27 嫁姑問題?
宮殿と言っても地下は下級使用人の領分だから女官たちが噂を知らなくてもおかしくはないのか……。
噂を持ちこんだフランシーヌのほうが逆に彼女らに興味津々で詰め寄られてしまい、困ったことになった。
ちょうどそのとき、アグネス妃がこちらにいらっしゃるという先触れが伝えられ、女官たちの空気が準備のために一変した。
「わ、私はどこに立って何をすれば……」
「妃殿下はいつも通りで申しぶんございませんわ!」
幻想まみれの太鼓判がのしかかる重圧に耐えかねながら、フランシーヌは姑のやってくるのを待った。
向こうから挨拶に来られてしまった時点で嫁としては大きい失点な気がするが、あとの祭りである。
やがて、しずしずと入ってきた喪服の貴婦人を迎えて膝を折り、頭を下げてフランシーヌはだらだらと緊張の冷や汗を流す。
ルディガー皇太子との初対面のときより緊張しているのは何故かというと、昔の魔術師が小遣い稼ぎで書いたような初心者用の本(うさんくさい見世物小屋で売っているような藁半紙の小冊子だが)にはよく、嫁イビリする姑を懲らしめるまじないや、生意気な嫁を家から追い出すまじないとかが紹介されているからだ。
需要があるということは、世の中にはよほど嫁姑問題が多発しているということで……。
「ああ! あなたが聖女マリアンヌさまの――!」
感動に震えるような声が聞こえて、フランシーヌの前に黒い影が落ちた。
目の前に膝を落として両手を組み、フランシーヌを拝むように仰いでいるのは、喪のベールの奥に気高く美しい顔を透かした貴婦人――アグネス妃である。凛とした青い瞳がルディガーそっくりなので、間違えようがなかった。
「あ、アグネス妃殿下、あの、どうかお立ちになってください、勿体ないですのよ……!」
慌ててそう言ってもアグネス妃が涙を流さんばかりフランシーヌに縋りついて動かないので、仕方がなくフランシーヌも膝を落とす。
と、両手を取り合って感動の再会みたいな格好になった。
何なのだこれは。
「ルディガーが生まれるとき、わたくしは壮絶なつわりに苦しみましたの。そんなとき、フライアの聖女マリアンヌさまがお見舞いの聖水を贈ってくださったのです。藁にもすがる思いでわたくし、寝台の四隅に聖水をふりかけましたのね」
だんだん話が読めてきてフランシーヌは〈ああ、あれか……〉と思った。
「そしたら何とびっくり、吐き気と食欲不振がさっぱり治ってしまったじゃありませんか」
かの有名な、フライアの聖女の〈聖水外交〉。
フランシーヌの母、聖女王妃マリアンヌが祈り清めた特別な泉の水には治癒効果があると言われている。幸運を呼ぶお守りにしている者もいるという。
それなら国中の弱っている人にせっせと配ればいいではないかとフランシーヌは思うのだが、泉を管理する聖父教会は聖女の価値を安売りしたくないがために、厳しい条件に当てはまる巡礼者と、国外の王室や有力者にのみ聖水の奇跡にあずかる権利を与えている。
特に外交において、フライアの聖女の聖水は珍しがられてとても喜ばれる贈り物となっている。時には聖女王妃自身が特別な思いやりと祈りをこめて私的にお見舞いの聖水を贈ることもあった。
「いつまでも忘れることのできない御恩ですわ。フランシーヌ姫、どうかわたくしをロスデルムにおける母と思ってくださいませね。ルディガーの縁談を聞いたときから、あの御恩を必ずお返ししなくてはと思っておりましたのよ」
握りしめたフランシーヌの両手を力強く振ったあと、目尻を濡らす涙を恥ずかしそうに拭う。
アグネス妃、むちゃくちゃ良い人っぽい。
まあ、温和で優しいエッケルトの血筋の方だから、納得ではあるけれど。
×××
一方その頃、ルディガーはアグネス妃の見舞いを受けたあとのエッケルトを訪ねて、何か変だな、と感じていた。
いつも喜怒哀楽の幅が極小で、名門公爵の嫡男に生まれながら身分の上下を問わず他人から気遣われるより他人を気遣うほうが多い人格者としてずっと生きているエッケルトが、今日は妙に、心ここに在らずのぼんやりした様子を見せていた。
「母上は、何か話をしにいらしたのか?」
「いや? お見舞いに来られただけだよ。何も特別な話はなかった」
特別な話はなかった、などとわざわざ言ってしまう迂闊さもエッケルトらしくない感じがする。
そう言えば、最近フランシーヌのところで見るマルガレーテも、物憂げに沈んだ表情で窓の外を眺めていたな、とルディガーは思い出した。
あの最上階の南翼からは、中庭を挟んで三階にあるエッケルトの居住区画の窓が見下ろせるのじゃなかったか。
「エッケルト。君はやはり俺より先に結婚をするべきだったのだ。そうしたら、この問題でも得意の先輩面ができたじゃないか。俺は人生で初めて自分が何もかも行動の選択を間違えているような気がする。何が正解なのか全然わからない。どうしたらいい……」
苛々と頭をかきむしるルディガーにやれやれという微笑みを向けることもなく、物憂げに眉を寄せたエッケルトは寝室の窓の外をじっと眺めていた。
「君の問題は、あくまで君の問題だよ、ルディガー。同じ愚か者で、いくら顔がよく似ていても、僕と君はまったく種類の違う愚か者だ」
「自虐にかこつけて繰り返し馬鹿にされた気がするんだが」
優雅な弁解の言葉さえ返ってこなかったので、これは本格的にヤバいな、とルディガーは思った。
衝動に抗えず襲いかかってしまったことをフランシーヌに謝るべきなのか、何て言って謝ったらいいのか、それとも妻だから接吻するくらい謝らなくてもいいことなのか、いったい他の誰に訊いたらいい……?




