39 膠着のティータイム
「ルディガー皇太子、君に会うのは5年ぶりくらいだが、……フランツ皇太子にとてもよく似てきたね、彼のことが懐かしいよ」
お父様が瞳をほそめてルディガーに話しかけた。
油断なく腰のサーベルに手をかけているルディガーが、眼前の人物たちの真贋を無言でフランシーヌに問う。
袖の中には無論のこと灰木の針を忍ばせている。
「お母様、お父様。これはどういうことなの?」
楕円のテーブルを両親と囲んでいる人物からフランシーヌたちは目を離さなかった。
漆黒を白炎で染めた、あるいは白炎を漆黒で染めたまだらの髪。
熾火に似た朱色がきらめく黒い瞳――。
間違いなく白煉の魔術師その人である。
「ええ。別にわたくしたちは仲良くお茶を飲んでいるわけではないのよ。困ったことに、状況が膠着してしまったの」
「白煉から招待を受けてね。手荒なちょっかいだったのでカッとなって追撃してきてしまったが、浅慮だったかもしれないな。私も王子時代とは立場が違うというのに……」
「あら仕方がないわよ、ジャン。すぐ駆けつけてくれて嬉しかったわ。いつもときめいているけど久々に失神しそうなほど胸が高鳴ってしまった」
「君が狙われてほっとけるわけないじゃないか。君の心臓の音は天上の調べよりも私を幸せにしてくれるんだ。私の愛しいマリアンヌ」
「ジャン……」
「マリアンヌ」
隙あらばラヴラヴ夫婦の世界を作ろうとする両親にフランシーヌはいつものように白目を剥いた。
正真正銘本物のお母様とお父様だ。
「先王陛下にかけたのと同じ呪いをマリアンヌに放って寄越したのだ、こいつが。私の愛する大事なマリアンヌに!」
「あの程度の呪いは、まだまだ瞬殺で浄化できました。これもあなたに愛されて若々しくいられるおかげよ、ジャン」
「マリアンヌ……」
だーかーらー。
「膠着ってどういうことなのよ?」
「わたくしたちはいつでも白煉を倒すことは可能なの。一度倒した相手だもの。ジャンもわたくしもあの頃よりも若さは失ったかもしれないけれど、その分の熟練がある」
「だが、白煉はフランシーヌの魂を贄に魔界の王と取引して不死となった。つまり、今ここで私たちが倒しても必ずいつか近いうちに復活する。今そうなっているように」
「そのときわたくしたちはもう現役ではないかもしれない。フランシーヌ、あなた一人に聖女の責任が託されてしまうことになるのよ」
この空間は地上とは隔絶された異界であることにフランシーヌは気づいていた。魔界? それとも白煉の作った空間? いや、何となくフランシーヌは、この空間からもっと優しい親しみを感じていた。
とにかく、ここにいる限り、閉じこめられた人間の時間は止まり、優雅な茶会がいつまでもつづくようだった。ルディガーが魔界で経験したことと同じだ。
「白煉は白煉で、私たちを膠着状態によってここに閉じこめておくことで、地上を混乱させ、最終目的である世界戦争を呼び起こすことができると考えているのだろう。いくつか混乱の種もまいてあるのだろうが、どれだけ芽吹くかな……」
「少なくとも、わたくしとジャンの息子たちは両親がいなくなったくらいで国をおかしくするような駄目な子たちではないのよね」
両親たちの向かい側で白煉の魔術師は、不気味で挑戦的な微笑を湛えたまま黙していた。
相手は白煉の魔術師。油断はできなかった。
「私を倒せるという想定には根拠がない」
彼がそう言った瞬間、流星群のような氷の矢が降りそそぐ。
振るわれた聖剣が魔術の矢を打ち砕き、ジャンに庇われながら聖女マリアンヌの放った聖言は、二手、三手の魔術の矢の雨を浄化した。無効化された魔術はダイヤモンドダストのようにきらきらと舞い散りながら霧消していく。
聖剣の威力はフランシーヌたちを襲った矢にも及んでいた。
砕かれた魔術を目で追っていたフランシーヌは、後ろから彼女を守るようにルディガーに抱きすくめられて「きゃっ」と目を開く。
守ってくれるのはいいんだけど、そんなに強く抱いたら苦し……。目の端できらりと鋭い刃の光がきらめき、閃く。
「ル、ルディガー……?」
ハッとしたように両親がフランシーヌたちを振り向いた。
ドレスの胸元を這い上がってサーベルの剣先がフランシーヌの喉元に届く。
左腕で拘束したフランシーヌに、ルディガーが、右手で持つサーベルの切っ先を突き立てていた。喉を仰け反らせてフランシーヌは真上のルディガーの顔を仰いだ。
「ルディガー……これ何?」
「彼は操られているわ。浄化しなさい、フランシーヌ!」
叫んだ聖女マリアンヌに白煉の魔術師の攻撃が降り注ぎ、ジャン国王の聖剣がそれを薙ぎ払う。マリアンヌの援護を受けてジャンは白煉の魔術師の懐に斬り込んでいった。
サーベルを持つルディガーの手が小刻みに震えている。喉元にぴたりと突き立てられた刃はそれ以上動かない。彼の腕に抵抗の力がみなぎっていた。ルディガーの身体はそうして自分を操ろうとする魔術と戦っている。
フランシーヌが見つめたルディガーは、虚ろな顔で白煉の魔術師を見ていた。そしてフランシーヌが目だけ動かして伺い見た魔術師は、やはり悠然と昏く、微笑っている。
もしかして計画通り?
あのとき、結社の集会所でルディガーに負わせたかすり傷――。
フランシーヌが診てもスキャンできないくらい巧妙な魔術の種を、仕込んでいた……?
でも、待って。ルディガーを使ってフランシーヌを害そうとしたって、それはなかなか上手くいかないとわかっているはず。何故なら……、
「これだから人間は。フランシーヌを守るどころか害そうとする人間など不要です」
怒りに震えた声でメルテレースが漆黒の瞳をたぎらせた。
「メルテレース、だめ……ッ」
メルテレースが両手を使ってフランシーヌも知らない魔界の言葉を紡ぎ、漆黒の髪を魔力にそよがせる。
フランシーヌの額に生温い雨の雫が落ちた。
身じろいだ彼女の頬につづけざまそれは滴った。
鮮血だった。
「かは……ッ」
口元から真っ赤な血を溢れさせてルディガーがよろめき、膝から崩れ落ちていく。
「ルディガー!!」
どう、と床に倒れたルディガーにフランシーヌは慌てて縋りついた。
「ルディガー? ルディガー?!」
きっ、と顔を歪めてフランシーヌはメルテレースを見返る。
「メルテレース、これはやりすぎ! なんてことするのよ?!」
「わかりませんか? その者はフランシーヌを傷つけてばかりいます。僕はもう堪忍袋の緒が切れました」
「い、今そんな場合じゃないのよ。魔物のあなたにこの世界の危機を救う義理がないことはわかっているけど、せめて邪魔しないで協力してほしいのよ」
「僕はフランシーヌだけ守れればそれでいいです。フランシーヌのご両親に加勢は必要なさそうですし。彼に至っては、なぜ僕がその生命に気を遣ってやらなければならないのですか? だって僕の敵ですよ、敵。やっぱり思い出しても先日の馬車キス事件とか絶対許せないですし。だいたい、その程度の魔術師の罠に負けて操られるのはフランシーヌへの愛が足りないからです」
「そ、そんな無茶な精神論は……」
「ごふっ……ッ」
ルディガーが身体を折って咳き込んだ。
床にうつむく彼の唇からごぼごぼと血が溢れる。
どうしよう――。
皇太子ルディガーにもしものことがあったら、帝国は確実に混乱する。
帝国の混乱はすなわち、世界に波及する。
そうなれば、白煉の魔術師の希求する世界戦争が――。
「メルテレースのばかっ」
「あのままフランシーヌを殺させればよかったんですか?! そんなことは無理です……!」
だけど世界のためには、ルディガー皇太子の命のほうが重いのよ。
陰キャの私なんかより、光輝くルディガー皇太子にはたくさんの使命と、彼にしか出来ないことがあるのよ。
「ジャン!」
聖女マリアンヌの悲鳴にハッと目を向けると、白煉の魔術師の懐を刺し貫いたジャン国王の聖剣に異変が起きていた。
なめらかな鏡のように輝く鋼の刃にビシビシと罅が入り、とっさにジャンがマリアンヌを抱えて後方へと飛びすさった瞬間、魔術師から引き抜いた宝剣の刃が砕けた。
カラ、カラン、と音をたてて破片が床に弾んだ。
聖剣が、破壊された――。
「どうして……」
フランシーヌが呆然としていると、油断なくジャン国王はギザギザに残った刃の根元を構えて冷静に言う。
「魔王と取引したんだったな。その魂の在り方が、すでに人に許される範疇を逸脱しているというなら、魔力の流量も増えて当然か」
「ジャン。それでも、わたくしたちは二人よ。魔術師一人には負けない」
「ああ、わかっているよ。マリアンヌ。きっと負けはしない」
白煉の魔術師は、すっと伸ばした指先を空中に滑らせる。その軌跡に炎の円陣が描かれていく。三楕円の攻撃魔術――おそらく過去最大の攻撃がくる。
聖女マリアンヌが聖言の声を高めた。美しく清らかな旋律が空間に響きわたり、爽やかな花の香りが柔らかなつむじ風に乗って運ばれてくる。祈りの印を結ぶマリアンヌの両手に青白い清浄な光が生まれ、育っていく。
いずれ白と黒の術はぶつかる。
それで決着が着く。両者の全力をこめた術がぶつかれば、必ずどちらかが力負けして全ての術力をまともに食らう。
もしも、おかあさまが負けてしまったら……。
白煉が人ならぬ力を得ているというなら――。
「お願い、助けて、メル――」
言いかけたフランシーヌの手の下でルディガーの肩が動いた。肘を突き、上体を起こし、渾身の力を奮って顔を上げたルディガーが、青い瞳を輝かせて咆哮とともに投擲の構えを取る。その右手には灰木の小剣があった。
6本の針が風を切る。
――まっすぐに放たれた灰色の刃は、すべてが白蓮の魔術師の胸に刺さった。
胸元に突き立つ灰色の凶器に、白蓮が目を落とす。
彼は瞠目し、ルディガーたちのほうを呆然とした目で見た。
その瞬間、空間が白んだ。
破壊的な衝撃波が魔術師を中心にして広がり、彼の周囲にいる者たちを薙ぎ倒し、それでは収まらずに――暴発した。




