【第8話】小さくない変化
その日も僕は、フレインに馬の乗り方を教わっていた。
「馬は賢い生き物だ、乗り手の怯えも感じ取るぞ」
「そうは言っても、、、、」
さして運動神経が良い方でもない僕は、恐る恐る、どうにかこうにか馬の背中にしがみついているような状態だ。
「ま、今日はこんなものだろう。自分の愛馬を手に入れたら、ちゃんと世話してやることだ。信頼関係があれば、乗り心地は全然違うからな。そろそろ昼にしよう」
「ああ、うん。ありがとう」
馬から降りると太ももがプルプルしている。フレインに笑われながら、騎士宿舎へと足を向けた。
ルデク王国の首都であるルデクトラドに帰ってきたのは半月前だ。それから僕は第10騎士団の詰所に通いながら、こうして馬の乗り方を教わったりしてなんとなく過ごしている。
というのも第10騎士団への入団は、現地に残してきたグランツ様たちが帰還して報告を聞いてからとなっており、かといって今まで働いていた部署には既に移籍の話が通達されていて、出仕しなくて良いと言われている。
文官から第10騎士団への抜擢など前代未聞の事態だ。元の部署の上司もどうしていいか分からないと言った感じなのだろう。
文官の宿舎内でも割と腫れ物扱いで、身の置き所がない感じ。同室のデリクとヨルドが変わらぬ付き合いをしてくれているのだけが救いだった。
正式に第10騎士団に所属したわけでもないので、第10騎士団の仕事を手伝うわけにもいかず、宙ぶらりんな状況の僕を何かと面倒を見てくれているのがフレインである。
「どの道、後発隊が戻るまで暇だからな」と言いつつも、なんだかんだと面倒見の良いフレインは、一緒に戻ってきた第10騎士団の他の隊長さんへの顔合わせや、こうして僕の乗馬の練習に付き合ってくれている。
おかげで僕はなんとかかろうじて馬に乗れるようになったし、第10騎士団の中の人たちとも少しずつ挨拶を交わすようになってきている。
第10騎士団の詰所で提供される食事は、文官の食堂で供される食事よりもおかずが一品多く、量も多い。同時に少し濃いめの味付けがされているのが特徴だった。
運動量の多い兵士たちならではの違いなのだろう。ここのところ午前中は乗馬の練習に勤しんでいた僕もそれなりに汗をかいており、濃いめの味付けの食事がありがたい。
「しかし、、、、ロアは飲み込みが遅いな」と、焼いた肉を齧りながらフレインがしみじみという。
「いや、頭では分かっているんだ。ただ、体の方がついてこないんだよ」と情けないことを言う僕。
「それじゃあ一緒だろ。とりあえず馬だけは乗れるようになっておかないと、いざという時困るぞ」
「うん。なんとかするよ」
そんな会話をしながら昼食に舌鼓を打っていると、入口が騒がしくなってきた。
「なんだ?」フレインが警戒感を露わにするも、その表情はすぐに改められる。
「帰ってきた!」言うなり立ち上がり、入口の方へ。周りの兵士も入口へ殺到する。僕は一歩遅れて立ち上がり、一瞬テーブルのスープに目をやってからフレインの後を追った。
最後尾で食堂を出ると、屋外の広場には廃坑を預かっていたグランツ様の姿が見えた。出迎えたフレイン達と、互いに労いながら笑い合っている。
そんな騒ぎを聞きつけたレイズ様が姿を現すと、グランツ様達は一糸乱れぬ整列をしてみせる。その中心にいるグランツ様が一歩前に出てレイズ様の元へ跪いた。
「お預かりしておりました3000名。欠ける事なく帰還いたしました!」
「ご苦労! 詳細は後ほど聞くが、ゴルベルの兵は現れなかったか?」
「はっ、現れました。2000ほどの兵を差し向けて参りましたが、我らが廃坑を押さえていること、それに、レイズ様の指示通り我らが大勢であることを見せつけると、何もせずに退いて行きました」
「そうか。ならば良い。第四騎士団にも当面は警戒するように申し送りしてある。幸い、あの廃坑は奴らがわざわざせっせと拠点化してくれたからな。そっくりそのまま貰って、城塞にするそうだ」と言って笑う。
レイズ様の笑いに合わせるように、他の兵も口々に「ゴルベルの間抜けめ」とか、「わざわざ要塞を造ってくれるなどご苦労なことだ」などと言って笑う。
それらの言葉が落ち着くのを待って、グランツ様が再び口を開いた。
「それからもう一つ」
「なんだ?」威厳を保ったままレイズ様が促すと、グランツ様はチラリと僕を見てから
「エレンの村から、元鉱山採掘者を連れてきて、ゴルベルが掘っていた坑道を調べさせたのですが、、、、」
「どうであった」
「その者が言うには「まだこんな鉱脈が残っていたとは」と驚くほどだそうです」
みんなの視線が一気に僕に注がれた。分かってはいたけれど、少しだけホッとする。
「、、、分かった。詳細は執務室で聞こう。ロア、お前も来い。皆もご苦労だった! 数日間休みとする! 特別手当も出るので、受け取ったら羽を伸ばすと良い!!」
レイズ様の言葉に、帰還したばかりの兵士たちが歓声を上げる!
興奮冷めやらぬ声を背中に聞きながら、僕はレイズ様の背中を追うのだった。
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ここは、ゴルベル首都のとある一室。
よく磨かれ、黒光りする重厚な机には、一人の老人が座っている。
机の上にはゴルベル東部とルデク西部の地図。地図にはいくつもの駒が置かれていた。
「そうか」
エレンの村の廃坑を橋頭堡にする計画を立てたその男は、計画の失敗を聞いてもさして気にする風でもなくそれだけを答えた。
「廃坑にはルデクの兵が2〜3000ほど篭っていたそうです。どういたしますか?」
「放っておけば良い」
「ですが、、、、」
「良いと言っている。我々には便利な場所であったが、ルデクから我が国を窺うには、それほど使い勝手の良い場所ではない。精々、無駄に管理する手間が増えるだけであろう」とくつくつと笑う。
それからエレンの村に立てておいた駒をついと摘むと、何事もなかったかのようにゴミ箱へと捨てた。
「今回はレイズ=シュタインに花を持たせてやろう」
抑揚に乏しい表情のまま、サクリはそう言った。