【第312話】ヒューメット=トラド(下) 翻弄されし者
オークルの砦のとある一室。そこには第三騎士団が騎士団長、ザックハート=ローデルと、第二騎士団のニーズホックの懐刀レゾールが、難しい顔をして膝突き合わせていた。
互いに腕を組んで、睨むように机に置かれたマス目板を睨んでいる。
しばしの後、ザックハートがゆっくりと手を伸ばし、板の上に配置された駒を動かす。ザックハートの駒の動きを確認したレゾールは、間髪入れずに別の駒に手を出した。
その瞬間、「あっ、待て!」とザックハートが制するも、レゾールは止まらない。
「これで私の勝ちですね」ニヤリとするレゾールを憎々しげに睨みながら、ザックハートは自分の髪をガシガシと掻きむしる。
「むうう、少しくらい手加減してくれても良いであろうが!」
「最初に「手加減はせんぞ!」と宣言したのはザックハート様ではないですか。これも勝負事。騎士として本気でやらせていただきます」
「ぐぬぬ、、、、」
2人が興じているのは、盤上遊戯だ。
無論、ただ遊んでいる訳ではない。
先日、ロアから手紙が来た。
「しばらく北の動きに注目してください。場合によってはリフレア軍が出張ってくるかもしれませんが、こちらからは蹴散らす程度にとどめ、決して深追いをしないようにお願いします」と。
ようやく、ロアが何か仕掛けたようだ。みなまで言わぬのは、大っぴらにしたくない内容ということか。
指示内容からして、虚報か挑発の類いではあるようだ。まあ、なんでも良い。一向に動かぬ戦況に退屈していたところである。
手紙を受け取って数日間、ザックハート達は砦に籠ってリフレアの動きを待っていた。
なお、ニーズホックはデンバーの街へ行っている。第七騎士団にも同様の指示を伝えると同時に、トールが逸ってリフレアに突出しないように監視するために。
トールは戦ごととなると、少々無茶をするところがある。それはザックハートが一番よく知っていた。
ザックハートが監視役に向かってもよかったが「あなた達を合わせると、逆に意地の張り合いをしてリフレアに攻め込みそうよ」というニーズホックの客観的な判断により、レゾールを残してデンバーへ向かったのだ。
「もう一戦やりますか?」
レゾールの誘いに、ザックハートは「いや、一度休憩にしよう」と駒を指で弾く。王の駒がくるんと回ってから、盤上を転がった。
ザックハートは盤上遊戯の実力者であり、若き頃のゼウラシア王に指南してやったこともある。だがレゾールは別格であった。意外な才能を隠し持っていたものだ。
駒を片付けるレゾールを横目で見ながら、密かに次に戦うときの戦法を考えていると、伝令が部屋に飛び込んで来る。
来たか。ザックハートは気持ちをすぐに切り替え、表情を引き締め、報告を聞く姿勢をとった。
「リフレアか?」
ザックハートの言葉に伝令は頷き、「どうやら多数の兵士が防衛線に投入されたようです。活発な動きを見せ始めています」と。
リフレアの兵士が投入されたというのは、リフレアが対ルデクとして急遽設えたであろう防衛線だ。
複雑な地形を利用して、新たに砦を増やしたり、防衛壁を作ったりと忙しく動き回っていた。
敵が優位な状況を作り出してゆくのを指を咥えて見ていることとなったザックハートは、ロアに「多少なりとも攻めた方が良いのでは?」と打診した。
だが返事は「むしろ好きにさせましょう。各所に色々つくられるよりは、まとめて撃破できるような場所があったほうが都合が良いです。それに、罠の可能性もありますので、ここは静観が無難です」との事であった。
この戦いにザックハートが最初から参加していたのならば、もう一言二言食い下がろうかとも思った。
だがここまでの経緯からすれば、これはロアの、第10騎士団の戦いだ。当面はロア達の指示に従うことを決めている。
伝令の報告を聞きながら、そんなことを考えていると、「ロア殿の言葉通りですね」とレゾールが隣にやってきて不敵に笑う。
「ああ、そして予定通り、、、、、」
「はい。我々は警戒しても何もしない」
ロアの指示に一体どのような意味があるか分からないが、意味のないことをする男ではないことは十分に知っている。
「とにかく、王都へ、ロアへ早馬を送れ。リフレアが前線に兵を大量に送ってきた、とな」
ザックハートはそのように指示を出しながら、戦の気配が徐々に近づいてきていることを、本能で感じ取っていた。
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王都にいる僕の元に、2つの報告が届いた。
一つはザックハート様。もう一つは、グランツ様から。
内容が想定内であることを確認している所へ「ロア! いる!?」とノックもせずにドリューが飛び込んでくる。
僕は「はいはい」と言いながら、手紙を机の引き出しへ仕舞い込んだ。
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寝台で上半身だけ起き上がったままで、神官服の男を睨むヒューメット。
ヒューメットは二度、大きく肩で息をしてから「動かなかった、、、、だと? 嘘を申されるな」と絞り出すように言葉にした。
自然と息遣いが荒くなっている。
「嘘? なぜ我々が嘘を吐かねばならぬのですかな? ヒューメット殿、もう一度申し上げます。ルデクの侵攻はありません。動く気配すら見受けられませんでした。飼い犬に手を噛まれましたな。おそらく当方の内通者というのも嘘でしょう。疑われた彼らには悪いことをしてしまった」
ヒューメットに言い放つ神官の口調は冷たい。
「バカな、、、、」
私が騙されただと? 誰に? この私が? なぜだ? 私はこの戦いの中心人物だぞ? 誰がそのような真似をしたと言うのだ?
ああ、あの血判状をルデクの王に送りつけてやろう。ルデクの王? 誰だ? それはこの私のはずだ?
裏でルデクを操っていたつもりのヒューメットは、逆に自分が踊らされていたことに大きく動揺していた。
「今後はつまらぬ情報に踊らされる前に、きちんと精査してからご進言ください」
「ネロ殿に、、私から、、、、」
「必要ありません。ネロ殿もそのように申されております」
神官はまるで役立たずを見る目で、寝台のヒューメットを見下ろしている。
なぜ、このルデクの王たる私に、そのような目をむける。なぜ、私を見下ろしているのだ?
悔しさで顔が熱くなる。
私は王だぞ。
そうだ、私は、ルデクの王だ。おい、臣下はどこだ?
私を玉座へ運べ。
ネロにも臣下の儀を行わさせてやる。
おい、貴様どこへゆく。
声を出そうとするが、言葉が喉に張り付き出てこない。
おい、誰か、、、、その者を、、、、、
神官と入れ替わりに入ってきた部下の前で、ゆっくりと倒れ込んだヒューメット。
彼がその後目を覚ますことは、2度となかった。
玉座に翻弄され、ゆえに周囲の人々を翻弄し続けた男は、異国の地でひっそりとその生涯を終えたのである。