33 ガラガラポン阻止
「あなたも魔術師として魔術の復活を求めているの?」
「いえいえ。私にとって魔術は手段でしかありません。白煉殿のお力は尊敬しているが、私は一協力者であり同調者。白煉殿もそれはご存知です」
どこか不遜なまでに気取ったヴィクトールの態度を見て、フランシーヌは眉をひそめる。
「方向性は違わないけど信奉者ではないと言いたいわけね。これまでの大きな事件を起こすためには、皇帝陛下の側近のあなたが小さくない役割を果たしたはず。白煉の魔術師にも自分は一目置かれているんだと、そう言いたいみたいね」
「左様でございます」
「フランツ皇太子の暗殺も手引きした?」
「左様でございます。下手人の凶器には願望成就の魔術が施されていましたが、成功に導いたのは当日の警備計画を漏らした私の功績かと」
許しがたい裏切り者だわ、とフランシーヌは腹が立ってカッカしてきた。裏切り者ヴィクトールはルディガーとエッケルトたちにとっての仇だ。
怒りをおへその辺りに溜めながらフランシーヌは術式の描かれた扉をチラッと見る。
正確な材料と知識さえ揃えれば誰にでも使えるのが魔術のいいところだ。フランシーヌは理路整然とした魔術理論の公平さをこよなく愛していた。聖女の血筋だの、信じる心だの、精神論を必要としないのが魔術の素晴らしさ……。でも今、フランシーヌは扉の術式を無効にできる道具と手足の自由を持っていない。チョークで〈魔術破り〉の術式を上書きするなり、バケツの水をかけるなり、ハンマーでぶっ叩くなりして、あの術式を一刻も早く破壊しなければいけないのに。
フランシーヌがその身に持っているのは――。
「なぜ私が皇帝陛下をお裏切り申し上げたか、お聞きになりたいでしょうな。なに、皇帝陛下には良くしていただきました。何の恨みもございませんよ。ただ、私はいつしか自分の限界に絶望してしまいましてね。これ以上どんなに生きても、私の人生、どなたかにお仕えするためのものでしかありません。宮廷でどんなに権力を持とうとも、所詮は臣下の身。私の命の価値は、妃殿下が将来お産みになるお子様にも及びません」
「そんなことはないでしょ……」
命の価値に違いなんてある?
「厳然としてございます。帝国皇室は至高の存在、それは誰よりも私が一番に存じ上げ、お信じ申し上げておりますから。だから私は革命家が嫌いなのです。皇室を引き摺り下ろして平民の世を作るなどとんでもないことです。そんなものはただの復讐ですな。私の目的は、創世です」
「そ、創世……?」
「一から世界をつくりなおすのですよ」
「そんなことどうやって……」
「戦争です」
フランシーヌとマルガレーテはその一言に息を呑んだ。
「一国対一国なんていうチャチなものではなく、大陸の隅から隅まで入り乱れて総力戦に突入する大戦争。それこそが、私と白煉殿の共通目的なのですよ」
「ふざけんじゃないのよ!」
バキ、バキバキっ――。
突如としてヴィクトールの背にする扉に盛大な亀裂が走った。
「大人しく聞いてりゃアホアホしい妄言を垂れ流してこのエセダンディがッ。やたらめったら戦争なんか起こしたら、どれだけの人が苦しむと思ってるのよ! クソ中年の自己満ヤロウ! 寝言は寝て言えやーっ!!」
バキバキバキバキ――グシャアッ。
扉はフランシーヌの破壊的なボキャブラリーが響き渡るたびバキバキに割れていき、眩しい光に包まれながら砕け散った。
「なっ」
「はあはあ……あぁ……やった……ぁ」
「妃殿下……っ」
ふうふうはあはあと、フランシーヌは肩で息してマルガレーテの膝に倒れこんだ。魔術は才能がなくても正しい知識と材料があれば使える。フランシーヌには知識はあるが材料がなかった。だがフランシーヌには聖女から継いだ血筋の力があった。頭に浮かべた〈魔術破り〉の術式を祈りの力で扉に叩きこむために、(フランシーヌは祈りが苦手なので)怒りのパワーを放ってみた。
「だから聖女の力は嫌なのよ。これじゃ魔術書の緻密な論理の意味がなくなる。せっかく研究してきた努力が無意味になるじゃないのよ」
ぶつぶつと愚痴るフランシーヌの呟きをかき消すように、破壊された扉の外から大勢の足音が近づいてくる。
「ここだ。内側から幻惑の術が破られた。妃殿下を救出せよ!」
号令とともに飛びこんできたのは――。
「エッ……」
「エッケルト!」
フランシーヌが驚いて口を開くよりも早く、マルガレーテがその名を呼んだ。
「マルガレーテ……」
雪崩れ込んだ近衛兵がヴィクトールを捕縛する間に、マルガレーテに駆け寄ってエッケルトは膝をつき、彼女を抱きしめる。
マルガレーテの膝の上で二人の抱擁を仰ぎ見ていたフランシーヌは、
――あっ、はい。やっぱりねー。はい。はい。そうなのね。
という気持ちになった。はっしと言葉もなく抱擁しあったあと、身体を少し離して二人はやはり無言で見つめあっているので、納得を深めてフランシーヌは一人頷いた。うんうん。
両者、同時にハッと二人の世界から我に返ってフランシーヌの視線に気づく。
急に磁力が反発したようにマルガレーテから離れてエッケルトはわざとらしい空咳の咳払いをした。
まばたくフランシーヌの無言の問いから目を逸らして、言った。
「見なかったことにしてください」
いやいやいや。無理無理。ばっちり真下から見てしまったのよ。
「われわれは別に何でもありませんので。ただの幼馴染みです」
往生際が悪い。
「そんなことより、お怪我などありませんか? 妃殿下に恐ろしい思いをさせてしまいました。申し訳ありません。ルディの留守中の責任は私にあります」
「私が一人で出かけたから悪いのよ」
「それでも、です。帝国の危機的状況にあって、怪我など負って呑気に長々と療養していたこの身体が悪い」
「そんな無茶な〜。フォルク公爵までルディガーみたいなこと言わなくても」
「妃殿下もなかなかルディガーのことを理解されてきたようですね」
「……」
にこにことした微笑みとともに言われてしまっては、今度はフランシーヌが目をそらす番だ。
「で、でもよくここがわかったわね」
「妃殿下の置き手紙を読み、少しおかしいなと思いました。フライア王室と妃殿下の私信の扱いは、ヴィクトールの管轄ではないはずなので」
「言われてみればそうね。ロスデルムではそういうこともあるのかしらとつい思ってしまったけど……」
「そこに付けこんだのでしょう。念のため宮殿に妃殿下をお迎えに上がろうとしていた矢先、コンラディン伯爵家からマルガレーテが宮殿に向かったまま家に帰らないがもしや妃殿下の元に出仕していないかと問い合わせる使者が来たのです」
それでエッケルトは着の身着のまま公爵邸を飛び出してきたんだわ、とフランシーヌは察した。
羽織った外套は宮中で通用する正式なものだが、乱れた襟元から普段着のシャツが覗く。礼儀正しく品行方正なエッケルトには珍しいことだ。
「わかるわよ。マルガレーテにはあなたと同じように真面目で義理堅いとこがあるから、何らかの偶然で私の窮地に巻きこまれたんじゃないかって、ピンと来たんでしょう?」
フランシーヌがワケ知り顔でそう言うと、エッケルトとマルガレーテがやや困惑したように顔を見合わせた。
エッケルトはふたたび咳払いをして、
「ルディガーは帝都にはもう着いているはずですが、恐らく残務処理中でまだ情報が届いていないと思われます。宮殿を捜索中に報せは飛ばしてあるのですが……」
「今って何時なの?」
「そろそろ夜中の四時半になります」
「そう……」
ルディガーは来ないのだ。マルガレーテの危機を察してエッケルトが飛んできたようには。
皇太子には皇太子の大事な任務があるから、もちろん仕方ないのよ。と、フランシーヌは素早く割り切る。
「ヴィクトールはぜんぶ白状したわ。フランツ皇太子暗殺を手引きしたことも」
エッケルトは鋭く頷いて、捕縛された犯人を振り返る。
その瞬間、彼の横顔に警戒の色が走る。
「油断するな。その者は魔術を――」
ヴィクトールを取り囲んでいた近衛隊の一群が、どうっと放射状に吹き飛んだ。
壁の取り払われた中心で奇術師のように手錠の外れた両腕を掲げてみせるヴィクトールの右手には、柄の底に〈願望成就〉の三楕円を刻んだナイフがあった。足元に落ちていた捕縛縄が蛇のようにするすると床を這い、シュッっと空気を裂く音とともにフランシーヌをめがけた。
「きゃあっ」
手首に巻きついた縄がヴィクトールの元にフランシーヌの身体を(鞭使いが鞭で遠くのものを取るように)持っていった。
エッケルトとマルガレーテが妃殿下を追って飛び出そうとするより先、ヴィクトールが羽交い締めに囚えたフランシーヌの喉元で、艶かしいほど磨き上げられた銀色の刃がぐいぐい食いこみながら妖しく光っていた。




