32 犯人はこいつです
うにゃあ、だか、ふにゃあ、だか、だらしのない呻き声を漏らしながらフランシーヌは意識をうっすら取り戻した。瞼が重い。身体が痛い。ここはどこ。どこかの硬い床に横たわる身体をもじもじとよじらせながら懸命に目を開ける……。
初めにぼんやりと見えてきたのは、心配そうに自分を覗き込む見慣れた女官の顔だった。
「マルガレー……テ……」
「妃殿下」
はっと覚醒してフランシーヌは息を吸う。
「マルガレーテ?!」
マルガレーテが何故。
とっさに距離を取ろうとしてフランシーヌはじたばたした。思うように身体が動かないのは、両腕を後ろ手にきつく縛られているからだ。
「妃殿下、ご無事でよかった……」
栗色の眉を寄せて囁くマルガレーテの様子に、フランシーヌは一度冷静になった。
じろじろと目の前の彼女を観察してみると、マルガレーテは膝を倒して起き上がってはいるものの、やはりフランシーヌと同じように両腕を後ろに取られ、荒縄で身体を巻かれているのだった。
ということは……。
「その女官、フランシーヌ妃殿下をここにお連れする私の跡をこそこそと追ってきましたのでね。ついでに捕まえさせていただいた」
やや離れた場所から届く、聞き覚えのあるダンディな声。
「ヴィクトールなの?」
果たしてフランシーヌの視界に、濃紫のお仕着せに身を包んだ侍従ヴィクトールが姿を現す。
慇懃に一礼をして、ヴィクトールは薄暗い小さな個室の中で角灯を掲げた。
「左様でございます。皇太子妃殿下」
「あなたが地下に術式を施して宮殿を爆発させたの? いったいどうして……!」
黒幕の魔術師に操られた内通者――。
皇帝陛下の側近が、皇帝陛下の暗殺を企んでいたというの?!
「左様でございます。いささか計算違いの突発的事故などもありましたが。しかし却って貴女様を爆発現場へおびき寄せて釣り上げることができたのですから、予期せぬ爆発炎上も怪我の功名といったところですな」
あっさりと相手が認めたものだからフランシーヌは逆にほぞを噛まされる気持ちになった。
だって、言われてみればヴィクトールは怪しむべき人物だった。宮殿の地下に「魔女が出る」などという噂を他の誰一人知らず、その「噂」をフランシーヌらの耳に入れたのはヴィクトールだけだったのだ。
「女」という偽情報の誘導に惑わされてフランシーヌはうっかりマルガレーテまで疑ってしまった。これはもう、死ぬほど反省しなければならない。
でもこの状況……もしかして私このまま、反省する前に殺されるのかしら?
「今しばらく麻酔が効いていらっしゃれば、ほどなく到着される白煉殿の魔術で妃殿下には永遠の安らかな眠りへと移行していただけたはずなのでございますが」
ほらね〜、やっぱりそうなのよ!
今度こそ予想が当たって嬉しいやら悲しいやら忙しなく目を白黒させたフランシーヌの前に、さっと動いたマルガレーテの背中が影を落とす。
「妃殿下に指一本触れさせはしません!」
両腕こそ縛られていたが、身体全体で皇太子妃を庇おうとするマルガレーテのとっさの動きと凛とした声に、フランシーヌは胸を衝かれた。
その姿とよく似た献身を、つい最近どこかで見たような……。
「ま、マルガレーテ、そんなことしてくれなくてもいいのよ……」
「いいえ。妃殿下はわたくしが命に代えましてもお守りいたします」
「にょ、女官の仕事ではないのよ、それは」
「ここで妃殿下をお守りできるのはわたくし一人でございます。女官にだって忠誠心はございます」
フォルク公爵が皇太子に持っているのと同じくらいの忠誠心は、とマルガレーテは言いたいのかもしれないとフランシーヌは思った。
マルガレーテはもしかしたらフォルク公爵家とゆかりの深い人間なのだろうか。アグネス妃が女官に推薦したくらいだし。
年齢はエッケルトの一つ下くらいだ。もしかして二人は知り合い……? エッケルトの寝室の前で心配そうに思い詰めた顔をしてうろうろしていたのは、もしかして……?
「でも、もうすぐ結婚するのよね。だったらなおさら身体は大事にしないと……」
二十三、四歳くらいだと、伯爵令嬢としては遅い結婚よね。そこにも何か理由があったのかしら……。
そんなことを考えている場合ではないのだが、フランシーヌの下世話な想像は膨らむばかりだ。
「そのお話なのですが、先ほど皇帝陛下に女官出仕の暇乞いをいただきに上がりましたら、何故かご許可をいただけませんでした。ワグネル伯爵との婚約そのものを認められないと、皇帝陛下が仰いました」
「ええっ。そんなことって、アリなの?」
「わたくしも何が何やら混乱しながら御前を退出いたしました。乱れた心のままぼんやりと庭を歩いていましたら、通い慣れた宮殿西翼へと足が向いていたのでございます。そこで……申し訳ございません、わたくし、妃殿下のお姿を目にして、お声をかけることも憚られ……お仕事を盗み見るかたちになってしまいました」
「ま、魔術の実践を見られてしまったのね。で、そしたら……」
「はい。このヴィクトールが妃殿下に近づいていきました。でも、最初は何か皇帝陛下のご用事を伝えにきたのかと思って……」
そりゃ、まさか皇帝陛下の腹心の侍従が皇太子妃の横っ腹に注射器をブッ刺すとは思うまい。
「衛兵を呼びに行こうとしましたが、先にヴィクトールに見つかってしまいました。申し訳ありません……」
「いいのよ。私がヴィクトールに騙されてノコノコやってきたのが間抜けなんだから。油断した〜」
そうだ、これ以上油断してはいけない。
フランシーヌはえいやっと身体を起こし、足首を縛られた両脚とお尻をずりずりと動かしてマルガレーテの前に躍り出る。
「妃殿下っ」
「下がりなさい、マルガレーテ。誰かに氷の矢が刺さるところを二度と見たくないのよ。私は聖女の娘だから、たぶん防御くらいは何とかなるのよ。ぜんぜん修行してないから一か八かだけど」
祈りとか浄化とかは幼い頃から習わされたが(それも修行をサボりがちだったが)、白煉の魔術師を倒したフライアは平和な国になったので、攻撃だとか防御とか、そういう物騒な力の使い方を両親はフランシーヌに伝えなかった。だから自分で考えるしかない。
メルテレースは呼んでも来なさそうだし。
もう一人、面影の浮かんだ人は――。
フランシーヌは急いで首をふった。誰も巻き添えにできない。これ以上は誰も、エッケルトみたいに傷つけたくない。ロスデルムで魔術を知り抜いているのはフランシーヌだけだ。魔術師と戦った聖女の娘もフランシーヌだけだ。
ここは自分でどうにかしよう。
「で、ヴィクトール。あなたはいったい何が目的でこんなことを……? 灰木の楽器の音色が聴きたくて、とかだったら怒るわよ」
それを聞いてヴィクトールは、ふふ、とダンディに笑った。
彼が背にする小部屋の出入口の扉には、白いチョークで三楕円を用いた術式が描かれている。
目が慣れたフランシーヌはその術式を読み解いていた。それは〈通路〉の魔術だ。つまり魔術でつなげた通路を通って、その扉からもうすぐ〈白煉の魔術師〉がやってくる――。
「楽器職人のロマンにも共感しないではありませんが、私の夢はもっと包括的に、ガラガラポンですな」
「ガラガラポン?」
「左様でございます。左翼分子の夢想する革命よりももっと根本的なガラガラポンによって世界をひっくり返したいと構想しています」
「世界をひっくり返す……?」
「はい。道化を王様に。会計士を物乞いに。踊り子を銀行家に。王様は煙突掃除夫に。畑は火の海になり、国境は書き換えられ、船は大陸に乗り上げる。聖父教会に取って代わるのは、母なる魔女の呪術大系なのでしょうかね」




