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34 救出

「侍従ヴィクトール。無謀な賭けだ。妃殿下の御身を抱えて逃げ切れるとは思えない」


 緊迫した状況下でも落ち着いた声でエッケルトはヴィクトールを諭す。

 しかしヴィクトールは、意に介さないように首を振った。


「ロスデルムでフライアの聖女王妃の娘が皇帝陛下の側近に殺されれば、立派な戦争の火種でございます」


 口を開けば喉の血管がざっくり切られそうでフランシーヌは1ミリも身じろぐことができない。

 感情というよりも、今この瞬間にも刃で皮膚を、その内側の血管の薄い膜を破られそうという生理的な恐怖で全身の毛が逆立つ。

 瞳を見開いたまま、祈った。人生で初めて全霊をこめて祈った。死にたくない――。

 助けて。

 助けて誰か。


 いや、これもう助からないかもしれない。ああ、お母様、先立つ不幸をお許しください……! 許せなかったら助けてください! ああ、真面目に最強の聖女になるための修行を積んでおけばよかった……もしかして、お母様のお守りの聖水を実験に使わず大切にしていればよかった……?


 脳裏を一瞬でめぐった親不孝娘の短い一生の走馬灯の最後に、フランシーヌを見つめながら聖水のペンダントに口づけたルディガーの面影がよぎる。


「たす……ルディ、……ガ……」


 パリン。


 涼しく清らかな高い音が響き渡った。


「君のことは俺が絶対に守ると言った」


 その出現に誰もが目を疑う。不可視の高所から飛び降りたように膝をついて着地し、囚われのフランシーヌの前に現れたルディガー・ロスデリヒ・フォルクハルトが、裏切り者の動揺を見て間髪を容れず片腕を振り抜く。


 ヴィクトールの右眼に灰色の武器が突き立った。


「うっ……!」


 よろめいたヴィクトールの懐からフランシーヌはルディガーの手で救い出される。


「フランシーヌ……!」


 両脚に力が入らずフランシーヌはルディガーの胸にすがりつく。震えるその身体と頭を抱えるようにして、ルディガーはフランシーヌを固く抱きしめた。


「フランシーヌ……よかった……無事で……っ」


 その胸に支えられ、大きな手で髪を撫でられ、フランシーヌは安堵した。死なずにすんだし、ルディガーが助けにきてくれた。単純にそれだけが嬉しかった。細かいことはこの瞬間どうでもよかった。胸の辺りに温かい感情が広がった。


 その気持ちに気づいたとき、さっきまで自分がこの気持ちと正反対のもやもやした重苦しい気持ちを抱えていたことにも気づいた。それが晴れた今、さっきまでの重苦しさの意味がようやくわかった。


 さっきまでフランシーヌは、エッケルトたちが……マルガレーテが羨ましかったのだ。


 その重苦しく切なく辛い気持ちは――ミツバチ印の網で捕らえたメルテレースの想いと似ている。


 羨ましくて仕方がない気持ち。


 それは、嫉妬だ。


 フランシーヌは、ルディガーに助けにきてほしかったのだ。


「聖水のペンダントが割れて、君の呼ぶ声がきこえた。一歩踏み出すと足元に亀裂が生じたんだ。俺は魔界に閉じ込められていた」

「魔界に?」


 驚いて顔を上げたフランシーヌにルディガーが頷く。


「そこで魔界の灰木を見つけた。いつまで閉じ込められるものだか不明で、だが無為に過ごすのも性分に合わなかったので、灰木を削って武器になるものを作った」


 彼が開いた手のひらには、レイピアのように先の尖った灰色の針のような小剣が5本も並んでいた。


 もう一本は投擲によりヴィクトールの右眼を穿って……ヴィクトールは改めて近衛隊によって拘束されていた。その手が握っていたはずの白煉のナイフは、三楕円が描かれた柄の底から砂のように崩れてナイフのかたちを失い、さらさらと床にこぼれた。

 エッケルトが床に散った粒子を検分し、回収を命じる。彼はヴィクトールの右眼から抜いた灰木の短剣をルディガーに返しにきて、


「白煉のナイフを壊したのは、これの効果だね」


 と言った。


「灰木は、白煉を無効化するのか……」

「理論上の根拠はないわ」


 とフランシーヌは眉をひそめる。


「でも、どうやらそうみたいだわ」

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