【第204話】皇帝とロア⑥ フレデリアの街の夜(下)
もう深夜に近い。多くの人々は家で安息の時間を迎えており、街に人通りは非常に少なかった。
それでも建物の窓から漏れる灯りが、通りをほのかに照らしているため、うら寂しさは全くない。
僕とラピリアは特に言葉を交わすでもなく、ぽくぽくと歓楽街へ向かって歩く。
帝国の歓楽街は堀で仕切られ、さらに高い壁で囲まれているはずだ。なので入り口は一箇所しかない。夜間の喧騒から住民を守るための工夫で、帝国領ではよく見られる様式だった。
ちなみにこういった仕切りのある歓楽街は、ルデクではほとんど見られない。理由はルデクと帝国の文化の違いが大きい。
ルデクは深夜営業に関して大陸でも厳しい方だ。女神ワルドワートの入眠の時間を越えて営業する場合は、自前の警備員を配置しなければならず、規則が守られているか兵士が定期巡回する。
騒がしさが度を越えれば巡回兵から注意が入り、改善されない場合は営業許可が取り消される。
対して帝国は営業時間や騒ぎに関する制約はないけれど、代わりに完全に隔離された場所でのみ営業が許可されているのだ。
隔離された地域の騒音対策の一つが、大きな囲いなのである。
余談だけど、帝国では歓楽街に近い場所に大抵安宿が並んでいる。歓楽街で散財した酔客や、多少騒がしくても料金重視の金のない旅人に重宝されていた。
何となく帝国の歓楽街の説明を始めた僕に、ラピリアが相槌を打ちながら聞き入るという流れで通りを進み、歓楽街の入り口についた。
「見ない顔だな、旅人か?」
「そんなところだよ」
「そうか、問題は起こさないように頼むぜ」
「分かってるさ」
「ならいい、楽しんできな」
一応といった感じで歓楽街の入り口に座る門番と簡単に挨拶を交わして、扉を開けてもらう。
壁の上から漏れ聞こえていたけれど、扉を開けた瞬間、喧騒が一段大きくなった。
「こんな時間に、凄いわね、、、、」
キョロキョロと見回すラピリアは少し慣れていなさそうに、無意識に僕の袖を掴んでいる。良家の息女であるラピリアは、こういった雰囲気の場所に足を踏み入れる経験は多くないのかもしれない。
僕が少し微笑ましくその姿を見ていると、視線に気づいたラピリアに軽く蹴られる。
「騒がしいお店ばかりじゃないよ。少し回って静かな店を探そう」
僕が半歩先に立ち、それぞれのお店を眺めて回る。
歓楽街の奥の方に、落ち着いた感じのお店を見つけた。覗いてみても客層は落ち着いている。ここなら良さそうだ。
僕が入ろうかと聞こうとしたところで「あ」とラピリアが口に手を当てて立ち止まった。
「どうしたの?」
「そういえばお金、、、帝国通貨、そんなに持っていないわ」
「ああ、大丈夫。共通銀貨をたくさん持っているから」と僕は財布を取り出して見せる。
各国にはそれぞれで流通している通貨以外に、共通銀貨と呼ばれるお金が存在している。これは南の大陸の通貨で、北の大陸では割とどこでも通用する。特にルデクは貿易国家なので共通銀貨も珍しくなかった。
僕は各地を転々としていた頃の習慣から、普段から所持金の多くは共通銀貨にしているのである。
「用意がいいのね」
「たまたまね」
そんな会話をしながら、僕らは店の扉を開けた。
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ギター弾きが店の隅で小さく音楽を流す店内。
僕らはカウンターの隅、人のいないところに並んで座る。
「不思議な感じね。ついこの間までゴルベルにいたのに、今は帝国にいるなんて」
「そうだね。想像もしていなかった」
「嘘、ロアが企んだのに」
「まぁ、確かに、想像はしていたかも」
ふふ、とラピリアが笑い、ワインを口にする。
「今日さ、ちょっと考えさせられることがあってね」
「何?」
「ルルリアがレイズ様のことをあんな風に捉えていたこと。もちろん、僕にとって偉大な人なのは間違いないけれど、僕らの国はあの人だけで成り立っていたわけじゃないんだ。ルルリアの言う通り、ラピリアやウィックハルト、みんながいる」
「うん」
「僕は少し、レイズ様という存在を背負いすぎていたのかもしれない、そんなふうに思って、少し眠れなかった」
「うん」
「あ、ラピリアの方がずっとレイズ様との付き合いも長いから、こう言う物言いは不快かもしれないけれど、、、、」
「そんなことはない」ラピリアは小さく首を振る。
「言ったでしょ、ルルリアの言葉にちょっと、って。私も似たようなことを考えていたのよ。レイズ様の事は尊敬している。けれど、そこで止まっていて、いいのかなって。気持ちの整理はまだつかない。でも、私はレイズ様が、レイズ様の作った第10騎士団が、やりたかった事を思い出したの」
「やりたかったこと?」
「ルデクの平和」
「なるほど」
一曲終わったらしく、演者のギターが少しの間止まり、しばし静寂が包む。
再び新しい曲が流れ出したところで、ラピリアが口を開いた。
「説得できるかしら」
「今できることはやってきたつもりだよ」
「そうね」
僕らの想いを乗せて、夜はゆっくりと更けて行く。