22 魔物の夢と幸せな誤解
昨夜は何故かルディガーもフランシーヌも着替えをしないで寝てしまったが、今夜のフランシーヌはゆっくり通常の寝支度をしてベッドに入った。
ぴょんこぴょんこ、とベッドに乗ってきて真ん中にどでん、と寝転がったネコちゃんちゃんの毛深い腹を撫でていたら、いつのまにか向かい側からメルテレースがネコちゃんちゃんの背中を撫でていた。
昨夜のルディガーは同じ場所でフランシーヌに背中を向けて眠っていたけれど、メルテレースはこちらを向いて堂々とにこにこしながらフランシーヌを見つめていた。
「メルテレースって、寝るの?」
寝てるところを見たことないけど、と思って訊いてみると、
「寝たければ寝られますよ。でも今まで寝たくなったことがないです。すぐそばで寝こけるフランシーヌを見ていたほうが面白いので」
「今まで私の寝てる時ずっと見てたの? ぜんぜん視線を感じなかった……」
「僕は闇そのものですからね。プロのテクニックですよプロの」
人間の世界においてはとても褒められたプロフェッショナリズムではない。
「フランシーヌが嫌ならやめます」
「うーん。別に今までも困ってないから、いいけど……」
物心ついたときには傍に寄り添うメルテレースの存在が当たり前だったので、メルテレースに寝顔を見られようが寝言を聞かれようがどうということもない気がした。
「フランシーヌ」
ネコちゃんちゃんのふわふわした毛の中で、メルテレースの指先がフランシーヌの指先に触れた。
「僕と一緒に魔界に行きませんか?」
「魔界に……?」
「ええ。魔界に逃げれば、王族脱出計画は確実に成功します。誰も追いかけてはこられませんし、フランシーヌは永遠に自由になれます」
「魔界って、水も空気もあるの?」
「望むものはすべて僕が用意できます。フランシーヌが好きな研究だけして暮らせる場所です」
「ま、まるで天国じゃないの」
「魔界ですけどね」
フランシーヌはごるるるるらぁ〜と喉を鳴らすネコちゃんちゃんを見ながらしばらく考えてみた。
やがて、メルテレースのほうに目を上げて、枕の上で首をふった。
「おかあさまたちが哀しむから、それはできないわ」
聖女の娘が魔界に逃亡するなんて前代未聞だ。
密かに黒魔術に傾倒しているだけでも充分に親不孝な娘なのに、魔界逃亡なんて、親子の縁を切られても文句は言えない……。というか、両親たちの立場上、切らざるを得なくなるだろう。
それどころか、魔物に魅入られて闇に堕ちた聖女の卵として、フランシーヌは聖女王妃による浄化対象にされてしまうのではないか。
とんでもない鬱展開である。
「ですよね」
「残念だけど、そういうことなのよ」
フランシーヌの瞳に落ちてきた前髪に手を伸ばして、メルテレースがそれをそっと払ってくれる。
「本心から残念に思ってくれるんですね。今はそれで満足です」
上体を少しだけ起こして身を寄せ、メルテレースはフランシーヌの額に口づけを落とした。
ほんの一瞬、軽く触れるだけのキスを。
宵闇色の優しい瞳を向けて、囁く。
「最近いろいろ騒々しくてよく眠れていなかったでしょう。今夜はゆっくり休んでください」
「うん。おやすみ、メルテレース」
「おやすみなさい、フランシーヌ」
×××
「私にプレゼント?」
「そう。プレゼントだ。何が欲しい?」
単刀直入。簡潔明瞭。理路整然。
情緒は皆無。
開口一番、何でもプレゼントしてやるから欲しいものを言え、とルディガーから告げられたフランシーヌは、渡りに舟状態でこう答えた。
フランシーヌに何が欲しいかと訊いたらこう答えるに決まっているのである。
「研究室!!」
ルディガー皇太子は凛々しく黄金の眉を持ち上げた。
「研究室?」
「そう、研究室なのよ。欲しいのは研究室。フライアで私がメルテレースを“剥がす”魔術の探求に人生のすべてをかけていた、あの研究室。突然の輿入れ話のせいで涙をのんで離れなければならなかった、我が青春の実験の園よ!」
「魔物を“剥がす”ための……」
なるほど、そうか。とルディガー皇太子は呟いた。
「そうか。そうなんだな。フランシーヌ・フライア……」
一人ぶつぶつと低い声で呟きながらルディガーは内心、すっかり舞い上がっていた。
フランシーヌ・フライアは魔物を“剥がす”ことを諦めていないのだという事実、ただそれだけで嬉しくなってしまったのだ。
なんならフランシーヌにとって魔物はやはりただただウザいだけの恐ろしく面倒な相手であって、一日でも早く身ぎれいになって名実ともに帝国皇太子ルディガーのお嫁さんになりたがっているんじゃないか、と思ったりした。(エッケルトがここにいたら「うわー気持ちわるい。恋愛初心者きもちわるい」と笑顔で吐き捨てたであろう。)
「わかった! ちょうど宮殿西翼の再建計画が進んでいるところだ。西翼の真ん中に研究塔を嵌めこませよう。それが完成するまではとりあえずエッケルトの邸の庭に簡易の研究所を建てさせる!」
そう聞いて今度はフランシーヌが舞い上がった。
「ありがとう! ありがとうなのよ! ルディガー皇太子殿下!! これで私の(王族脱走)計画が、新たな突破口を見つける日も近いのよ!」
「どういたしまして、フランシーヌ・フライア。できれば、ルディガーとだけ呼んでくれ」
それぞれの心の中で二人は誤解に基づく有頂天を覚えながら、がっしりと両手で握手を交わしたのだった。




