は自分の意思で……」

「フランシーヌ!」


 自身が流した血の海に滑りながら駆け寄ってきたルディガーが彼女とメルテレースのそばに立つ。


「フランシーヌ・フライア。君は何を言おうとして――」

「私は自分の意志で、メルテレースと一緒に魔界に行くのよ。そうしたら、対価としての私の存在は無意味になって、契約そのものが無効化されるはず。あるいは、メルテレースとの契約が新しく上書きされるはず」


 魔術は明快だ。材料を揃えれば、対価が得られる。

 私という材料、――贄で。


 白煉のヨヌの再生を阻止する。


 それが世界を救う唯一の道だ。


「そんなのは駄目だ。俺はぜったいに許さない……」

「これしかないのよ。だけど別にそんなに悪い選択でもないのよ。だって元に戻るだけだし……ロスデルムにくる前の私はメルテレースと薄暗い研究室で魔術研究に邁進してた。幸せだったその日々に戻るだけなのよ」


 なのに何故かルディガーの顔がまっすぐ見られない。

 心にいっぺんの曇りもなく、私はロスデルム宮殿の煌びやかな舞踏会の世界よりも魔術研究のほうが好きだと言えるのに。


「そうよね、メルテレース?」

「どうでしょう。僕は何となく、もうあの頃には戻れないような気がします」


 静謐な漆黒の瞳に切なげな光を宿してメルテレースが呟く。

 フランシーヌは怪訝に首をかしげる。


「どうしてそんなこと言うのよ?」

「……俺には、この魔物の言うこともわかる」

「ルディガーまで、何を言ってるのよ?」

「僕らは3人とも、たぶん魔術師には向いていません。中でも君がいちばん向いていません。フランシーヌ」

「どうしてなのよ……!」


 フランシーヌの下瞼をそっと親指で拭って、メルテレースは言った。

 その指先はきらきらした透明な涙のしずくによって濡れていた。


「これが理由です」


 フランシーヌは初めて自分が泣いているのだと知った。




 そのときだ。


 ――少しの間だけ、身体を貸してくれる?


 覚えのある声が、頭の中で響く。

 フランシーヌはとっさに頷いた。


「フラン……」


 掴まえようとするルディガーの手をすり抜けて、フランシーヌは黒い繭に包まれた白煉のほうへ歩いた。


「フランシーヌ」


 両親が目の前を通り過ぎる娘のその歩みを見守る。


――ヨヌ。


 フランシーヌの口を借りて、二重写しに現れた灰木の魔女の幻影が、繭に囁く。


――ヨヌ。一緒に帰りましょう。私たちの小さな家に。


 灰色の髪のエリーがヨヌの繭に手を伸ばす。

 繭から6本の灰木の剣が抜けて床に落ちてさらさらと毀れてちりになって流れた。


――あなたはもう苦しまなくていい。私は苦しみをあなたから取り除いてあげたはず。思い出して。


――思い出して。ヨヌ。私とあなたのおまじないを。


 繭の中から弱々しい手が現れた。青白い少年の手をエリーの手が確かに掴んで引っ張る。繭の靄を抜けて少年のヨヌがまろび出た。エリーの胸にヨヌは縋りつく。その胸に抱かれたヨヌは泣きじゃくった。かつてこの空間でエリーと再会したマリーのように。


 エリーに優しく頭を撫でられ、やっと顔を上げたとき、彼は最後にエリーと別れたときの姿になっていた。


 二人は永い永い時を埋め合わせるように見つめ合い、やがてフランシーヌの身体を通り過ぎて、消えた。


 天へと昇っていったのか、それとも――。


 罪を償う地の底へ堕ちたのか、……それはわからない。


 靄は霧散し、ヨヌの死骸は端からぼろぼろと崩れて、最後は灰木のちりと同じように消えた。


 終わった。


 呪いは終わった。


 ぐったりと疲れたフランシーヌは競うように走ってきた青年たちの腕の中に抱えられて泥のような深い眠りへと、すとん、と落ちていった。


 ――意識を手放す瞬間に、灰木の魔女の懐かしく優しいおまじないが心の近くで囁かれた気がした。

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