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2 3分ももたない

 どうして私がこんなことに……。


 もう百万回くらい同じ台詞を呟いた気がするが、溜息に飽きる間もない三ヶ月後、フランシーヌは純白の花嫁馬車に乗ってロスデルム帝国に輿入れした。

 本当のところ、この縁談は一年前には決まっていたらしい。


 ロスデルム帝国皇帝直々にフライアの聖女の娘を孫息子の妃に、と望まれたという話だ。歴史と伝統と神の加護のあることで有名だが現実の政治と軍事的には吹けば飛ぶような小国でしかないフライア王国は、とてもじゃないがロスデルム帝国の皇帝の要請をお断りできなかった。


 フランシーヌの両親としては、フライアの聖女を継ぐ娘を国外に嫁がせるつもりは元々なかったのだが、遠回しの抵抗もむなしく、ロスデルム皇帝の意向は固かった。現実政治のプロフェッショナルである臣下たちの懇願もあり、帝国との末長い友好関係の構築のため、両親は最愛の娘を珠玉の花嫁として送りだす道を選んだのだ。


 もうちょっと粘ってほしかった!!


 温室育ちの娘が――実際には暗い実験室育ちだが――珠のように愛されてぬくぬくと暮らしてきたフライア王宮から旅立たねばならない身の上を泣いて悲しむことはわかっていたので、両親はフランシーヌに輿入れ話を伝えることがなかなかできなかったらしい。


 かくして、自分の身に人生最大のイベントが待ち受けていることも知らず、三か月前までフランシーヌは呑気にネクラな黒魔術研究にうつつを抜かしていたわけである。


「政略結婚が王族のぬくぬくした生活と引き換えの義務であることぐらいわかっているのよ。だけどこんな騙し討ちみたいな日程ってある? せめて一年前に教えてくれたら逃亡の準備を急いで完璧にトンズラできたのよ」


――義務はどこいったんですか義務は。


「魔物のくせに細かいことにうるさいのよメルテレースは。自活して税金きっちり納めれば文句ないんでしょ。これまでの贅沢のぶんは黒魔術でがっぽり稼いで返すつもりだったのよ」


 フランシーヌはぶつぶつと呟きながらロスデルム帝国が誇る大宮殿の庭に建つグロリエッテを歩かされていた。

 広大な庭園の中央、小高い丘の頂上にあずまやなどという言葉では言い表せない巨大で豪奢な横長の建物がでんと構えられている。それがグロリエッテだ。

 左右の開放的な列柱路《コロナード》、真ん中にガラス張りの小ホール(クライネザール)があり、クライネザールでは皇帝が朝食をとったり、小規模のパーティが開かれることもあるという。

 フランシーヌが到着した本日、そのクライネザールで皇太子ルディガー・ロスデリヒ・フォルクハルトとフランシーヌ・フライア王女が初めて顔を合わせることになっていた。


 だが。


 ロスデルムの宮廷大臣に先導され、向かって右側のコロナードを粛々と進んでいたフランシーヌは、かつかつと響く軍靴の足音を捉えて顔を上げる。


 颯爽とした背の高い金髪碧眼の青年がフランシーヌの前で立ち止まった。


「フランシーヌ・フライア。俺が君の結婚相手のルディガーだ。時間がないので今日はこれで失礼する。では」


 それだけ言って、彼女の横を通り過ぎていく。


「……は?」


 事態がよく飲み込めずフランシーヌは立ち尽くした。

 通り過ぎた青年の後ろを、背格好のよく似た別の青年がきびきびと追いかけていく。


「殿下、殿下、せめて三分は立ち止まってください。さすがに皇帝陛下の雷が落ちます」


 チッ、という舌打ちが聞こえた。

 舌打ち?

 怪訝にふりかえったフランシーヌの前に、ふたたび最初の青年が戻ってきた。


「悪く思わないでほしいが、俺は今、君とクライネザールで茶を飲んでいる暇がない。今の今がどうという話ではなく、基本的に俺は忙しい。やるべき仕事に追われていて、妻の相手をしている時間などもったいない。だから、これで失礼する」


 言い捨てるようにして青年は踵を返すため片足を引く。


「一分!」


 背後に立つ部下の青年にまだ三分経っていないことをダメ出しされたルディガー皇太子が、フランシーヌの前で堂々と舌打ちした。

 それ以上話すのが面倒になったのか、ルディガー皇太子は棒立ちのフランシーヌを身長差により頭二つぶんくらい高いところから幾分尊大なしぐさで見下ろしてくる。


「……」


 瞳をほそめ、首をわずかに傾げて、あーそういう感じね、というどこか相手を小馬鹿にしたような、皮肉げな表情を浮かべる。


 彼がそのような表情をした理由を解説しよう。

 西海大陸の覇権国家ロスデルム帝国皇太子たるルディガーは、そもそも力ある者のもとに集まる美しいものに囲まれて生きてきたため、そんじょそこらの美しさには慣れていた。彼の興味はつねに学問や武術といった別のものに向けられたため彼自身には自覚がなかったが、生まれながらに絢爛豪華の中で育ったルディガーには最高レベルの審美眼が自然と養われてしまったのである。ありていに言えば、目が肥えていた。

 十代も半ばを超えると国内外の美姫・美女が彼の視線を捉えようとあの手この手で迫ってきたから、あらゆるタイプの美人に耐性があった。彼には何事も論理的に考え、構造化して理解する癖があるので、エキゾチックで妖艶な魔性系とか、隠れて煙草吸ってそうな清楚系とか、侍女とメイドの躾に厳しいサディスト系とか、湯水のごとく美容に金をつぎこんだせいで逆に劣化した肌を真珠粉でテカテカにした人造美女系とか、あらゆる美人を瞬時に分類することができた。心よりも理屈を重視する男であったから、どんな美しさも彼の心を感動させることはなかったのである。


 彼自身が光り輝くような天与の美貌に恵まれていたため、美しさというものにルディガーは何の価値も認めていない。


 そんな彼の眼に映ったフランシーヌ・フライア王女は、前評判通りに珠玉の顔貌を持った美少女であったが、つまりそれ以上でも以下でもない。神がかりの伝説的救国譚を背負う聖女と英雄のあいだに生まれて蝶よ花よと国民に愛されてきた、神聖にして純真な乙女――聖なる神の力を身に秘めているらしい聖女の卵は、理論と理屈を第一に生きてきたルディガー皇太子とはしょせん相容れない〈ゆるふわ系〉だろうし、実際そのように見えた。


 幸か不幸か、フランシーヌは黙ってさえいれば(陰キャなので大体黙ってもじもじしているわけだが)神聖にして純真そうな、類い稀なる美少女なのであった。


「三分経ったか? エッケルト」


 金色の眉を片方上げてルディガー皇太子は側近の青年に確かめる。尊大な態度だ。

 エッケルトと呼ばれた青年が端正な顔をわずかに歪め、かろうじて頷く。彼エッケルトはルディガーとその顔つきもよく似ており、双子の兄弟と言っても通るくらいだったが、ルディガーが纏うトゲトゲしいまでのキレキレな威風は持たず、銀色の瞳にたたえる光は温厚で穏やかだ。歪めた顔もまだまだ穏やかな人のよさを隠しきれない。


「では、失礼する」


 さっさと背を向けて去っていくルディガー皇太子。

 眼前を塞いでいた圧迫感が消えて正直ホッとしたフランシーヌ。

 申し訳なさそうに一礼したエッケルト青年は皇太子の後を追った。そのとき、エッケルトが抱える書類挟みから小さな紙片がこぼれてフランシーヌの足元にひらひらと落ちた。


 皇太子と花嫁の初会談を憚ってか、いつのまにか周りには誰もいなくなっていたので、きょろきょろとキョドりながらフランシーヌはそれを拾う。


――追いかければ間に合いますよ?


 メルテレースがハンドサインで伝えてくるが、ぶんぶんぶんとフランシーヌは首を振った。

 とんでもない。今の三分間だけでフランシーヌは今日のぶんの社交力を使い果たした。三分間、無言で立っていただけだけど……。


――それ何ですか?


 フランシーヌは手にした紙片に目を落とす。

 黒いインクで描かれた印章のようなもの。

 横たわる大きな楕円の中に、縦の小さな楕円、その中にさらに小さな横の楕円。

 瞳を模したマークにも見えるが……。


「これって……あれよね?」


 どうしてロスデルム帝国にこんなものが。

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