38 秘密の通路
手紙は肝心なところで途切れていた。
「そこがいちばん知りたかったのよ、お母様ー!!」
フランシーヌは地団駄を踏んで身悶える。
ルディガーにも手紙を読んでもらうと、彼は「エリーとマリーを知ってる」と言った。
魔界で辿り着いた灰木の大樹の根元にルディガーが人間の痕跡と見られるメモを発見していたことは、フライア王国に向かう馬車の中で聞いていた。
そのメモにあった名前がエリーとマリーだった、という。
「その双子の姉妹は魔界に迷いこみ、魔界で何らかの力を得て戻ってきた……ということになるな」
「灰木も、そのときに魔界から種か苗を持ち帰ったのかもしれないわ」
両親の消えた礼拝室へ向かいながら親密に話し合うフランシーヌとルディガーを見て、案内するフランシス王太子が湿った銀の睫毛をしばたたく。
「内弁慶のフランが家族以外と親しげに会話しているなんて、それが凛々しい旦那さんだなんて、何か萌える……。お兄ちゃんとしてはちょっと寂しいけど……でも萌える……」
瞳を潤ませてフランシーヌの新婚ぶりを優しく見つめた。
「ルディガーは言わずもがな、帝国の方々は皆とっても良い人たちなのよ。兄様」
「ありがたいことだよ〜〜〜。小国フライアの危機にも、危機を口実に軍隊で押しかけてくるどころか、身一つで皇太子殿下が助けに来てくださるんだから〜〜〜」
あまりのありがたさにフランシスは号泣した。
身一つというのは本当で、ルディガーはフランシーヌの迅速な帰郷を優先して最小限の人員でフライアにやってきた。
治りかけの傷を抱えるエッケルトは帝都に残って、ルディガー不在のあいだにあやしい動きが広がらないよう目を光らせている。目を光らせるというか、エッケルトの強みは彼の穏やかで誰にでも信頼される人柄が築いた情報網にある。
「ここだよ。フランですら初めて入るだろう……?」
聖女マリアンヌの特別な礼拝室は、白亜の大理石で作られた小さな部屋だった。
純粋に祈りのために作られた空間なのだ。
正面には、八角形の純白な石板に浮き彫りが施されたレリーフが掲げられている。
「大司教の話では、この礼拝室は母上のために新しく造られたものではないそうなんだ。もっと古くから、王城の大聖堂の中にこの部屋が設けられていた」
フランシス王太子の説明を受けて、ルディガーが口を開く。
「ならば、聖女マリーのために造られた祈りの部屋ということか?」
「正式な記録は残っていないんだけれど、大司教たちのあいだでは昔からそう伝えられているそうだ」
何しろ古い時代のことなので、記録や伝達にいろいろと曖昧な部分があるのは仕方がない。
「あと、そのレリーフの下の祭壇には父上の聖剣が置かれていたはずなのだけれど、二人の失踪とともに聖剣もなくなっている」
床や壁と同じ、白い大理石がぼこん、と生えているような長方体の祭壇には、装飾の覆いはなく、宝剣用のケースも設置されていない。
ジャン国王は聖剣をいつでも使えるように、そのままここに置いておいてあったということだ。
フランシーヌの両親にとって白煉の魔術師との戦いは、伝説や伝承の中の出来事ではなく、生々しい記憶だったのだろう。
「しかし父上も母上も、王太子の僕にすら白煉の魔術師に復活の可能性があるとは言ってなかった……」
「理屈で説明可能な懸念があったわけではないのだろう。だが、言い知れぬ予感というものは持っていたのかも知れないな」
兄と夫の会話を背中で聞きながら、フランシーヌは眉根を寄せてレリーフの絵柄を見つめていた。
「フランシーヌ?」
ルディガーが怪訝そうに声をかける。
フランシーヌはまっすぐ腕を伸ばしてレリーフの中心を指差す。
「あすこにね、ミツバチがいるの。気になるのよ」
「ミツバチ?」
フランシーヌよりも目線の高いルディガーがレリーフに近づいていく。
「ああ、これか。蜜蜂が飛んでる。この図像のタッチ、見たことがあるな。そうだ、エリーとマリーのメモにあった蜜蜂の絵だ。似ている」
「この部屋、マリーが造らせた部屋なのよ、たぶん」
ルディガーが不思議そうな顔で振り返った。
「でも、何のために?」
自分が裏切った姉との思い出の絵をわざわざここに残したのは、何故なのか?
ルディガーがさらにレリーフに近づいて端のほうで顔を寄せる。
レリーフの縁に手をかけて軽く押した。
ギイ……。
と軋む音をたててわずかにレリーフが押し込まれていき、隙間が空いた。
「回転扉……?!」
驚いてフランシーヌは駆け寄った。
隙間から覗くと、奥はぽっかりと暗い空間が通路になっているようだ。
「どこかに通じているようだ。国王夫妻はおそらく、ここから奥へと入っていったんだな」
「追いかけなくちゃ……」
フランシーヌがルディガーを見上げると、彼も同意して頷いた。
二人でフランシス王太子を振り返る。けして凡愚ではないけれど、小国の王子ゆえおっとりしたところのある兄は、隠し通路の発見にびっくり仰天している。
「お兄様。ここから先は私とルディガーに任せて」
「でも、僕だってお父様とお母様の息子だよ」
「お兄様は万が一のとき、この国の国王にならなきゃいけないんだから、そっちを優先してほしいのよ」
「それはルディガー皇太子だって同じじゃないか」
「俺はこういうことに耐性がある。何しろつい先日は魔界を彷徨ってきたばかりだしな」
すでにレリーフの隙間から暗闇の縁に足をかけて登りはじめているフランシーヌに手を貸しながら、ルディガーはフランシスに言った。
「妹君を必ず無傷で連れて帰る。国王と聖女王妃も」
フランシーヌの細い腰を両手で持ち上げて支え、自身もすぐ後から彼女につづいた。
二人が暗闇の奥に見えなくなってから、溢れる涙を袖で拭いつつ、えぐえぐとフランシスは嗚咽して――、
「良人と書いて夫と読む……。本当に良い人と結婚したんだなあフラン。さすが恋と運命に生きる聖女の娘だよ〜〜〜」
そんなフランシスの近くを、はああ……、と盛大な溜息をつきながらどんよりと落ち込んだ気配をまとう影がよぎって、レリーフの回転軸の軋む情けないような音を残し、闇の奥へと通り抜けていった。
×××
通路は暗くて寒くて黴の匂いにも閉口したが、道は平坦だった。
ルディガーが手を握って先導してくれるからフランシーヌは安心して歩ける。
突然パアアっと頭上で明かりが灯った。
見覚えのあるようなシャンデリアが出現している。
フランシーヌは後ろを振り返った。
「メルテレース?」
二人の後を静かについてきていたメルテレースが、右手と左手で通路の天井のあちこちを指差すと、シャンデリアの華がパ、パ、パ、パッ、と咲いていく。どうも見覚えがあると思ったら、ロスデルムの宮殿の大廊下のシャンデリアを魔力で瞬間移動させているらしい。――それ、泥棒では?
「ほら、明るくて見通しもいいですよね? 一人でも歩けますよね? 別に手をつなぐ必要ないのでは?!」
「メルテレースも一緒につなぐ?」
「……はい」
というわけで、ルディガーを先頭にフランシーヌ、しんがりにメルテレースというかたちで3人それぞれ手をつないで歩いた。そんな仲良しさんたち一行が(前と後ろはそんなに仲良しではないが)やがて見つけたのは、壁のないところにぽつんと立つ灰色の扉だった。
木材のような金属のような――どちらなのか判然としない素材でできた素朴なかたちの扉は、僅かな魔力を帯びており、優しく淡い灰色の燐光に包まれている。
嫌な気配はしない、とフランシーヌは思った。
「開けても大丈夫だと思うわ」
その言葉に従い、ルディガーが扉の取手を押し下げる。
一つ呼吸をしてから開いた扉の向こう――。
そこには三人の人物が、楕円のティーテーブルを囲んでいた。
「まあ、フランシーヌ。いらっしゃい。やはりあなたがここへ来たのね」
「おかえり、フラン」
にこにこと温かく微笑むお母様とお父様が、いつもと変わらぬ優しさと威厳と清らかな美しさのままに、優雅に飾られたお茶の席からフランシーヌたちを振り返った。




