29 陰キャ姫キレる
フランシーヌはフォルク公爵邸の遊戯室の扉をノックした。
重厚な樫の扉の向こうから、くぐもったルディガーの返事が聞こえた気がした。
照明が絞られた薄暗い遊戯室でルディガーは一人、撞球もカード遊びもせずに(一人ではどうせできないが)、夜闇に塗り潰された窓の下のアルコーブソファで酒を飲んでいた。
部屋に入ってきたフランシーヌを見て彼は急いで立ち上がる。
「フランシーヌ・フライア。まだ寝ていなかったのか」
「もやもやして寝る気にならなかったのよ、まだ」
すたすたとフランシーヌは窓辺のルディガーに近づき、背の高い彼を身上げた。
「陰キャだって怒るときは怒るのよ。せっかく物言う口が付いてるんだから、言いたいことは言わせてもらうのよ。ルディガー。魔術師に効く武器を探したいなら、まず真っ先に、研究者の私に相談してほしかった! それが筋なんじゃないかと思うのよ!」
両手をこぶしに握ってキレ散らかしたフランシーヌの前で、ルディガーが瞠目する。
「それが最も合理的でもあったはずよね?! 魔術と魔物の知識に関しては、私は誰にも負けない自信があるし、あなたもそれを信じてくれたんじゃなかったの?!」
「ごめん……」
「ごめんで済んだら呪いはいらないのよ。何でこんなにもやもやするのかよくわからなかったけど、そうよ私はプライドを傷付けられたのよ! 聖女の娘としてもキラキラ王女としても大失格だけど魔術研究者としては一丁前だと思って生きてきた陰キャの私のなけなしのプライドが!」
「フランシーヌ……?」
「あなただけは認めてくれたと思ったのに。私の言葉を聞いてくれたと思ったのに! 聖女の娘のオーラと外見じゃなく、私の中身を知ってくれたと思ったのに!」
激昂して心と唇は震えていたがフランシーヌは泣かなかった。
この部屋の薄暗い照明はフランシーヌの瞳に優しかった。
英雄と聖女の娘にして、生まれつき魔物に取り憑かれるという数奇な人生を与えられたフランシーヌは、そんじょそこらのか弱いプリンセスとは違う。本人はそれを陰キャというフレーズに変えて自認してきたが、そう思っているのはもしかしたら本人だけかもしれない。
「フランシーヌ……」
呆然と立つルディガーの声が掠れる。
「君は確かに他を圧するほど美しいが、それだけじゃない……俺が君から目が離せないのは、そういうことじゃなくて……」
けれどその先の言葉が見つからないようにルディガーは立ち尽くす。
けして容姿に惹かれたわけじゃないのは本当だ。少なくとも、初めはそうだった。でも、今では目に映るフランシーヌの頭から爪先まですべてが、彼を魅了してやまない。だから今更何を言っても嘘になりそうだった。
唇ではなく知識を求めて欲しかったというフランシーヌの糾弾は的を射ていた。返す言葉がない。
父が亡くなってから、ルディガーの中身は何も変わっていないのに、皇太子という地位に上がっただけで周囲の態度が大きく変わった。獣じみた権力欲で群がる人々のいやらしさはルディガーもよく知っている。
フランシーヌからは自分があんなふうに見えているのだろう。
彼女の外側に欲望をたぎらせる、理性のない獣のように――。
「すまない」
否定できなかった。
今この瞬間すら、彼を罵倒するフランシーヌの唇からルディガーは目を離せない。
一方。
苦しげな彼の視線を浴びてフランシーヌも、またもや高鳴る動悸に苛まれはじめていた。
見つめられる唇がほてったように痺れながら熱くなってくる。
なので無意識にフランシーヌは聖女マリアンヌの聖水の入ったガラスのペンダントを袖から出して唇に当てた。
ガラスがひんやりと冷たくて気持ちが落ち着く。
「本当はこれを届けにきたのよ。アグネス妃からお預かりしたの」
「母上が……?」
フランシーヌは一歩踏み出してルディガーに頭を下げさせ、ペンダントを彼の首にかける。
胸に垂れた雫型のガラスを手に取りながらルディガーは、それがフランシーヌの許しかどうかを見極めるように彼女の瞳を見つめつづけた。
「何かの役には立つと思うわ。少なくとも、銃や剣よりはね」
フランシーヌ・フライアの瞳に灯るプライドの炎が、『魔術師の前でおまえは役立たずだ。私に従う魔物のメルテレースよりも』とルディガーに告げているように見えた。
それでも。
ルディガーはフランシーヌをじっと見つめたまま、彼女の唇が触れたガラスの同じ箇所に口づける。挑発するつもりも、服従するつもりもなかった。ただそうしたいから、した。
「――」
どうしようもなく可憐な唇を彼女はぎゅっと引き結ぶ。
話は以上、というふうに頷き、フランシーヌは彼に背中を向けると、遊戯室をすたすたと去っていった。




