【第23話】ハクシャ平原の戦い⑥罠
「準備は良いか?」虫も寝静まるような深夜。ウィックハルトはスクデリアに静かに問いかける。
「はっ。万事抜かりなく」短く答えるスクデリアの背後には500の兵と馬。いずれも沈黙を貫いてはいるが、身体から発せられる熱量をウィックハルトは確かに感じていた。
ここにいるのはいずれも、3年前に血の涙を流した者たちだ。
自らが生き残り、主人を討たれる失態。いっそ、ナイソル様の死出のお供を。そう考えて殉じるつもりだった者たち。
スクデリアの説得によって、ナイソル様が目をかけていた若き将を盛り立てると決めた。それでも、あの時の悔しさを、せめて一矢報いてやりたい。その思いをずっと燻らせていた兵士が集まっていた。
この時間は見張りも全て奇襲賛成派で固めている。自分達が出撃したら、後から追いかけてくる手筈となっている、
「奇襲が成功したらすぐに引く。フランクルトの首に固執するな。良いな」
ウィックハルトが念を押す。それでも皆、あわよくばと思っている事は分かっている。或いはこの奇襲を己の花道にしようとしている兵もいるかもしれない。
しかし、もはや止めようがない。ウィックハルトができることは、彼らと共に行動を共にし、この勇猛な兵を一人でも生かして戻ってくること。
ウィックハルトとて今回の件がほぼフランクルトの罠だと思っている。最初こそ頭に血が上っていたが、冷静になってみれば条件が整いすぎているのだ。
リュゼルと、、、、ロア、と言ったか。あの気の弱そうな、文官の方が似合っていそうな男の顔を思い出す。
彼らが水を差してくれたことで、ウィックハルトは少し冷静になれた。しかし、そうでない者もいて、ウィックハルトはその者たちを見捨てることができない。それだけの話だ。
ウィックハルトの、若き将ゆえの美点であり、そして弱点でもあった。
フランクルトはそこを的確についたといえる。
第10騎士団のあの2人には迷惑を掛けるな。と、少々申し訳ない気持ちになる。無論、奇襲を決断した以上、ウィックハルトは戦果を持って帰ってくるつもりだ。
しかし、奇襲が成功した場合でも、おそらく2人はレイズ様から説得に失敗したとみなされるであろう。
だが、詮無きことだ。運命の女神ワルドワートは、フランクルトと我々の邂逅を望んだのだから。一度目を閉じて、息を吐き、そして、開く。
「では。出陣する」ウィックハルトは静かに宣言し、河へ。
日中は清らかな水をたたえていた河は、濁りを帯びたものに変わりつつあった。けれどその僅かな変化は夜の帷に隠され、ウィックハルトの目に届くことはなかった。
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「、、、、ようやく動いたか。しかし、なんと間の悪い男だ」
フランクルトは苦笑する。
或いは昼間に攻めてくれば、まだ生き残る目も残っていたかもしれない。夜間、しかもこちらが奇襲を待ち構えている以上、万に一つも勝ち目はない。
それにしても恐ろしい方だ。フランクルトが思ったのはサクリの事だ。
彼は第六騎士団が動くとすれば恐らく深夜。若い将が古参を抑えきれなくなった時だろうと断定していた。
さらに、この日の夜は北の方で天気が崩れると予測。河の上流で大雨が降る可能性が高い。河が荒れれば奴らに逃げ道は消える。そこを叩けとフランクルトに指示を出していたのである。
半信半疑で聞いていたが、ここまでピタリと当たるといささか気持ちが悪い。まだ河は荒れてはいないが、それすらも当たるのではなかろうか。
軍師は天候すらも操るのか?
サクリから話を聞いた時、フランクルトはそのように口にした。
「天候は操るのではなく、”読む”のだよ」そう言ってサクリはクククと笑っていた。
「河の付近に兵を張り付かせておけ。河が荒れ始めるまで時間を稼ぎ、それから本格的に潰す。それまでは守備に徹するように各将に通達せよ」
部下に命ずると腕を大きく回す。
「さあ、狩りの時間だ」
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「やはり、罠か。しかし、、、、」
分かってはいたことだが、
ウィックハルト達が敵陣に近づいて見れば、篝火は消され、気味が悪いくらいに静けさを保っている。通常はあり得ない状況だ。
本来であれば見張りが篝火を焚いて警戒している。それがないということは、既に迎え撃つ態勢を整えていると考えるべき。
引くか、、、一瞬悩んだが、ここまで来てその選択は愚策だ。今、背後を突かれればひとたまりもないだろう。
残された道は1つ。
「錐型の陣を敷き、一気に駆け抜ける。敵陣を抜けたら迂回。そのまま振り返らずに帰還せよ。良いな!」
これが一番被害の少ない方法のはずだ。ウィックハルトはそう思い込むようにして、突撃を指示。
ウィックハルトの命によって兵が突撃を始めるも、何かおかしい。視界がないため判断が難しいが、大きな抵抗がない。敵陣が混乱している雰囲気でもないから、対策していることは間違いない。にも関わらず、、、、言うなれば泳がされているような感覚だ。
「ウィックハルト様! あれを!」スクデリアが指差すまでもなく、視線の先にはたった一つ、篝火が炊かれた天幕がここだと言わんばかりに浮かび上がっている。
「どの道我らは敵の毒の中だ! いっそ奴らの毒を味わい尽くしてから凱旋するとしよう!」
ウィックハルト達は天幕を目指して突き進む。そのままの勢いで天幕を突き破れば、その中には、兜が一つ置かれていた。
「ナイソル様!」スクデリアが馬から飛び降りて兜へ走り寄る。ナイソルの兜に間違いがなかった。
一瞬、兵達の気持ちが切れそうになったところを、ウィックハルトが怒鳴る!
「敵陣の最中ぞ! 気を緩めるな! もうこれ以上の戦果は不要! 撤退する!」
撤収のため踵を返したその時、地面が揺れ、馬達が暴れる。
「なんだ?」
ウィックハルトに嫌な予感がよぎる。
地面が揺れるほどの何か、、、、、、例えば、河が、、、、、
「いかん! 全速力で敵陣を抜ける!! 急げ!!」
ウィックハルトが、そう叫んだ頃には、既に河の決壊は始まっていた。