【第320話】フェマスの大戦⑥ サクリの秘密兵器
ぼんっ
西の塁壁の上から、何かが弾き出された音がした。
「うおっ!」
落下地点にいた兵士が敵味方問わず避けた瞬間、地面に当たって粉々になったのは樽だ。樽からは液体が飛び散り、周辺にいた者たちの鎧を濡らす。
「うわ、なんだこれ!? ペッペっ!! 臭え!!」
液体は刺激臭を伴い、兵士たちの目や鼻を刺激する。塁壁からは次々に樽が撃ち出され、各所で似たような光景が見られた。
ここに至り、兵士たちは戦場を覆う異臭に気づき始めた。先程までは戦闘による興奮状態にあり、それどころではなかったのだ。
塁壁の上には小型の投石機が並べられ、樽を次々と打ち出していた、いくつかはザックハートの頭上をも越えて第三騎士団の後方まで飛び、同じように炸裂する。
空飛ぶ樽が立て続けに撃ち放たれる中、塁壁の上には長弓をつがえる兵士が現れた。その矢尻には布が巻かれ、赤くチラチラとゆらめく物があった。
「放て!」
指揮官の言葉で一斉に空へと飛び出した矢が、地面に到達した瞬間のことである。
「ぎゃあ! 火が! 火が!」
なんでもない場所に刺さった火矢を触媒として、周辺に一気に炎が立ち上ったのだ!
すさまじい速度で瞬く間に広がる炎は、敵味方問わず襲い掛かり、黒煙を上げながら狂ったように踊り出す。
樽が破裂した場所はよりひどく、爆発的に燃え上がる。突如発生した地獄のような光景、敵味方問わず、逃げ遅れた兵士たちから悲鳴が上がった。
「どうなっているのだ!?」
行く手を遮るように燃え始めた大地に怯みかけた馬を、無理矢理に奮い立たせて飛び越えたザックハートは、尋常ならざる勢いで広がってゆく炎を見つめながら歯軋りをする。
違和感の正体はこれであった。敵の狙いは火計であったか。しかし、このような燃え広がり方は見たことがない。
しかし今は感心している場合ではない。見たところ刺激臭のする場所がよく燃えているようだ。
「退けえ! 退け! 退け! おかしな匂いがする場所は、全て危険地帯だ!! すぐさま離れるのだ!」
ザックハートの怒声にも、さしもの第三騎士団も容易には反応できない。それほどまでに想定できぬ状況であった。
目の前で、味方はもちろん、敵兵までも火だるまになってのたうっている。制御不能な火は、生物にとって根源的な恐怖を呼び覚ます。
それはまるで、以前にロアがリフレア兵に打ち込んだ巨矢のごとく。そこかしこで小さな混乱が起こる。
動揺し反応が遅れれば、気がつけば炎の原の中だ。第三騎士団は半壊に近い状況に陥った。
「退けえ! 立て直す! 退くのだ!!」
ザックハートの言葉が繰り返し戦場に響く。
ルデクとリフレアの最初の戦闘は、両者に甚大な被害を及ぼし、痛み分けの展開になりつつあった。
いや、リフレアで大きな被害を被ったのは旧ルデクの第一騎士団であることを考えれば、初手はリフレアの勝利と言って良い。
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「ふむ。本来であれば、全てを焼き尽くしてやりたかったが、、、、まあ良い。これで中央の軍は暫く動けぬだろう」
塁壁の隅から様子を窺っていたサクリは、まずまずといった風に一人、頷く。
サクリが戦場に持ち込んだ液体は、リフレアの一地方で湧く「臭水」と呼ばれ忌み嫌われた代物だ。
飲めばたちまち吐き出してしまい、周辺で作物など育つこともないため、地元住民は臭水の湧く辺りには近づきもしない。
そんな臭水に目をつけたサクリ。当初は毒として使えないかと持ち帰ったが、様々な実験の結果、これが火と非常に相性が良いことに行き着くと、研究を重ね
より効率良く燃やす精製を考え付いた。
たった一人で、である。
サクリは事前にこの付近の大地に臭水を振り撒いておき、さらに念のために追加を投じた上で、頃合いを見計らって火を放ったのだ。
理想的とまではいかなかったが、見たところ、第三騎士団は相当な痛手を負っただろう。こちらの第一騎士団はほぼ全滅に近いが、さしたる問題ではない。
さらに火が上がったことで、西の山側に出張っていたルデクの部隊が孤立しつつある。炎だけではない、煙もルデクの兵士に襲いかかって行く。
サクリは当然、これも想定して火を放っている。この季節は風は東から西へ吹くことが多い。天候まで読んだサクリだからできる芸当だ。
「さて、ここはもう良いであろう、、、、おい」
近くにいた指揮官を呼び寄せると
「暫くは敵もここには攻め込んでこないであろうが、もし懲りずに攻め寄せてきたら、再び燃やせ。まだ臭水の余分はあるな?」
「はっ。ございます」
「では、任せる」
「はっ、、、、サクリ様はどちらへ」
「西の様子を見て一度、本陣へ戻る」
「かしこまりました」
後を託された指揮官は敬礼する。
やり易いなと、サクリは思った。ここにはサクリを必要以上に蔑むものは少ない。そういったもの達は、この前線に出てきていないのだ。大半がサクリを司令官として認め、指示を仰ぐ。
“あの場所”に居場所を確保するために必死になっているのに、“あの場所”から離れた方が過ごし易いとは、、、、サクリは自身の矛盾した現状に密かに苦笑した。
いや、今は目の前の戦いに集中する時ぞ。
サクリは塁壁を降り、乗り慣れぬ馬で本陣のある北西へと駆け始めたのだった。