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窓辺に張り付いて呆然としているうちに、馬車がフォルク公爵邸に着いた。
「母上……?」
窓越しに車寄せに停まっている馬車を見てルディガーが怪訝そうに呟く。
あずき色の馬車に描かれた紋章はアグネス妃の用いるものだった。
ぼんやりする頭の半分側でフランシーヌはその意味を考える。離宮からアグネス妃が帝都へいらしている? 宮殿ではなく、皇帝陛下のおわすヴァイス宮殿でもなくて、フォルク公爵邸に……ということはルディガーか私に会いにいらしたということ?
邸内に入ると、アグネス妃はエッケルトを見舞っている最中であるという。
そして、もしルディガーたちが戻ってきたら待たせておくようにと家令は申し付けられているという。
言われてみれば、アグネス妃はエッケルトの父の妹つまり叔母であるから、甥が息子ルディガーを庇って大怪我を負ったと聞けば、離宮から見舞いに赴くことは自然だろう。
でも、特別に人払いをしてアグネス妃が甥のエッケルトと話をしている理由は何だろう? エッケルトの居室に入っていくことを止められたルディガーは訝しげに首を傾げている。
そんなルディガーの横顔を見上げてフランシーヌの頭のもう半分側が、理由もなく心臓にふたたび動悸の指令を出しはじめた。やたら早まる鼓動をきっかけに、さっきの出来事――身体に刻まれたすべての感覚が甦ってきた。
この人は私に何をしたの?
何故あんなことをしたの?
どうしてメルテレースは馬車から消えてしまったの?
そもそも初夜の晩に、あんなに頑張って話したのに。私にとってメルテレースはルディガーにとってのエッケルトと同じだって、説明したのに、どうしてこの人はメルテレースをナイフの的になんてするの? 私がエッケルトに一生かならず食事のたびに魚のホネが喉に刺さる呪いをかけても何も思わないでいられる? って訊いてみたい。
とても尊敬できる人だと思っていたのに、急にルディガーのことがわからなくなってしまった。
何もわからない。
彼の傍にいるだけで苦しくなる胸の動悸の理由がいちばんわからない。
そういうわけで、アグネス妃とエッケルトの話が終わるまで、フランシーヌはルディガーからこそこそと離れ、自分に与えられている居間で女官たちと過ごした。
午後の歓談のテーブルでは、離宮の農場産のチーズやジャムが、紅茶とともに楽しまれている。さざめく笑い声の響きが、帝国最高峰の女の園の空気を華やかに彩る。皇后はすでに薨去されているため、宮廷婦人の頂点に君臨する女性皇族は他ならぬフランシーヌ皇太子妃ということになるのだ……全然まったく1ミリも実質を伴ってはいないのだが。
テーブルにはマルガレーテの姿もあった。
今日も物静かで大人しい彼女のほうを見てしまわないように心がけながら、フランシーヌは機を窺ってそろりそろりと片手を挙げた。
「わ、私、わたくし……『魔女が出る』っていう噂が気になってるのだけれど、にょ……女官のみんなたちは聞いたことある?」
お喋りの達者な女官たちは噂に耳聡いから、当然何らかの情報が得られるものとフランシーヌは思っていた。
が。
「魔女が出る?! まあ、おそろしい」
「そんな噂がございますの?! きゃあ、どんなお話でしょう。妃殿下、どうかお聞かせくださいまし」
「わたくしもお聞きしたいですわっ」
女官たちは一様に、その噂を知らないと言った。




