【第273話】貴族と王家(上)
「何を言う! 貴様! 根拠なき中傷は許さぬぞ!」
口周りの水を拭うこともなく、ダーシャ公は怒鳴る。それはそうだ。挨拶も早々に「お前が貴族の反乱の首謀者だろう」と言われれば誰だって怒る。
けれど、エンダランド翁は涼しい顔をしながら、「根拠なき? ダーシャ公よ、このワシが、エンダランドが根拠もなくこのようなことを言っていると?」と返す。
普段の好々爺の雰囲気はどこへやら、僕も気押されるような独特な圧がある。
「ぐ、、、、ぬ、、、、!!」
エンダランド翁の態度に言葉を詰まらせるダーシャ公。
「何、悪いようにはせん。早く認めた方がよいぞ」と畳み掛けるエンダランド翁に、割って入ったのはサザビーだ。
「ちょ、ちょっと待ってください、エンダランド様。まずはその”根拠"というのを伺っても良いですか」
エンダランド翁はチラリとサザビーを見てから、やれやれと小さく首を振った。
「ダーシャ公が男らしくすぐに認めれば話が早かったのだが、まあ良い、説明してやろう。その前に、ダーシャ公よ、この家では客に茶も出さんのか? なんなら酒でも良いぞ」と宣って、ダーシャ公の目を白黒させている。
「と、、、とにかくお茶は私が用意しますので、しばしお待ちを。父上もお座りになってください。そこまでお怒りになられては倒れてしまいます」と執りなしたシャッハ様。
息子と言っても既に相応の年齢に見える。ダーシャ公もそろそろ世代交代しても良さそうなお年だと思うけれど、何か事情があるのだろうか。
色々と言いたいことはあるけれど、一先ず準備された紅茶を一口。お、美味しいやつだね。多分。最近ラピリアやウィックハルトの紅茶の解説を受けているので、なんとなく分かるのだ。
一息ついたところでダーシャ公も少し落ち着いたようだ。その様子を見てからサザビーが「さて」と声を上げる。
とりあえずここはサザビーの差配に任せよう。
「改めて聞きます。エンダランド様。ダーシャ様への先ほどのお話、一体何を根拠にそのようなことを?」
「ふふん、逆に聞こうか、サザビー殿。今、ルデクでは貴族の洗い出しに血眼になっておられるが、王都ではどうかの?」
「洗い出しって、、、、、いえ、この場で取り繕っても仕方ないですね。確かに我々は貴族の方々にご協力をいただいています。ダーシャ公の元にもお伺いしたかと」
「、、、、うむ」ダーシャ公が短く認める。
サザビーは協力を願ったと言っていたが、それは表向きの話だろう。実状は裏でそれぞれの貴族の動向を調べ、表向きの発言と照らし合わせているといったところかな?
「ですが、王都、というのはどういう意味ですか? 王都におられる貴族のことでしたら、、、」
サザビーが皆まで言う前に「ハズレじゃ」とエンダランド翁は笑う。そして僕へ視線を移す。
「さてはて、若き軍師殿はわかりますかな?」と聞いてきた。
「わかりますかな」
「わわりなすかな」
双子がふざけて繰り返す。ちょっと黙っていてほしいなぁ、、、、ん? 双子、、、双子とエンダランド翁?
「、、、、もしかして酒場、、ですか」
僕の答えに満足そうに頷く。エンダランド翁といえば、夜な夜な酒場に繰り出していたはずだ。たまには双子を連れて行ったりしていた。
「然り。貴族が何かするにせよ、王都の動向は無視できんよ。必ず人を寄越しておる。市井での情報のやり取りもあろう。ワシはそれを拾っておったまでのこと」
「え、でも、そう言うのは密室とかで行われるんじゃないですか?」ラピリアの質問には、サザビーが難しい顔で否定。
「そうとも限りません。もちろん条件にもよりますが、王都に限れば”密室”と言うのは意外に目立つものなのですよ。色々なところに”目"がありますからね。大切な情報のやり取りの際は、好まない者も少なくありません。見張りがいないような状況であれば尚更。ですが、、、、」
「適当に酒場に行くだけで、そのような重要な情報が集まるんですか?」ゾディアが聞く。ゾディアの言う通り、理屈は分かっても普通は無理だと思う。
「カカっ。酒場の客を見れば、どんな心持ちで酒場にいるか分かる。気になる者たちがいたら近くに席を確保すれば良い。あとは聞き耳を立てるだけじゃからの」
と、エンダランド翁は言うけれど、、、、、
「無理だろじじい」
「いい加減なこと言うな」
真正面から否定する双子。
「酒場で人の話など聞こえん」
「全くわからん」
双子の暴言も「そうかの? 聞こえるが?」とエンダランド翁は笑って受け流す。
「其奴の言うことは本当だ」と肯定したのは、意外なことにダーシャ公だ。
「其奴の異名を知っているものは、この場にはおらぬのだな。其奴は長耳のエンダランドと呼ばれた密偵よ。1000人の会話を正確に聞き分けられると言われ、その場にいなくともエンダランドの耳があるなどと恐れられたものだ」
「ワシは密偵ではなく、外交官じゃよ。それに、1000人は無理だわい。せいぜい100人が限度じゃな」
、、、とにかくすごい人だと言うのは分かった。確か第八騎士団を引退した人が、エンダランド翁の名前を聞いて飛び上がって驚いたって言ってたっけ。
「それでもそんなに重要な話を、べらべらと話すような人間を王都に送らないと思いますが?」サザビーがさらに疑問を重ねるも、エンダランド翁は出来の悪い生徒に教えるように、答える。
「無論、一日二日で聞けるものではない。小さな愚痴や、ささやかな不満。それらを拾い集め、形作れば意外に真実というものは見えるものよ。別にワシは貴族の情報を集めていたわけではないが、どうも貴族の使いの情報交換が活発だったからの、嫌でも耳に入ってくる。その中でもダーシャ公の名前がよく出てくれば、中心に誰がいるのかは、、、、のう?」
エンダランド翁に振られたダーシャ公は目を瞑り、沈黙。
「ま、ダーシャ公なら反乱の取りまとめは適任であろう? だから直接聞きにきたのじゃ」
「適任? エンダランド様はそこまでルデクの貴族様にお詳しいのですか」ゾディアが小首を傾げると「ルデクの、ではない。ワシは周辺国家の貴族なら大体把握しておるぞ」との返事。
それから「ただし、引退する前までならの」と添えた。
「しかし、、、、ダーシャ公といえば親王派として有名な、、、、」ウィックハルトの言葉には「だからこそよ」と遮るように口にしたエンダランド翁。それからダーシャ公を再度まっすぐに見つめると、居住まいを正す。
「王族にはヒューメットも含まれていよう。そして、ここまで内乱が起きていないのは、貴殿が何かしら尽力しているのではないか? ダーシャ公よ。ここらが潮時ぞ」
そんな風に諭されたダーシャ公は、目を瞑ったまま、天井を仰いだ。